アリス振り回される(後編)
「エリオット様だけじゃありませんよ~。ディー様も、ダム様も、ボリス様も呪われてますよ~。」
「え?」
「ほら、ご存知ないんですか? 舞踏会の深紅の魔女ですよ。」
「あの方は、何処のご令嬢なんでしょうね~」
「街では、ブラッド様と消えたって話になっているみたいですよ~」
「ああ、ブラッド様は舞踏会出ていらっしゃいませんからね~。あのご令嬢もとても急いでいらしたから、そう言う事になってるんでしょうかね~」
「ブラッドって舞踏会出てないの?」
アリスは生地を三つに分け、プレーンとチョコチップと人参の三種類を作る。冷蔵庫で生地を休ませながら話の続きを聞く。
「そうですよ~、途中でエリオット様に何かご指示されて、別行動でした~」
「私たちは、アリス様を迎えに行かれるのかなって話していたんですよ。」
此処で、視線がアリスに集まる。返答に困るが、取り敢えず、そうねと言って笑って誤魔化した。迎えに来たと言うか、強制連行の間違いだろうと内心突っ込みながら。しかし、人の話と言うものは中々に面白い。真実に当らずとも遠からずというところか。
「あの、舞踏会の次の時間帯にボスにお茶をお持ちしたら、赤い扇子をお持ちで、何か独り言を仰っていらしたんですよね。あっ!絶対に此処だけの話にしてくださいね。私、殺されちゃいますから・・」
ここで他の役持ちの話題になる。皆アリスに気を使ってくれているのだろう。真実を言えないアリスはメイド達の気遣いが痛いほど解り、ありがたいと思う。
スコーンを成型するとオーブンに入れる。その後、アリスが留守の間にお茶の時間があればこれを出すようにお願いすると、領地外へ出かけた。
時計塔のユリウスに会いに行くと、相変わらず無愛想に、用も無いのに来るなと言われた。来る途中で買った新しい豆でコーヒーを淹れる。
「68点」
流石、相変わらず厳しい採点だ。暫く他愛も無い話をしてから暇を告げると、呼び止められた。
「帰るのか?」
「ええ。」
「そうか、気をつけてな。」
知らない人が聞けば普通の挨拶にしか聞こえない。でもユリウスは気付いている。アリスもこれが特別な言葉だと気付いている。最後にユリウスの顔を見ると、無理し過ぎちゃ駄目よと笑って言ってドアを閉めた。階段を下りながら薄っすらと涙が出る。ユリウスには感謝しても仕切れないほどの想いがある。改めて此方に来てからの時間の重さを思い知る。
時計塔の近くのケーキ店でイチゴのタルトを買う。今から城へ、ビバルディに会いに行く時間は残されているのだろうか。先が全く読めない為か気が焦る。城に向かう前にもう一つ気がかりなことがあった。
「これは?いつものスコーンではないな。どうした?」
「はい。アリス様がお出しするようにと仰られましたので。」
「ふむ。それで、本人はどうしている。」
「お出かけになられました。お出かけ先は特に告げていかれませんでした。」
「そうか。エリオットを此処へ呼んでくれ。お茶をもう一人分追加だ。」
メイドは一礼すると下がる。ブラッドは暫し考えていたが、手元の書類に目を落とすと意識を仕事に戻したようだった。少ししてノックの音がする。エリオットが顔を出した。何時もの赤いソファに腰掛けると、メイドがタイミング良く紅茶を運んでくる。
「お!このスコーンってもしかして・・・」
「人参スコーンでございます。アリス様の。」
メイドが言い終わる頃には半分以上消えていた。ブラッドは早速用件に入る。
「エリオット、そろそろ私の右腕に復帰してくれないか?」
「ブラッド、俺は何時でも準備出来てるぜ!」
「呪いはもう良いのか?」
ブラッドが意地の悪い笑い顔で聞く。
「このスコーン食ったら解けちまった。」
ニヤリといつものエリオットらしく笑う。
「それは良かった。では、出かけよう。」
「ペーター!?」
「持っていました、アリス。」
いつかの古家の紅茶店の前に城の宰相が居た。如何して此処にと聞く前に急かされる。アリスの手を握ると歩き出した。その手を引っ張り返す。
「待って、私もう一度此処へ・・」
「駄目です。もう時間が有りません。」
その言葉にドキリとした。時間が無い。ペーターは知っているのか。後どの位で私がこの世界から消えてしまうのか。その言葉に引きずられるように歩き出す。ペーターの歩くスピードに合わせて小走りになる。
ブラッドは時計塔近くの広場で立ち話をしていた若い娘の話を通りすがりに聞くと、帽子のつばに手を当てながらにこりと笑う。
「失礼、お嬢さん方。城の宰相閣下が何処に居られたか、是非私にも教えていただけませんかな?」
先日のアリスと共に入った例の古家の前に急ぐ。古家の前には既に宰相の姿は無く、ブラッドは真っ直ぐ先に進む。住宅街を抜けると森に続く小道になっている。ブラッドとエリオットはかなりのスピードで走っている。その視線の先に小さく人影が見えてきた。
「あれだ。」
エリオットは携帯していた銃を抜くとますます速度を上げる。あっという間に人影は小指の先程の大きさから、頭部にウサギの耳を生やした赤い上着の男と抱かかえられたアリスの影だと判別できるまでに接近する。その足元を狙って発砲する。軽くかわしながら逃げてゆくペーター。だがもう逃げ切れるようには見えない。行く先はハートの城の城壁で遮られている。
走りながらの数回の発砲で、動きを止められなかったエリオットは、一瞬止まると足元に狙いを定める。次の発砲音と共にペーターは片足を庇うような動きになった。
満足そうに笑うエリオットは、しかし次の瞬間目を擦る。
「あれ? あいつらは・・・」
「はぁ、逃げられたな。エリオット、狙いは良かったが、残念だったな。」
二人の消えた城壁の辺りを拳で幾度も叩きながら、隠しドアでも探している風のエリオットにブラッドは声をかける。
「帰るぞ。」
帰路、ブラッドは殆ど口をきかなかった。何事か集中して考えているようで、エリオットは頭を掻きながら、無言で歩くボスの顔色を時々窺う。せっかく連れ帰ったアリスを、再び目の前で攫われてしまった。隣を歩く上司が、自分の知る限りにおいて今までで一番執着を見せている女をだ。
エリオットの中では、この男は刹那的な快楽はとことん追求するが、その対象に執着はしないというイメージがある。それを覆した女にどれ程の思い入れがあるのか見当すら付かなかった。
大きく溜息を吐くと、空を仰いだブラッドが言う。
「何時の間に夜になったんだ・・」
時計塔と帽子屋の領地の中間辺りで時間帯は既に変わっていたのだが気付いていなかったらしい。
「おい、エリオット。魔女でも探しに行くか。」
「へ?」
「ふむ、お誂え向きに夜か。久々にパーッと行くか。」
「おおっ! ブラッド、本当に久々だなっ!」
二人は夜の帳の中消えて行った。
☆ 7.アリスの選ぶ世界と幸せ
脚を撃たれたペーターは城壁をすり抜けると、アリスを下ろしてしゃがみ込んだ。
「ペーター! 大丈夫? 脚見せて。」
「駄目です。貴女が汚れてしまう。」
「何言ってるのよ!」
作品名:アリス振り回される(後編) 作家名:沙羅紅月