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あやめ@原稿中
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【サンプル】accele rando【新刊】

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 一緒に一つの物を作り上げていく過程で、お互いの意見を出し合い折り合いをつけながら、課題曲に徹夜して歌詞をつけた事は記憶に新しい。あの時は本当に大変で何度も心が折れそうになった、そんな時いつもタイミングよく砂月が何かしらの理由をつけて短い休憩時間を設けてくれたのだ。勿論砂月はそんな気遣いをしたとは一度も言わなかったし、分かりにくい砂月の気遣いに翔が気付いたのは課題が片付いて暫くしてからの事だった。
 普段はぶっきら棒で冷たく見える砂月の、行動や言葉の節々に感じた優しさや温もりは、仕上がった歌詞にも表れていて言葉では言い表せない深みを作りだした。先生方の評価も高く、何かと言い合いになりながらも、最後まで頑張ってよかったと思えた数少ない体験の一つだ。
「………少し顔を合わせただけで知った風な口を聞くな? そんな経験一つで何が分かるんだ」
 しかし翔にとって貴重な体験であった筈の出来事は、砂月にとってみれば些細な事、そして大した経験ではないという。今まで見てきた翔の砂月像を壊すかのような発言は、翔の心を凍らせるには十分だった。僅かながらも垣間見た砂月の中にある世界は、全て偽物だったのだろうか。いいや、そんな筈はない。
「分かるさ、仮にも音楽に関わっている者同士、詞から想いや癖を読みとるなんて出来て当然だ。ここにいる誰よりも早く俺はお前と会ってるし見てきた。だから尚更、俺はあんなにいい詞を書くお前が、わざと汚い言葉ばかり使って人を貶している事が我慢ならねぇんだよ! 例え相手が俺でなくてもだ!」
 例え貶している相手が自分でなくとも、本当は優しい言葉も、それを使うだけの知識もある人間が、わざわざ酷い言葉を使って相手を傷つける、その事がどうしても翔には理解できない。何故自分から歩み寄ろうとしないのか。
もし自分が逆の立場だったなら、皆ともっと関わりを持ちたいと思うだろう、誰しも一人は辛いものだ。自分をもっと理解して欲しいと望むだろう、砂月の様に人とは違う存在ならば尚更。だからこそ理解できない、翔ならば間違っても相手を罵倒する様な言葉は使わない。
「綺麗事ばかり並べるな、俺はお前とは違う。そんなに俺の言葉が気に入らないなら、俺を納得させられるだけの演奏をしてみろ」
 確かに二人は生まれから育ちまで決定的に違うだろう、人はそれぞれ違う個性を持ち、違う環境で育つ。人生における全ての経験が人を作り、個々を確立させていく。
砂月は個々の違いを盾に、翔の言葉を跳ね除ける。綺麗事ばかり並べるな、罵倒されたくなければ、それだけの実力をつけろ。嘲笑を含む言葉の中に、砂月の本心は見えてこない。何故彼はこれ程までに他人を遠ざける言葉を使い続けるのか。一度は近づいたと思っていた砂月の心は思いのほか離れていたのだ。
「…………」
「………」
 対話の糸口が見つからないまま、互いにこの時間を無駄だと感じ始める。根本にある価値観が違うのだろうか、見ている世界が違うのだろうか。平行線を辿るだけの会話は既に会話として成立しないレベルにまで至っていた。
 もういい、疲れた。罵倒されるたび翔の心の中で囁かれていた言葉が遂に口を割って出る。
「もういい、今回の課題は捨てる。やりたいなら一人でヴァイオリンも弾けよ」
 これ以上二人で練習していて何かを得られる気がしない、ましてや気分を害するだけで本当に課題曲一つでさえ、まともに形にする事ができそうになかった。何より一度は近くにまでこれたと思っていた相手に突き放されたのが翔は辛い。
歩み寄る気配のない砂月にいい加減愛想がつき、翔は手に持ったままだった弓を緩め始める。
「逃げるのか?」
「―――なんだと?」
 黙って様子を見ていた砂月が口を開き、腰掛けていた椅子から立ち上がる。その表情は普段の他人を嘲笑うものではなく真剣で、しかしながら瞳の奥氷の様には冷たい。
「お前が個人の課題を投げると言うなら勝手にすればいい、だがこれは那月とお前で完成させる課題だ。当然発表本番は那月を出す、その時にお前がいなかったら那月はどう思う? あいつの事だ、当然自分を責めるだろうな」
 砂月の言葉にハッとした翔は思わず弓を握る手に力を込めてしまう。
確かに、この課題が翔個人の物だと言うなら、真剣に取り組もうといい加減にしようとも自由だっただろう。しかしペアを組んで一つの作品を仕上げるとなれば話は別。勝手に課題を投げ出すというのは、自分だけではなく相手にも迷惑がかかる行為で、例え事の問題が砂月にあり、更生の見込みがないしにしても、那月の為には勝手に抜けるという行為、それだけは絶対にしてはならない。例え本番は翔が現れて一緒に弾いても、那月程の耳の持ち主ならどれくらい課題曲に対して練習を重ねたかなんてすぐに分かる。なかなか合わない二人の演奏を聞いて、練習をしていなかったと知れば酷く落ち込む事だろう。
「那月も捨てるのか? お前」
「……………」
 結局自分の事だけに必死すぎて周りを見れていなかった。那月を捨てる、そんなこと、できるわけがない、捨てられるわけがない―――。
 いつもは邪険に扱っているかもしれないが、なんだかんだ言いつつもたった一人の大切な幼馴染を捨てるなんて事が、できるわけがない。咄嗟に言葉のでない翔を、いつもの様に砂月が鼻で笑う。捨てられるわけがないよな、そう言いたげな視線を受けて初めて翔はこれまでの会話の意味を理解する。
 初めから分かっていたのだ、どんなに酷い扱いをしようとも酷い言葉で罵ろうとも、翔は那月がいる限り逃げ出さない。分かっていたからこそ砂月は、態度を改める事も我を曲げる事もしなかった。この一連の言い争いの結末は最初から砂月の手の中にある。
「明日からも練習は続ける。いいな?」
 踊らされていた。そう気づいた翔は何も言う事かなわず、ラックにかけていた帽子を掴み、静かに部屋を出て言った。






 「違う! 32ページ42小節目、スラー切れてんだろうが! 流して弾いてんじゃねぇよ、初歩的な事言わせんな」
「分かってる! くそ、もう一回だ!」
 二人で合わせながら課題を弾く事は止めたらしい。砂月は翔が弾くヴァイオリンの音に耳を傾ける。まずは翔のヴァイオリンのレベルが、砂月のヴィオラに埋もれない程度まで上がらなければ話にならない。そう結論付けた砂月は自分の楽器は持たず、椅子に腰掛け、一人黙々と弓を動かす翔の音を、時折止めながらアドバイスをしていく。多くの指摘を受けた翔の楽譜は、砂月の赤鉛筆によって細かく書かれた注意書きで真っ赤だ。
「何度も言わせんな、休符は休みじゃねぇんだよ、次の音の準備をしろ。緊張を解くから生ぬるい音しか出ないんだ」
 何度も何度も繰り返し同じページを練習する。砂月が次の指示を出すまでは永遠と。あまりに翔が弾けないと砂月が横から楽器を取り上げ楽譜を声に出して読ませたりもした。
「この音はなんだ」
 今回もまた、翔が同じ所で間違う為に砂月が楽器を取り上げて譜面を眼前に晒す。
 間違った場所には、既に何重にも赤い丸が書かれており、そこを指さしながら砂月が厳しく翔を追いたてる。
「シの……フラット」