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ワルプルギスの夜を越え  2・羊小屋の子ども達

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シグリは両手を出して彼の外套にかかってもいないだろう埃を払おうとするが、その手を蹴飛ばす
背は高いがひょろりと柳のような体格に少しばかり生地の良い服と皮で作った外套を肩に掛けた男は仲間達の手前なのか見苦しい威勢でシグリをどやし立てる

「とんまでマヌケのバカ女!!俺の服に触るんじゃねーよ」

鼻息の荒い声にエラがしゃしゃり出ていく

「おうおうおう、言ってくれるじゃねーか瓢箪小僧のラルフよぉ」

男顔負けのドスの利いた声でシグリを睨むラルフの前に立つと

「こいつをとんまと呼んで良いのはあたしだけだ。お前みたいにふにやふにゃな男よりずっと働くシグリを見習え。萎れた茄子みたいな面しやがってよぉ」
「俺の事を瓢箪とか茄子とか言うんじゃねーよ!!」

言い負かされたラルフは顔を真っ赤にして拳を振り上げるが、エラの睨みはきつく尖ったナイフにも似ていて上げた拳のままで固まる
吊り目のエラ
目付きが悪い事で有名なエラは口はおろか、腕力もそこそこの暴れ者で知られていた。
チビとはいえ自分より思い荷運びを毎日するエラに、相手のラルフは一瞬で自分が勝てるのか本気で悩んでしまった。
ラルフは商家の次男坊で力仕事は人任せの方だ。
長男がしっかり者ですでに家を継いでいるのもあり、現在は行く場所をなくしている側の弟で、だが家としては商家の二番店でもやらせたいという希望があるせいかこうして朝市を見て回る事を薦めていた。

「茄子が嫌なら芋か?スイートの方の」

口はまったく減らないエラは青い眼を怒らせ、デンっと構えると顎を突き出した顔を見せた。
強気のエラの姿は市場ではちょっとしたイベントのようなもので、そこかしこからラルフを笑う声が聞こえる。
さすがに市場に集まる者を敵にしたくないラルフは拳を納めて苦々しい顔で

「フン、朝から元気のいいことだな。そうだアルマはどうしたんだ、最近いないみたいだが」

クルリと話題を変えて、ついでにエラのきつい視線から目を逃がす

「もっと早起きなんだよ。こんな遅くに市場に来て顔を拝みたいなんて、鮮度のねえ野郎だな」
決して遅くない時間だが、準備の整った市場からすればボンボンの散歩は遅すぎるとも言い切れる。
背中を向けたラルフは決まり悪そうに返事もできない状態に、市場の人の笑い声は良く響くほどになっていた。

「おまえな!!ふざけるな、口の聞き方に気をつけろよ!!片耳無いくせに!!」

真っ赤な顔の青びょうたんラルフの腰をかがめてエラに顔を付き合わせて怒鳴ったが、効果はなかった。
無かったどころか無視されるという結果になっていた。
それは門から手を振る男の声にかき消されたのだ

「羊が帰ってきたぞ!!!羊が帰って来たぞ!!!」

教会が飼う羊の帰還は遅れていた。
そのうえで東の方に現れた狼の話し、怖い話題で満ちそうになっていた市場が一瞬で華やいだ。
一番に反応をしめしたのは矢張りエラだった。
一足飛びでかがんでいたラルフを飛び越えた。跳び箱をするようにポンッと

「羊ぃぃぃぃ!!!」
「おっ………おい、男を跨ぐなんて………」

呆然のラルフなど気にもしない勢いで二の門を突っ走っていくエラ、後ろをシグリがよたよたと走っていく

「あはは〜〜〜ごめんね〜〜〜ラルフぅ〜〜〜あっあっ待ってエラ、まってまって〜〜〜」

いつもの喧噪、茫然自失のラルフを除き市場はあっという間に活気を取り戻した。
それは町に住む普通の階級の人達にとって良い日の始まりと迎え入れられた。
後に残された老婆達はとっくに姿の見えなくなった二人を見つめていた。

