二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

誰にもあげない

INDEX|2ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 

 それでも、アルトが今自分を入れてくれようとしているその場所は、今まで誰も入れてもらったことのない、彼のテリトリー。そう思うと、どうしようもなくうれしかった。

 学園からほんの10分程度歩いた場所の、ごみごみした街角に、そのちいさなアパートはあった。

「一応地上なのね」

「ああ。どんなにボロでも小さくてもいいから、空が見えるところに住みたくてさ」

「ふうん」

 アルトに通されたその部屋は、確かに狭かった。四畳半の和室に、ちいさなキッチンと、ユニットの浴室があるだけの。それでもその部屋は、アルトが自分で言うように散らかってなどおらず、男のひとり暮らしにしては随分と小綺麗だった。

「なあんだ、片付いてるじゃないの」

「そうでもない、なかなかこっちには戻ってきてないから、箒もかけてないしシンクも磨いてない。窓も拭いてないし畳の雑巾がけもしてないんだ、換気扇の掃除もしてないしガス台も……」

「……あんたいい嫁になるわね」

 今アルトが言ったことのうち、どれひとつとして、シェリルは自分でやったことがない。半ば呆れながらシェリルは言った。これは歌舞伎の女形として育てられたとか、そういう問題ではなくて、単に彼の趣味趣向なのではないか。

 それから部屋に入って、シェリルはわあっと歓声を上げたあと、うきうきと言った。

「ねえアルト、あたし、畳敷きの部屋に入るのなんて初めてなの! ……随分狭いけど、ここって足伸ばして寝られるの?」

「いくら狭くても布団は敷けるし足くらい伸ばせる。文句があるなら帰れ」

「文句なんてひとつも言ってないじゃない、狭いのにちゃんとした部屋だから感動してるだけよ。人って、食べ物があって、屋根があるところで眠ることができれば、ちゃんと健康に生きられるのね」

 シェリルがそう言うと、アルトはがっくりと脱力した。

「おまえ悪気なさげにそういうこと言うなよ」

「やーね、あたしは本気で言ってるのに」

 アルトが、部屋の端に積んである布団の下から、座布団をふたつ引きずり出して置く。

「ほら、勉強するんだろ、時間無駄にするなよ」

「わかってるわ。うふふ、座布団も初めて!」







 そのまま食事をする間も惜しんで夜遅くまで勉強をして。アルトに出された問題を解き終え、アルト、と声をかけたら、返事がない。見れば、収納スペースすらない部屋の片隅に積んであった布団に凭れ、アルトはうたた寝をしていた。

 その顔を暫く眺めて、シェリルは自分たちが夕食すら食べていないことに気づき、財布を持ってひとりで近所のスーパーに買い物に出かけた。

 本当は、こんな時は、女の子は何か手料理でも作ってご馳走してあげるのかも知れないけれど、自分がそれを真似たら、彼の部屋の台所を壊滅的状況にしかねないことはわかっていた。仕方なく出来合いのものを買い込んで、スーパーを出て帰途を急ぐ途中、突然の豪雨に襲われたのだった。

「すっかり濡れちゃったわ」

 スーパーのビニール袋に入った食べ物だけは、何とか濡らさないように袋の口を縛って死守したが、まだ新しかった航宙科の青い制服は、裾から滴る雫で玄関が水浸しになるほどにびしょ濡れで。このまま上がれば、部屋の中までずぶ濡れにしてしまう。

「アルト」

 小さく声をかけてみたが、返事はない。まだ寝ているのだろう。

「うーん……」

 玄関の横にはユニットバス。いくらここが古いアパートでも、浴室乾燥機くらいは標準装備の筈だった。取り敢えず二歩分くらいは床を濡らすのを見逃してもらうことにして、シェリルは靴を脱ぐと、三歩で浴室に飛び込んだ。

 浴室の中もちゃんと片付いていて、タオルもたたんでおいてある。ほっとしてシェリルは濡れた服を脱いで吊した。さすがに下着まで脱いでそこに干すのは気が引けて、濡れたままで気持ち悪かったけれど、仕方なく下着だけは身につけたまま。濡れた全身を拭き、乾燥機のスイッチを入れると、バスタオルを体に巻いて顔だけ出し、おそるおそる部屋を覗くと、電気をつけたままの部屋の中で、アルトは気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 さすがにこの格好は見られたくない。何か服でも借りようと、シェリルはあたりを見渡したが、ここで生活をしていないと言うだけのことはあって、なにひとつ着るものが見つからない。

「困ったわね……あら」

 シェリルは、タンクトップ姿で眠り込んでいるアルトのそばに、彼が脱ぎ捨てた、学校の制服のシャツを見つけた。それを手に取ると、ほんのりアルトのにおいがして、胸がきゅっと甘く痛む。

「……やだ」

 ひとりで赤面しながら、シェリルは、アルトのシャツを両手に持って広げた。思わずそのシャツに顔を埋めて、それから我に返り自分の行動が恥ずかしくなって、足取りをスキップのように跳ねさせながらもういちど浴室に飛び込む。

「着ちゃおうかな」

 羽織ってみると、思ったよりそれは大きくて、シェリルの太腿の途中までを隠すくらいの長さがあった。普段から制服を着崩している彼は、体にぴったり合うサイズより、大きめのものを選んでいるのだろう。

「ふふ」

 浴室の大きな鏡に映った、アルトのシャツを着た自分の姿を見て、シェリルは照れて笑った。男の人の家の浴室で、男物のシャツを着ているなんて、なんだか恋人同士がすることのようで。

 軽くボタンをひとつだけ留めて部屋に戻り、買ってきたサンドイッチをつまみながら、シェリルはひとり、雨の音を聞いていた。

 子どもの頃、両親を失いギャラクシーのスラムを彷徨っていたあの時、苦い味のする灰色の雨に打たれ、孤独と空腹と寒さに震えながら、降り止まぬ雨の音を聞いていた。

 それから時は過ぎ。今、毎日が平和で楽しくて。こんな未来がずっと続けばいいのにと思う度に、ほんの少しだけ怖くなる。この眩しい日々が、突然音を立ててこわれてしまったらどうしようかと。或いは今見ているこの、現実だと思っていることのすべてが、ゆくあてなくスラムを徘徊するみすぼらしい子どもが見ているただの夢かもしれないと。

 夜中飛び起きて、夢とうつつの狭間で、そんな妄想に取り憑かれて現実を見失いそうになったとき、その度に抱きしめてくれたのはグレイスだった。けれど。

「……ねえ、アルト」

 シェリルは、起こさないようにそっと、ちいさなちいさな声で、アルトに呼びかけた。

「あたし、友達ができたの、初めてなの。仲間、なんて、いなかったのよ」

 ずっと独りだった。

 確かにグレイスはそばにいてくれるけれど、そして彼女はとてもやさしいけれど、それでもどこかに壁があることを、シェリルはずっと感じていた。彼女の心の中に入れてもらえたのかと思うと、それがまるでいけないことのように突き放される。

 つめたくされたことはない。はっきりと拒絶されたことも。けれどわかる。彼女の中に線があり、そこを越えると、やんわりともといた場所へ戻される。

 その線を越えて、心に触れたと思えたのは、ツアーに出る前、一晩だけ一緒に眠ってくれた、あの夜だけだった。
作品名:誰にもあげない 作家名:桜沢麗奈