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赤根ふくろう
赤根ふくろう
novelistID. 36606
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その人の名

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夏休み。
部活動にも入らずアルバイトも無い。ただ時間だけがある身になった多軌は、毎日朝から陣を描いてはそれを見張る、という効率の悪い作戦に出た。場所は毎日変えたが、これであの妖怪を捕まえられるなんて、そんなことはまず出来ないと承知の上の作戦だった。
その代わり多軌は、そこを通り掛かった妖に話しかけてみるようになった。
はじめのうちは話しかけた途端に逃げられるばかりだった。しかしどこの世界にも好奇心が強いやつはいるもので、そんな妖たちが何匹か次第に警戒を解いてくれるようになった。さらにしばらくすると、多軌は妖たちの普段の暮らしぶりや行動の特徴などを知るようになった。
彼らは基本的に人を嫌う。係わり合いになるのがそもそも面倒らしい。が、それでも人の近くに暮らすのはたいていは食べ物が目当てなのだ。妖たちは油こい食べ物や、甘みの強い食べ物が大好きだ。そのあたりは人と変わらない。そこで多軌は夏のこの時期にもっとも相応しいもの、アイスクリームを食べさせてみた。
「美味いなあ。それに冷たくて気持ちがいいや。人の子は贅沢だね」
小さな蛇のようなその妖は、尾の近くにある二対の羽をぱたぱた言わせて喜び、人間の生活を羨む。
「そう? なら、もうひとつ食べても良いわよ」
多軌は花の笑顔で彼に二個目のアイスクリームを勧める。彼は遠慮も無くかぶりつき、カップに身体ごと突っ込むようにして貪り食う。すっかり警戒を解いたその様子に、多軌はいよいよ核心に迫る質問を投げかける。
「ねえ、あなた、こういう妖を知らない?」
土の上に描いたのは、あの妖怪だ。彼はちら、と横目で見るとしばらく思案した。が。
「……知らないな」
「このあたりで見たことも、ない?」
「ない」
あっさりと言われ、多軌はへたへたと座り込んだ。
きっとこのあたりの妖怪ではないのだろう。通りすがりの妖怪が相手ではどれほど陣を描こうと見つかりはすまい。もう打つ手は無い。座して死を待つ以外に道が無いなら、誰かを道連れにする危険など冒さず、今すぐ自ら命を絶った方が……
「だがナツメサマならあるかもな」
「え?」
絶望した多軌の耳に、変な言葉が入ってきた。
「いや、だから。私はそんな妖は見たこと無いが、ナツメサマならあるいは」
「誰? そのナ……なんとか様って」
「人の子だよ」
「人の子?」
「そう。お前と同じ、人の子。だがナツメサマには妖が見える」
「見える……」
「訊いてみたらどうだ? ……ふう、美味かった。すっかり馳走になった。ありがとうよ」
「あ、ちょ! ちょっと待って、もう少し話を……!」
慌てて引きとめようとしたが、満腹したらしい蛇の妖はさっさといなくなってしまった。
「妖が見える……人の子だ」
私と同じ、人の子。妖を見ることが出来る人が、いる。
恐らくそう遠くない、この近くのどこかに。
多軌はいそいそと立ち上がり帰宅の途についた。
見つけ出そう。
妖を見る人の子―――ナツメサマを。

まず調べたのは電話帳だった。あっという間だった。ナツメ、と呼べる苗字は夏目、だけ。しかも二件しかない。そのどちらもあの妖怪を見かけた場所からはかなり遠く、車でも一時間、バスと電車を乗り継いで行くなら二、三時間は掛かると思われる地域だ。もしこの二件のどちらかにナツメサマがいたとしても、あの妖怪を知っているとは思えない。
「名前の方かしら? 女の人ならいそうよね。でも……」
これは姓ほど簡単ではない。電話帳は役に立たないし、個人情報が云々される昨今、町内会名簿や学校の連絡網でさえ取り扱いはかなり喧しい。
となると、一軒一軒回って調べるしかなさそうだ。でも何と尋ねればよいのだろう。怪しいセールスだと思われはしないか。いやそれよりも、名前を口に出せない身でそれはあまりにも難しすぎないか。書いて見せたらそれこそ何事かと思われる……
「どうしよう。もう一度、あの小さな蛇さんを見つけて詳しく聞くしかないかも」
せめて男か女か、大人か子どもかだけでもわからないと手も足も出ない。
でも妖怪たちは気まぐれだ。やっとこれだけ聞き出せただけでも、相当ラッキーだったと思う。同じ幸運がもう一度、はあるのだろうか。それにこちらが知りたいことを、必ず知っているとは限らない。現にあの妖怪のことは知らなかったし……
それでも今はもう、この情報に賭けるしかない、と多軌は決心した。
さらに朝早い時間から、小蛇妖怪が出没する場所に陣を描き、彼の好きそうな甘い菓子を用意して待った。
だが彼はもう、そこに近寄らない、と決めたのか二度と見ることは出来なかった。
夏休みは呆気なく終わった。
秋が……期限の秋がすぐそこまで来ていた。
作品名:その人の名 作家名:赤根ふくろう