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赤根ふくろう
赤根ふくろう
novelistID. 36606
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彼女の故郷(ふるさと)

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「戻ってきたか」
笹後と瓜姫は嬉しそうに私を迎えてくれた。だが名取に会いたいと告げると少し待て、という。
「主様は仕事をしている」
「仕事? 妖祓いか?」
「いや、もうひとつ。人間相手に芝居をするのだ。どちらかと言うとそちらが本業らしいよ」
「なかなか……ふふ、これがなかなか面白いのだが、見られたくないらしいのでその間は近づかないことにしている」
「いつ終わる?」
「さあ。わからぬ。が、終われば人形が呼びに来る……こんな風に」
小さな紙片が雪のように舞い降り、それからまた飛び立った。二人はその後を追う。私も追う。やがて古びた一軒の家にたどり着いた。結界がある。ここが名取の家らしい。
「主様」
「来たか。明日から五日、ロケが入ったからしばらく休みだ。二人とも何処へ行っても良い。終わったらまた人形を飛ばそう」
「承知しました。では」
二人が消えると名取は眼鏡を掛け直し、居ずまいを正す。
「もう良いのかい?」
「ああ。世話になった」
瓢箪を差し出す。
「何も礼が出来ないが、これは私の故郷の水だ。飲んでくれ」
名取は封を開けると口をつけ、躊躇う様子も見せずに傾ける。渇いていたのかごくごくと結構な量を喉に流し込み、ようやく口を離し呟いた。
「……甘い、良い水だな。何処だい?」
「ここから遠い、ある山だ。私はそこで山守をしていたのだ」
「なるほど」
「だが昨夜行ってみたところ、そこはもう山とは言えぬ姿になっていた」
名取はなんともいえぬ顔で私を眺めた。
「人に捕らわれ無理を強いられ、故郷まで奪われた……さぞ人が憎いだろうね」
「いや、そうでもない。もちろん愉快ではないが、仕方の無いことだ。お前達だって、世の理もまだ知らぬような幼い子どもが悪さをしたからといって、その命まで奪おうとは思うまい? 叱って、二度と同じことをするな、とは言うだろうが、立ち上がれなくなるほどに叩いたりはしない……それと同じだよ」
答えると名取は目を瞬いて黙った。
私は密かに深呼吸して、それから告げた。
「だが……私は山神に名を解かれた。仕方ない。山を守れなかったものは、もう山守ではないのだから。しかし無名では困る。新しい名が欲しい」
名取は息を止め、私を見た。
「……良いのかい?」
「お前に呼ばれるのなら」
「そうか。では……」
逡巡する。庭を眺め、空を見上げ、行く雲をいくつも見送る。長い時間が、ただ過ぎる。墨を磨り、紙にいくつか書き付け、それを捨ててはまた書く。
何でも良いのに、と思う。
お前が呼ぶなら、どのような名でも良いのだ。じれったいやつだ。悟れぬはずよ……
しかし、酷く長い時間が過ぎたように感じた後、彼はほんの少し笑いながら私を見て、言った。
「決めた。柊」
「ひいらぎ?」
「知らないかい? 魔除けだ」
「魔除け……」
「そう。私を……いや、お前が大切だと思うあらゆるものを、禍々しきものから護る力となるように、ね」
彼は祈るように呟くと新しい墨を磨り始めた。
私は面を外し素顔を晒して目を閉じ待つ。
ほどなく名取が呪を唱えはじめた。同時に右の頬、耳のすぐ脇にくすぐったい感触が走る。そしてなぜだろう、良い匂いがして胸に漣が立つ。懐かしい、慕わしい感情が湧き、その暖かさに戸惑う。
「あれ、わからないか。お前の故郷の水で墨を磨ったのさ。忘れたくないだろう?」
表情を読まれたことに気がついた私は、急いでもう一度面をつけた。
「ああ、悔しいな」
名取は大仰に溜息をついた。
「こんなきれいな式を連れているのに、誰にも見せびらかせないなんて」
なんと答えてよいのか分からなかったので黙っていると、まあ良いか、見られるのもそれはそれで悔しいから、と独り言を呟いている。
まったく変な男だ。小さい頃はあんなにかわいらしかったのに。人ほどあてにならぬものはないな。
「では、柊」
「はい」
身構えた。最初の命だ。
「まずは夏目に礼と報告を。自分で行っておいで。それから戻ったら、常に私の傍にいるように。もう一つの仕事のことを教えよう」
「はい」
答えて飛び立つ。背に負った太刀につけた鈴が、ちりり……と清しい音で鳴る。その音に気を強くする。
山は守れなかった。けれど今度は守りたい。まだ美しい森も水も残るここを。大切なものの住む愛しい場所を。

今日からここが私の故郷だ。