水の器 鋼の翼4
4.
「――消えた過去に思いをはせても、余計苦しくなるだけですよ」
Z-oneが話しかけてきて、レクスはようやく我に返る。身体を支える力をなくして片膝をつき、苦痛を訴えている額に手をやって、彼は何度も荒い息をついた。
ビジョンの向こうでは何もなかったかのように会見が行われている。レクスが知っている長官とは別の人物が、ゴミ処理のためのパイプラインを建設する計画を公表していた。この計画で、ゴミの輸送にかかる費用の削減と、迅速なるリサイクル処理が可能になるのだそうだ。サテライト住人の都合を完全に無視したその計画は、マスコミから盛大な拍手を持って迎えられた。
「……そうか、そうだったのか……」
ふらつきながらも立ちあがり、レクスは確信を持ってつぶやいた。
いなくなった研究員。何度も襲い来る揺らぎとざわめき。日々改竄される記憶。
レクス・ゴドウィンはどこも狂ってなどいなかった。狂っていたのは、レクスを取り巻く歴史そのものだったのだ。
「時間を操り、歴史を改変する。これが私の力です。この力をもって、私は将来破滅をもたらす可能性を見つけ出しては消去してきました。その存在が破滅へとつながるのならば、どんな人や物でも」
「だったら、何故兄さんや不動博士たちを殺した! 不動博士はモーメントの研究を止めたがっていた! 兄さんだって、後ろ盾さえなければ研究を続行することは不可能だったはずなんだ! モーメントが未来の破滅をもたらすなら、研究が中止になればいいだけの話だろう!」
「――何か勘違いをしているようですが、あの事故自体は私の知る歴史上でも起こったことです。あの事故、ゼロ・リバースで不動博士は妻と共に死亡し、あなたの兄、ルドガー・ゴドウィンはダークシグナーに変貌する……」
それはいつの歴史でも避けられない運命だ、とZ-oneは告げた。仮面からのぞく青い目をそっと閉じ、彼は話を続ける。
「運命の日が来るまで、何をしても彼らを消し去ることはできない。しかし、運命の日を迎えてしまえば命を救うこともできない。彼らの存在に等しい代価を支払わない限り。あなたがよく知る人たちは、そんな運命の元に生まれてきたのです。――もっとも、それ以外の人間に関しては、元々の犠牲者の数より更に増えるよう私が仕向けた結果なのですがね」
Z-oneの言いように、レクスの中で溢れ返っていた強い怒りがとうとう堰を切った。
「例え未来が破滅を迎えようと、貴様に歴史を好き勝手に操る権利などない!」
「――ならば、私たちはどうすればよかったのですか」
低い声音で押し殺すように問うZ-one。Z-oneのまとう雰囲気は今までの穏やかさとは打って変わって厳しげなものになった。彼にとって何かまずいことを言ったのだ、とレクスが気づくも既に遅い。
「あなたは今、権利と言いましたね。権利ならあります。私は、人類の破滅を防ぐべく、モーメントに影響を与える人の心を善き方向に変えようとしました。力及ばず破滅を迎えた後、生き残った私と私の同志はクローン技術を用い、地球上に人類を蘇らせようとしました。でも、どれも失敗でした。同志たちも寿命を迎えて死んで行きました。たった一人残された私には、歴史に手を加えるしか手が残されていなかった」
ふう、と息をついてZ-oneはしばし会話を中断する。張り詰めていた周囲の空気がそれによって少しだけ和らいだ。
「私はプラシドたちを有史以前に送り込み、歴史への介入を始めました。征服者によって歴史の暗部に追いやられるはずだった星の民の末裔を保護し、後に彼らが組織したイリアステルを立場ごと乗っ取ったのも私です。そこまでして初めて、赤き竜と邪神との戦いに介入することができた。何千年、何万年、そこまでの時間を掛けて、ようやくここまで漕ぎつけたのです。――何かを犠牲にしなければ、自分の欲するものを手にすることはできない。全ては人類の幸福な未来のため。それに、私には、あの人の罪を償う使命がある」
「あの人?」
レクスの疑問は残念ながら空振りに終わった。
「例え不動博士に研究をあきらめさせたとしても、いずれ第二第三の不動博士が現れるでしょう。赤き竜と邪神の戦いが、五千年周期で繰り返されるのと同じく。本来なら、私はモーメントに携わる全ての人間を消すつもりだったのですよ。あなたも含めて。しかしそれは完全には不可能だった。何度リセットしようとも、あの事故の後で何故か必ず誰かが生き残ってしまう」
「だから今度は私を消すつもりなのか」
「そう結論を急がないでください。私は、『未来を救うための提案をしに来た』と言ったでしょう。この際、あなたには別の役割を担って欲しいのです」
Z-oneは言った。イリアステルは歴史に介入する都合上、直接歴史の表舞台に立つことができない。なので、必要とあらば時の権力者に力を与え操っていた。先ほどまで長官であり星護主であった男もその一人なのだ、と。そんな彼が任務に失敗して消された今、イリアステルは新たな人材を求めている。
「協力してもらえますね? レクス・ゴドウィン。イリアステル第三百六十代星護主として」
考えて考えて考え抜いた末に、レクスはZ-oneの申し出を承諾した。
「ただし、条件がある。――ネオドミノシティのモーメント化計画の実行だ」
言うや否や、Z-oneの目がすうっと細められた。瞬間、レクスは自分の身体が何かに強くぶつけられるのを感じた。傍にいたプラシドが床に突き飛ばしたのだとレクスが理解したのは、あの鋭い切っ先が胸元に突き付けられてからのことだった。
しばらく立ち上がれずにうめき声をあげるレクスに、プラシドは更に切っ先を押しやり声を限りに怒鳴った。
「貴様はまだ分からないのか! 何も知らんだろう、……愛する者が目の前で粉微塵にされた時の気持ちを! 何も守りきれずに一人生き残り、自らをひたすら呪いながら生き延びた人間の思いを! モーメントとシンクロ召喚さえこの世に揃わなければ、人類の破滅は防げるのだ! それなのに、貴様は、貴様らは再び悲劇に塗れた歴史を繰り返すのか!」
「く、うっ……」
痛い。鋭く研がれた刃は今にも胸の皮膚を破ってしまいそうだ。しかしそれ以上に痛く苦しいものをレクスはひしひしと感じていた。怒り狂っているはずの相手が、何故か酷く嘆き悲しんでいるように見えたのだ。
「――待ちなさい、プラシド」
「Z-one!」
「君の気持ちは十分承知しています。ですが、ここは剣を引いて下さい。彼に訊いてみたいことがあるのです」
プラシドは渋々剣を引き、レクスは胸を穿つ苦痛からやっとのことで解放された。Z-oneの乗る白い機体が滑らかな動きでレクスの元に近づく。アンモナイトに似たそれは、見上げてみると意外に大きい。
「あなたは、どうしてそこまでしてモーメントを守るのですか? モーメントの危うさを、あなたはゼロ・リバースで嫌というほど悟ったではありませんか」
なのに何故、とZ-oneは心底不思議そうに問いかける。