鉄の匣
並盛の一つ手前の駅で男女の二人組が乗ってきた。彼女であろう女性が山本の隣へ腰を下ろす。どうせ後一つだし、そう思って山本は獄寺の荷物を持つと席を立った。あ、スイマセン……、そう云う彼氏であろう男性の言葉に、いつもの人受けの良い笑顔を浮かべ、会釈で返す。獄寺の隣にやってくると、山本は夢中でガラスにへばりついている子供のような彼の肩にバックを軽くぶつけると、ほれお前の、といって荷物手渡した。お、わりぃ。獄寺は荷物を受け取ると肩に掛ける。きっとまたずり落ちまくるに決まってる、山本はそう予想してちいさく溜め息を吐いた。お前ほんと電車好きなのな。山本が呟くように云うと、あぁ? だって格好良くね? 電車の運転手って一度は憧れるよな、獄寺はそう返す。そうかぁ? という山本の言葉を聞くと、あぁ悪かった、お前野球バカだもんな、聞く相手が間違ってた、と溜め息を交えからかうように獄寺はちろりと山本を見やる。そう云うお前だってツナの右腕右腕って、右腕バカじゃん。山本がわざと怒ったフリで云うと、なんだそれ? と呆れた表情で聞き返し、一寸考えてから、まぁそうかもなと答えた獄寺の様子は満更でも無さそうだった。
ザザザーと云う雑音の後に車内に少しくたびれたような声で車掌がまもなく並盛に到着することを告げる。其れを聞いた途端、山本の顔から笑顔が消えた。それに獄寺は気付かない。オレ電車がホームに入ってく時を中から見んのが好きなんだよな、あの迫ってくる感じがおもしれぇ。無邪気に話し続ける獄寺の隣で、山本はどんどん自分から血の気の失せていくのを感じていた。大丈夫、大丈夫だ。だってもう随分昔のことじゃないか。そう云い聞かせ何とか前を向いて立っていた。どくん、どくんと耳に心臓があるんじゃないかって云うくらいに鼓動が耳にまとわりつく。大丈夫、大丈夫、と呪文を唱えているというのに、其れを裏切るように嫌な汗が滲み出てくる。気が付けば手も震えだしていた。見えてきたっ、獄寺の声に一瞬ビクリと体を震わせる。もう一度、大丈夫と言い聞かせ前を見やったが、ホームが間近に迫ったところで思わず、声を上げそうになる。山本は慌てて自分の口を押さえると、空いている方の手を胸の前で握りしめた。電車がホームに滑り込み滑らかに停車する。うっ、と一瞬呻いた後、電車のドアが開いても俯いたままの山本を、おい、と獄寺が促してやっと二人は電車を降りた。ここでようやく獄寺は山本の様子がおかしいことに気付く。口に手を当てたまま青い顔で俯いている山本。普段見ることのないただならぬ様子に流石に獄寺もちゃちゃ入れることなく本気で心配する。酔ったか、大丈夫か。そう尋ねる獄寺に、わりぃわりぃ・・・平気だって、と山本は返したが、結局無理矢理ホームのベンチに坐らされてしまう。お前・・・すげー汗かいてんじゃねぇか、マジで大丈夫かよ。本気で心配する獄寺に山本は酷く歪んだような顔で笑ってみせた。
こわかった。ぼそりと吐き出すように呟かれた言葉に、え? っと云ったまま獄寺は止まってしまう。ベンチに腰掛け、腿に腕を預けて俯いたが、その様子とは反対に淡々と山本はしゃべり出した。お前嗤うかも知んないけど、オレさ、さっきお前が好きだって云ってたやつやるのがこえーんだ。運転席の窓からホームに入ってくとこ見るってやつ。昔さぁ、まだ小学生の時。やっぱオレも好きだったよ? 運転席覗くの。で、覗いてたわけ。そしたらさ、何の因果かその列車に飛び込みがあったのな、オレが覗いてる前で。びっくりしたよ、突然女の人が横から飛び出してきて。不思議にさ、スローモーションみたいになんのな。そんで一瞬その人と目があったんだ。うっすら笑ってた。嘘だって云うかも知んねぇけど。そしたらすぐに、ドンっていうかバンって云ったらいいのか兎に角でっかい音と衝撃がして……。電車が停まって外に出たときな、ちょうど負傷者搬出した時だったらしくてビニールシートの隙間から血だらけの腕が見えたんだ。あ、この人死んだんだってすぐ分かった。病気とかじゃなくて人が死ぬのとか初めて見て、しかもガキだったからすっごいショックで。何より、あのうっすら笑いかけられたようなあの顔が忘れられないくらいこわかった。それ以来トラウマでさ。もう治ったかなって思ったけどダメだったわ。
山本は一気に話すと顔を上げて、無言で聞いていた獄寺にむかってごめんなぁ、と謝りながら笑った。・・・・・・なんで謝んだよ。悪いことなんか何もないのに自分に謝る山本が、気の毒のような腹立たしいような。獄寺は何とも云えない気持ちにもどかしさを覚える。だんだんと頭がぐるぐるしてきて、獄寺は山本に向かって怒鳴った。そんななぁ、トラウマってのは簡単になおりゃしねぇんだよ。人間向き不向き好き嫌いあるだろうが。お前いつもそうだよ。何にもない顔で無理したり、泣きたいのに笑ってたりさ。他人のために何で其処まですんだよ。だいたい、なんで無理矢理オレに合わそうとするんだよ。もの凄い剣幕で怒鳴りつけられて山本は一瞬たじろいだが、いやぁーお前が嬉しそうだったから……オレ其れで良かったんだ、そう云って笑った。其れを聞いて獄寺は目を点にしたが、すぐに嬉しいような泣きたくなるような、また訳の分からない感情に飲み込まれて戸惑ってしまう。とりあえず、十代目にはお前も格好つけたいだろうから云えなくても、オレには何かあればワガママとか云えよ、なんとかしてやらなくもねぇ。まだ少し怒ったような獄寺の言葉を聞いて、山本はきょとんとしたが、すぐに、おー、と返事をしてにっこりと笑った。
すっかり落ち着いた山本は、お前『も』、と云った獄寺のことばが可笑しくて小さく笑ってしまう。あー獄寺はいつもツナの前で格好つけてんのなぁ。それを見て、何だよ、と少し頬を赤くして獄寺が睨んだが、何でもないと嘘を吐く。其処へ上りと下りの快速電車の通過を知らせるアナウンスが聞こえた。其れを確かめると、山本は獄寺に、早速ワガママしていいかと尋ねる。何だよ、と云う獄寺に山本が答えた時、快速電車が通過し始め声が騒音に掻き消されてしまった。聞こえねー、声を聞き取ろうと獄寺が山本に近づいた瞬間、思い切り襟を引っ張られる。通過する上下の快速電車の狭間が一瞬だけ分厚い鉄の塊で遮られた部屋になったような錯覚に捕らわれた。