「いいこだねぇ、エラは」
「良い子だけどダメだよ………あの子達はみんな欠けてる子達なんだから、まともなのはアルマぐらいなもんよ」

日差しに顔をしかめて、切り株に座った老婆は片耳を触る
「左耳を狼に食われちまった子だからねぇエラは」
「シグリは頭のゆるい子だし………良い子なんだけどねぇ。ヨハンナも荷物が居なきゃ将来は良いとこの嫁に行けただろうに、エラやシグリと死ぬまであの小屋で一緒じゃ報われないよねぇ」

教会の預かる子供達は、両親がいないか、どこか欠けた子ども達ばかりだった。
そういう子どもばかりが捨てられたり、預けられたりして暮らしていた。

「そのうえ羊飼いが帰ってきたし………」

明るくなった市場の隅で老婆達は、一段落した話題から離れ籐籠の売り出しに戻って行った。




市場が活気を取り戻し多くの人が行き交う時間に鳴った頃、教会のカリヨンは厳かに昼を告げる鐘の演奏を始めていた。
石造りの教会はもっと古い時代に組まれたもので、カリヨンを鳴らせる尖塔は右の座に新しく作り上げられたものだった。
名物も少ない、主要街道からも少し外れた町だからこそ教会が作り上げた一つの名所でもあった。
石段の祭壇の前に置かれる十字架は、薔薇の花輪をかたどった装飾の中央に黒曜石をはめ込んだ大振りなものが飾られている。
だがそれ以上に目を見張るのは、祭壇背後を飾る大円形のグラス・マレライ(ステンドグラス)だった。
本山の金で飾った祭壇はなく、七色を惜しみなく塗り込んだグラス・マレライはないが、単色とはいえ壁の一面を埋める巨大円形のグラスは、ここを宿にする王侯貴族や地位在る商人達にとって「自分達だけが知る名所」のような気分もさせる十分見所のある作りとなっていた。

「ほう、ハンスがそのような事を………」

一晩の借宿をした貴族から、皿に寄附を受け取ったヨハンナは教父の元についた時に鳴り響いていたカリヨンの音の事を話していた。
弟ハンスはカリヨンの音に歪みがある事を自分の口から伝えたいと願っていた事、今も風邪で熱を出し寝込んでいる事も一緒に知らせた

「私には全然わからないのですが………ハンスが言うにはどこかずれてしまっている所があるのではという事で………」

教父の顔は厳めしく、越えも太く重い。
小柄で細い少女が前に立って物言いをするには怖い相手にも見える。
髭の深い口元に手を当て、今も鳴り響く鐘の音をに耳を立てて目を細める

「うーむ、わしにもわからぬが………いや確かに少し音が歪んでいるようにも感じる。これからWeihnachten
ヴァイナハテン
(クリスマス)を迎えるにはよろしくないね」

少しずつ、岩を割ったような唇を開き

「良い事を教えてくれたねヨハンナ・塔の修繕をするにも良い機会だ大きな町から職人達を呼んでみましょう。後、早くハンスの状態が良くなるといいね、良くお祈りをしなさい」

顔とは違い緩やかな口調は教父の人望の厚さを良く示していた。
ヨハンナの髪を隠すフードの上に手を乗せると

「良い日でありますように」と軽いあいさつをして本堂の方に消えていった。


ヨハンナは祈っていた。
グラス・マレライの前に立つ十字架はマリアが与えたものと言われていた。
教会の置くにある銅像はイエスを抱く聖母マリアの姿。
ここは救い主であるキリスト=イエスを産んだ慈しみの聖母マリアをまつる聖堂。

「ハンスの病気が早く治りますように………羊小屋のみんなで年を越せますように」

欲張りな祈りはいくつでも唱えられた。