桜舞う、夢に舞う
「なんで・・・」あんたがここにと彼の目が問うてくる。
「なんでって・・・君がいるから」
そうとしか言いようがなかった。
エドワードから別れを切り出された時、あまりに彼が辛そうだったので今は思うようにしてやった方がよいのだろうと、側を離れてしまった。
そのままにするつもりはなかったが、それ以来ずっと顔を合わせるのを避けられていて、先日ようやく仕事で会えたが二人で話せる機会は訪れなかった。
先ほど偶然に街で見掛けて、目が合ったと思ったが声をかける間もなく去ってしまって。
気づいたら一緒にいた女性への挨拶もそこそこに、彼を追っていた。追わねばならないと思った。
人混みに紛れて見失ってしまったが、行き先はきっとあそこだろうと街の外れの方に足を向ける。
二人でよく行った秘密の場所。今の時期ならきっとそこに違いないと確信していた。
そして向かった先の桜の木の下に・・・彼がぽつりと立っていた。
はらはらと舞う桜吹雪を纏って幻のように佇んでいた。
声をかけるとこちらを振り向いたきり呆然とした様子でいる。
「君が今でも時々ここを訪れているのは知っていたよ。だから君はまだ・・・ここでのことを忘れてないなら、私のことを忘れないでいてくれてるんじゃないかと思ってたんだ」
なんて勝手な言い分だろう。
「私は一時も忘れられずにいるよ。君のことを・・・」
聞こえているのかいないのか、手の届くところまで近づいてもぼんやりとしていて逃げる気配もない。
未だ小柄な身体をそっと押して大木の幹にもたせかけてもなすがままなのをいいことに、片手で顎を掬うと焦点の合わない様子で顔をこちらへ向ける。
目の前にいるのに自分が見えていないかのような表情に、焦れて唇を寄せた。
自分に意識を向けて欲しくて。
けれど――
「・・・違う」
唇が触れる寸前で顔を背けられ否定の言葉を耳にして絶望する。
もうとうに気持ちは離れてしまっているということか。
それも仕方ない。気持ちは残っているとわかっていたのにあの時離れていく手をそのまま見送ってしまったのは自分の方だ。
何故あの時すがってでも掴まえておかなかったのかなどと、今更考えたところで後の祭りでしかない。
うちひしがれてそっと体を離そうとしたその時、襟元を掴まれぐいと顔を強く引き寄せられる。
「違う・・・あの時はオレの方からしたんだ」
背けられていた目が今は正面から食い入るように強い光を放って向けられていた。
ずっと避けるように逸らされていた視線の先が、今は自分であるという、自分でしかないという事実を認識して心が歓喜する。
「これは夢なのか。オレは夢を見てるのか。それでもいい」
子供のようにひたむきに見つめてくる金眸の奥には黒が深く灯っていて。
そして懐かしく愛しい唇が噛みつくように降ってきた。
******
視界に映るのはひたすら金と黒。その闇色が愛しい人の瞳に映る己だと気づいた瞬間の感動をきっと忘れることはできないだろう。
唇が触れる寸前までお互い合わせていた目を閉じながら、泣きそうな気持ちになるのを止めることはできなかった。
目の前にある小柄な体躯を抱き竦めて、今度こそずっと手を離すまいと固く心に―桜に、そして彼に―誓った。