ワルプルギスの夜を越え 3・二人の聖処女
なだめる手で肩を押し、立ち上がってしまったナナをもう一度ベッドに座らせると
「私達のような孤児はその信心を試される。貧しさや寂しさに負けてしまわない?そういうものに惑わされてしまわないか?だからこそ与えた力を正しく使い魔女を駆逐するのが務めなのよ」
二人の会話を聞く赤い眼は何も言わない
ナナは黙ったまま下を向く
「ナナ、後は願うか願わないか…願う事でマリア様への信心から奇跡は起きる。私ナナには奇跡は必要だと思っていたの。その願いの代償として貴女が私に変わって聖処女になってくれないかと………でもわかったわ」
俯いたままのナナ、言葉はなくても強く拒否を示しているはわかる
相手の強い意志を確認したようにアルマは窓際の星をおいながら語った
「私、祭りが終わったらラルフのところに行くの、知ってるよね」
羊小屋に住む少女達の中、家長であるアルマは今年の冬を越す祭りが終わったら、町一番の商家の次男坊ラルフの元に嫁ぐ事が決まっていた
教会が中心の町だが、平穏な時が長く続き権威だけでは統治はうまくいかない
教会の押す信心だけでは人の繁栄は得られないのと、それでも強い教会の威光に取り入りたい貴族以外騎士以外の階級者達を繋ぐ嫁として
寂しげな瞳が窓の外を見つめる
「ラルフの事は好きでも嫌いでもないわ、だけど教父様があってマリア様の教えがあって私は今日までここに居られた。だから勧められるままに嫁ぐわ。でも私が嫁いでしまったら誰がマリア様の意志を継いでくれるのか………それだけが心配なの」
ナナは黙って聞いていた
アルマは窓にもたれかけた姿勢で
「ナナ、先に謝っておくわ。今まで貴女に無理強いをしようとしてごめんなさい。そして私がもう一つの考えを実行するために貴女に迷惑をかける事を許して欲しいの」
少し潤んだ瞳の前でナナは答えた
「リーリエに会いに行くの………」
「そう、リーリエをここに戻してもらうの。私が嫁げば家長が居なくなるでしょ、リーリエのした事は………まあ今となっては些細な事。きっと許して頂けるはず。私に代わりリーリエが戻り………マリア様の意志を継ぐ、これならばきっと神様もマリア様も許してくださるし、教父様も家長の必要を知っているから許してくださるわ」
十分に考えた行動である事をアルマは告げると申し訳なさそうに
「ただね、私が修道院を訪ねるって事は…」
「身代わりがいるって事だね、任せて」
危険な道とわかっていてアルマが一人で修道院に行く事など誰も許さない
ましてや教会の威光を求める商家との縁談は、教会の財力を助ける大切な婚儀でもある。
そのコマとして決まっている娘を今更手放しにはできない
もちろんアルマが結婚を嫌って逃げるような事はないのだが、悪い先例としてリーリエが縁談を踏み倒しているのを鑑みるに面倒が多くともきちんと手順を踏んで会いに行きたいと申請するのが上策。
これは願いだから、孤児の家長が次の家長を指名する大事な願い
アルマとリーリエは無二親友だった事を考えれば嫁ぐ前の最後の願いは無下にはされない
会いに行き、リーリエの悔い改めるという意思を拾う事、それを教父様に伝える事。これは信心への回帰でもある行為。
伝導の意を思えば許さない訳にもいかない
後は修道院に行けると決まれば護衛のために商家から数人の共、そして何かあった時、その場に置いていける者が必要となるかもしれない
赤毛の眉をしかめ言いにくそうに口ごもるアルマの顔にナナは明るく答えた
「アルマ、私は大丈夫。そういう所から逃げる方法も良く知ってる。その仕事は付き合わせてもらうよ。だから気にしないで」
自分のできる事で手伝のには前向きに言う
野山を歩くのに適切な知識を持っている事も誇りで、それをアルマが評価してくれている事が誇らしかった
「危険な道のりよ。魔女もでるかもしれない、もちろんその時は私が助けるけどね」
「それはお任せ。でも獣がでたら任せて、追い払うのはお手の物だよ」
手首に着けた黒曜石の火打ち石を回して見せる
「やつらは火を嫌うからね、振り払ってあげる」
苦笑いのアルマ
二人は手を握り前向きな決断に対して賛成をした
その姿をキュゥべえは不思議そうに見ていた。
翌日アルマはリーリエに合うための願い出のためヨハンナに付いて教会の堂内に入った
普段はアルマでもここに入る事は許されていない、ここに入るにはヨハンナのように聖書の知識をそれなりに持っていないといけないからだ。
堂内はグラス・マレライを通して得られる光で明るい空間を作っている。逆に建物の両翼を暗くし説法の壇上を浮かび上がらせるように作られた場所は神の御座を演出していた。
いつもなら神聖にして静かすぎる場所。
そこに響く鳴き声
アルマとヨハンナは昼を知らせるカリオンの音を聞く前に用件を済ませたかったのだが、3日前より泊まりに来ていた貴婦人の泣き声で事を簡潔に済ませる事は出来なくなっていた。
貴族を押しのけて自分の用事を教父に告げるなどできない事、ヨハンナの注意もあり二人は教壇のとなりにある部屋でしばらく婦人の泣き声を聞かされる事になった。
そしてカリオンが昼を知らせる音を響かせる頃になっても、婦人の遠慮のない泣き声は止まる事なかった。
「…鐘の音に合わないわね」
祝福を告げる天使のラッパを模しているカリオンの音の中、混ざる悲壮の声をアルマは聞き苦しいと零した。
泣き続ける婦人の姿を横目に長くなった待機にため息を落とすアルマに、涙の理由をヨハンナ簡潔に告げた
長すぎる時間でアルマがイライラしているようにも見えたからだ
「北の港からいらっしゃった貴族様です。流行病とかは無かったのですが…10日前にお嬢様が急に亡くなられ、お嬢様に使えていた侍女も何人か後を追うように一緒に亡くなっていたそうで…」
澄んだ音が泉に綺麗な波紋を残すから美しいと感じるのならば、教父様の腕にしがみつき泣き叫ぶ少し太めの貴婦人の声は波紋を歪ませる濁音の響きを持っていた
死によって自分より先に逝ってしまった娘を想う母の心にアルマも落ち着いた返事をした
「そう、それならば仕方のない事ね…辛い事ですものね」
辛い事といいながらも孤児であるアルマには母の涙の意味など理解の範疇になかった
ただ、それほどに悲しくても肥え太った身を持っている姿に不快感を憶えただけだった
「あんなに食べていても悲しいのね」
誰に言うでもなく、長くつづく嗚咽を聞き続けた
「悲しみに目方は関係ありませんよ」
おかしな事をと真面目な顔で口を挟むヨハンナに
「そうね、減るのは心ばかりだものね」と、細くした青い眼で伝えた
「そう減るのは心よ、体なんて飾りだもの。貴女は正しい事を言うけど…随分と奥様を見下げた態度をするのね」
オリーブ油を髪に湿らせ黒の小さな髪止めを着けた少女は、いつの間にか二人の前に立っていた
目の色も黒く、細くそり上げた眉毛の視線は明らかにアルマを睨んでいた
歳の感じはアルマと同じぐらい、日焼けのない白い肌と苛立ちを存分にしめした桃色の唇
「失礼しました。どちら様で」
作品名:ワルプルギスの夜を越え 3・二人の聖処女 作家名:土屋揚羽