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比翼連理 〜 緋天滄溟 〜

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6. 濃霧



 冷たい銀色の輝きを放つ高い天井から降りた薄絹が揺れ、布越しに人影が写りこんだのを翡翠の双眸が捉える。その人影は身動ぎもせず、すらりと伸びたまま布越しから観察しているようである。
「―――最果ての地より我が館へよくぞ参った。こちらへ来るがいい。我が正体に興味があるのだろう?」
 細い影が小さく揺れる。
 深い呼吸を一度したのち、影は薄絹を掻い潜り、姿を現した。臆することを知らぬ風情の金色の影の鋭い眼差しは天空を貫く一筋の光のようにも見て取れた。
 ゆったりと川面を流れる木の葉のように横掛けにくつろいだままのアーレスはそのまま横柄に対峙する。白蝋で作られたかのようにさえ見える、冷ややかな美貌を誇る人間を嘗め回すようにじっとりと見つめると緩やかな弧を描く眉が神経質そうにぴくりと顰められた。
「貴様がアーレスか」
 豪奢な装飾が施された長椅子はそれなりの大きさを備えていながら、それが小さく見えるほど鍛え抜かれた体躯をゆったりと沈ませ、おおよそ粗野とは無縁ともいえる優雅な貴人にしか見えぬ男に向かって淡々とシャカは答えた。
「それ以外の何者でもない。おまえがシャカとかいう聖闘士だな」
 肘掛に傾けていた身体を起こし長い足を床に下ろすと、正面に向き直ったアーレスは口角を緩く吊り上げた。
「軍神と綽名されるほどの男……どのような無骨者かと思えば」
 アーレスはシャカの次なる言葉を予測していたかのように膝の上に腕をのせると、前方に上半身を傾け、長い指を絡ませて丁寧に編みこまれた輝く金色の髪を払いながら、切れ長の瞳をいっそう細める。
 清華な美貌をまるで魅せつけるかのように、アーレスは艶麗な微笑を浮かべてみせた。
「意外か?何よりも争いを……流血を好む者は醜い悪鬼のごとくの容姿だと思っていたか?」
 クスクスと湿った笑みを浮かべながら、戯言のようにいってのけると、その手のひらに恐怖を煽るようなおぞましい仮面を現した。
「期待を裏切らぬよう、通常は親しき者以外の前ではこのような仮面をつけるようにしている。こんな風に……な。」
 翳した仮面を素顔に張り付かせ、類なき美しい貌は残忍さを殊更強調させた貌へと早変わりさせた。ぎしりと長椅子を軋ませながら、アーレスは立ち上がるとシャカの前に立った。長身でなおかつ無駄な肉は一切なく、鍛えられた肉体。
 ただ仮面をつけただけだというのに、威圧感は比べ物にならぬほどのものとなった。
「これこそが、血と肉を好む残虐な神に最も相応しいと思う姿だろう?」
 嘲弄うようにアーレスはつるりと仮面を指先でなぞりながら言い放った。
 
 なぜ、最初から仮面をつけずにわざわざ素顔を晒したのか?
 そんな疑問がシャカの心中で湧いたが、恐らくシャカを“まがいもの”と侮辱した時に発した「誰と比べてのことか」という言葉に対するアーレスの回答なのかもしれぬと推測するに至った。
「道化の如きだな」
 たいして驚きも感動もせぬとばかりに淡々と返すシャカを小癪に思ったのか、アーレスは鼻をフンと鳴らすと、その脇をすり抜けた。
「―――ついて来い。ハーデスの元へと案内してやろう」
 言われるままにその後をシャカは静かに警戒しながらついていく。白亜の大理石を滑るように進みながら、シャカは歩くふたり以外にこの広い空間で生命の気配がまったく感じられないことを不審に思っていた。
「貴様以外、誰もおらぬのか?ここは」
「今は皆、出払っておる」
「どこへ?」
「さぁ……?おまえの知ったことではあるまい」
 シャカの追求をはぐらかすようにアーレスは冷ややかな嗤い声を上げながら、ズンズンと先へと進んだ。大広間を抜け、湿った風が足元をすり抜ける仄暗い回廊へ一歩踏み込もうとした時、手に携えていた冥王の剣がひどく重量を増したため、シャカはぴたりと足を止めた。
「―――どうした?ここまで来ておきながら、今頃になって怖気づいたか?」
 暗い回廊の先から、挑発的な言葉が低く響き渡る。先程まで見えていた回廊の隅がどんどん狭まるように、いや逆に闇が広がるように視界が閉ざされていく感覚に陥りながら、酩酊するような不安定な揺れがシャカの視覚を不快に逆撫でる。シャカは邪魔な視覚を遮ると“もう一つの眼”で周囲を視た。
 すると、今まで視覚を通して見ていた景色とはまったく違う、真白な世界が広がっていた。まるで濃い霧に覆われているようなそこは、不安感をより一層煽る。
 それでもシャカの表面に現われる表情はといえば、余裕綽々といった笑みだった。