葬式の話
彼の両親や村の人間はどうしたのだろう、と気になったが、彼の瞳は興味なさそうだった。
興味の対象は今は棺で眠っている人間だ。だから俺にこんな話をしている。
俺が「そう」とだけこたえると首を傾げた。
「きみは不思議だ。僕の荒唐無稽な話をなぜ信じるんです? きみには僕に近いなにかを感じる。でも僕よりずっとまともにも見える。そういう人間は僕の話は信じない」
「信じる、とは言ってないよ。でも俺は嘘だといえるほど、きみを知らない」
「あの老人のことは知っているということですか」
「さあ、どうだろうね。わからない」
俺が知っていることなんて少ない。
ただ過去に、この村の人間が知らない彼のことをほんの少しだけ覗きこんで知ってしまったというだけだ。
「……わからないことがある。あの老人はあるときまでそれを信じていた。そしてひととしての寿命を受け入れず生に執着した。だから死ぬときは必ず僕を呼ぶと思っていた。でも僕は呼ばれなかった」
「俺も死についてはわかっていることがあるよ。ひとは死ぬとき、色々なことを思い出して、考えて、自分の中でこたえを見つけるんだ」
「あなたはあの老人が僕の力を使うこと以外のこたえを見つけたと言うのですか?」
わからない、とこたえた。
俺の言葉が不満だったのか、目を細めて「きみはわからないことばかりだ」とつぶやいた。
「じゃあ、俺がきみについてわかっていることを教えてあげるよ」
ポケットからもう一度飴を取り出す。
その中のひとつをつまみ取って彼に差し出した。
「チョコレート味、好きなんだろ」
「なぜ?」
「説明しているとき、チョコのときだけちょっとうれしそうだったから」
すましたような表情にさっと赤みがさした。小さく「じゃあそれをいただきます」と受け取る。
「じゃあ、俺、行かないと」
ずいぶん長居をしてしまった。ぽんと子どもの頭に手を置いて、戸口に向かうと背中に声をかけられる。
「また会えますか?」
「え?」
「僕……今度はあなたの話を聞きたいです」
振り返ると彼は目をそらしながらこちらを向いていた。
「ごめん。この葬儀が終わったら村をまた出るんだ」
「……そうですか」
葬儀場に戻るとひとはまばらになっていた。
棺に近づき、傾いた花の位置を直す。壇上にはそれほど大きくはない写真が置かれていた。
写真を選んだのは故人だった。珍しくはない。死期を悟った人間が葬儀を手配し、最後に飾る自分を選ぶことはよくある。
最初、彼が選んだのは若い頃のものだった。戦争に向かい、死を覚悟した若者の絵だった。
けれど目の前にあるのは違う。強い瞳はそのままだが、そこには長く生きてきて得た死という終わりを受け入れた老人だった。
床に伏している身でありながら、最後の写真のために起き上がったと社長からきいた。
気づくと涙が頬を伝っていた。
「なにが見えるの?」
突然声をかけられて、ぎょっとする。先ほどの兄弟のひとりが隣に立っていた。
慌てて涙を拭う。
「なにも」
安らかな死だ。それ以上のものはなかった。
棺の中を覗きこみ、うつくしい死に顔だと思った。
「きみ、このひととは知り合い?」
このひと、と自分の祖父を指差す。
「兄弟揃って同じことを訊くね」今日はこんなことばかりだ。
俺の態度が気に入らなかったのか子どもがいらついた。鋭い視線が睨んでくる。
「質問にこたえてない。あのひとと最後になにを話したの」
「それは……」
「僕はあのひとが死ぬときに殺される予定だった。でも僕は生きている。理由は?」
隠したり嘘をついたりしたら許さない、と耳元で囁かれた。
「あいつと話したんだろう? あのひとが死ぬとき僕とあいつはその場に呼ばれるはずだった。僕の身体にあのひとを移し変えるために。僕はそのためにここで育てられた。この屋敷の地下にある座敷牢で」
「座敷牢……?」
みると彼の肌は酷く不健康な白さだった。
「あいつの妖しげな術なんて信じていなかったし、殺されるつもりもなかった。その前に僕が殺す。そのつもりだったのにタイミングを失った。僕とあいつは呼ばれなかった。きみのせいでしょ」
彼の目には嘘や隠しごとは許さないとあった。それは怒りだ。彼の言う不遇の生活に対するものかもしれないし、殺される前に殺すつもりだった自分の決意を崩されたことに対するものかもしれなかった。
周囲を見渡すとすっかりひとがいなくなっていた。昼食を取るためにみな自宅に帰ったか、休憩室に移動したのだろう。
「……俺が最後に話したのは『骨喰み』のことだよ」
「なにそれ」
少し迷った。行為と儀式は違う。彼はまだ子どもだ。
「きみのお爺様は昔、友人を酷い形で無くしたんだ」
「知ってる。友人を殺して食べたんでしょ。僕に話していた。僕は興味なかったけど、あいつは愉しそうだったな」
あいつというのは先ほどの不思議な色彩を持つ子どものことだろう。
「……そう、戦争でね。俺もひとから訊いただけだけれど、寒さと飢えでどうしようもなかったらしい」
俺が話を聞いたひとは祖父が戦争中に友人を食べて生き残ったという話だった。それも直接聞いたわけではなく、祖父が亡くなった後、そのことを書いた手記が遺品の中から見つかったのだという。
生き残ったそのひとは故郷に戻ってきてから、友の分まで生きるかのように働きづめで早死にした。
「食べたことには変わらない」
「骨喰みは死者の骨を食べる信仰行為だよ。口に含むだけや噛むだけの場合もあるけれど。死者の意思や精神を受け継ぐという意味があるみたいだ」
俺はそれを話した。実際に俺も経験はないし、その行為をしているところは見たことがない。ただ南の人間で経験があるひとに話を聞いたことがある。「父の骨は苦かった」と言っていた。
「俺が話したのはそれだけ。友人の話には触れなかったよ」
「あのひとはその骨喰みを知っていたの?」
「いいや。知らなかったみたいだね」
だから話した。彼はそれを黙ってきいて「もういい」と言って、俺を部屋から追い出した。遺影に使う写真を撮り直すと連絡してきたのはその後だ。
「それがあのひとの心変わりだって言うの?」
「わからないよ。死ぬときはひとりだから」
「じゃあ、あなたは他人だと数えられなかったということか」
どうだろう、と思う。
俺の言葉が本当に彼に届いたのだろうか。
「昔、きみが生まれる前にお爺様に会ったことがあるんだ。きみぐらいの年齢のときだ。あのひとは友人の墓の前で哀しそうだった」
そのときになにを見たかは言えなかった。それは俺が伝えていいことではない。
それに気づいたのか「それは話す気がないんだ」といらついたように舌打ちをした。
「ごめんね。あのひとがきみにした仕打ちを考えると話したほうがいいかもしれないのだけれど」
「僕が訊きたい理由はそれじゃないからいらない。僕が知りたいのはなぜあのひとが死を受け入れたかだ」
「……ごめんね」
こたえはわからない。あのひとが死の間際に思ったことが俺の願いどおりならいいとは思う。
「死んだ者に義理立てなんかして。僕の中でこたえを見つけろと言うの?」