比翼連理 〜外伝〜
―――そして。
ついに恐れていたことが起きてしまった。いつもの時刻より、飛び立つのがほんの少し遅れた「曙光」が大鷲に襲われたのだ。
ゼウスの力を与えられた大鷲。次々と容赦なく「曙光」に襲い掛かった。
果敢にも立ち向かう「曙光」......だが、圧倒的な力と数を誇る大鷲たちを前に、次第に力尽きていった。救う術を持たない私は、鎖に繋がれた手を伸ばし、ただ叫ぶことしかできなかった。
無残に散る、輝く羽。
鋭き鷲の爪がその美しい翼に衝き立てられるのを庇う事もできず、ただ見開いた瞳の前で残酷に繰り広げられる力と力のぶつかり合いの果てを見つめ続け、涙を流すことしかできなかった。
自由な空から、力尽き堕ちて行く光の残滓。血を吐くような想いで叫び続けた。
「死ぬな!!生きろーーーー!」
「曙光」はその次の日から訪れなくなった。
次の日も。
また次の日も。
気が狂いそうだった。
声が枯れるまで、涙が枯れるまでその名を呼び続けた。
不安がやがて絶望に変わろうとした時。
暗闇の空が黄金色に輝いた。
そして、その空間から小さな花がひとつ、舞い降りてきた。それはかつて「曙光」が摘んできてくれた花だった。
「曙光......なのか?」
小さな花が風に揺れる。ハッと息を呑み、その黄金の波のような空間を見つめる。
「なんということだ......今の今まで...私は......」
―――空間をこのように変化させることができる鳥など、いない。
これは神のみが持つ力。「曙光」は鳥ではなかったのだ。物言わぬ鳥ではなかったのだ。
このように変化の力を持つ神はそうはいない。
クロノスとレアの血を引く神々......。
閉じようとする黄金色の空間に叫ぶ。
「―――曙光の君よ!どうか。姿を見せてくれ!私を哀れむ心があるのならば!......頼む!」
閉じかけていた黄金の波は小さな泉のようにほんの少しの大きさだけを保った。
『......ずっと......あなたを騙していたのに?』
そこから声が降ってくる。凛とした透明な空気のように気高い声。少年のようであり、少女のようでもある。
「......かまわぬ。気付かなかったのは私だ。君は鳥だと思い込んでいたのは私だ。いや...鳥であって欲しいと思い続けたのは私だ。神を憎む私は、君が......ゼウスの血を引く者だと思いたくなかったから。心の支えである君が憎き男の血を引く者なのだということを認めたくなかったからだ......」
『プロメテウスよ......ティターンの智者よ。私は...ゼウスを父に持つ者。あなたが憎んでも憎みきれぬ男の血を引く者。母の苦しみを取り除こうと近づいた者。それでも良いというのか?』
巌に繋がれた手を黄金に輝く空へと伸ばす。
「それでも―――君が愛しい。曙光の君よ!」
魂の底から叫ぶ。我が想いが届くようにと。
輝く黄金の渦がいっそうの輝きを増した。まるで天にある泉から地に舞い降りるように、光を纏いながらゆっくりと輝く姿を現した。
長い足が、細い腰が、そして伸ばされた白く輝く手が、黄金の稲穂の如く波打つ髪を靡かせて、白く輝く月のような貌が今はっきりと目の前に存在する。
静かに伏していた瞳が開かれる。
天空の蒼がそこにはあった。
まぎれもない、「曙光」の瞳だった。その醒めるような美しさが眩しく、目を細める。
「もう、諦めかけていた。大鷲に襲われて、命が絶えてしまったのかと。胸が張り裂けんばかりの苦しみを感じた。なぜそれほどまでに苦しいのか、この想いの正体に気付いた時、気が狂いそうだった。愛しき君が私の前に二度と現れないのかもしれないと恐れた」
―――愛しい者、かけがえのない命。
手を伸ばすことは許されないのかもしれない。
私は手を伸ばすべきではないのだ。
憎き男の血を引きし者だ。
先にある己の運命は見えないままだ。
わかっている。
それでも。
それでも......
「愛している。貴方を......。この切なる願いが君の心に届いて欲しい」
まっすぐに前を見据える曇りなき瞳が揺らいだ。
「わたしは......父上に逆らうことはできない。母上がお嘆きになるから。わたしを愛してくれている母上を裏切ることはできないから......けれども......貴方のお傍にありたいと思った。ずっと......叶うならば、ずっと......「曙光」であり続けたかった。優しく包み込むような貴方の声に耳を傾ける......ただの鳥でありたかった」
光る涙の滴が大地に落ちたと同時に、私の胸にふわりと舞い込んだ。軽やかに舞う羽毛のように。
空が白み始めた。夜明けがもうすぐ訪れる。
「人間を愛するあなたの優しき心に、わたしの心は強く惹かれた。永劫に与えられた苦痛に屈することのない、あなたの気高く強い瞳に焦がれた。惹かれる心を止める事など...できなかった。父上を、母上を裏切ることになっても......」
そっと伸ばされた白き手が己の頬を撫でる。ずっと求めていた温かな肌―――たしかな温もり。
「今はまだ、この鎖に繋がれているが、必ずや自由となって君を守り、君の傍にいよう。それまで、私は耐えてみせる。絶え間なく続く苦痛にも決して、屈したりしない。鋼の心を、不滅なる愛を、君に捧げよう......」
光が大地を滑り、巌の頂に立つ二神を包み込む。空に舞い上がる大鷲でさえも、ただ静かに吹く風を翼に含ませ、眩しい光に瞬目する。
そして大鷲は巌の周囲を弧を描きながら、一度高く啼いた。
まるで迫り来る闇の気配を警戒するかのように―――。
Fin.