ワルプルギスの夜を越え 4・災厄の実と魔女の卵
貧しいというものとは違い、貧しくなくてもやましい部分の多い生活だった事を淡々と語る。
「騎士団にいるって事だけが自慢の家だったわ…まあそのおかげで奥様に拾っていただけたのだけどね」
世の中は未だに不安定ではあったがかつて程に騎士が幅を利かす時代ではなくなった
戦いの仕方が変わった*2結果
一騎当千などというものは通用しなくなり、騎士団に所属*3しているだけでは尊敬を得る事はできなくなった
それでも家名は大きかった。というよりも騎士団の一員を家臣に迎える事ができる事が大商人達のステイタスになった
「父親の元を離れられたのが一番うれしかったわ。粗暴な騎士くずれの家に来るのは似たような崩れ者ばかりで怖かったもの。心配していたお嬢様のお相手も、いいとこ貶されるのが役目だと諦めてたのだけど…お嬢様はとっても体の弱い方で、本当に友達を欲してらっしゃったの。奥様は病弱な子女より…他の子供を大切にしていたから本家との距離があって私達姉妹にとってはとても過ごしやすい所だったわ、そう仲良くやっていけたのよ…」
風に煽られて黒髪を乱す、細くした眼は感情をぐっと詰めて、何かを隠すようにしていた
「あんな事がなければ…ずっとそうしていられたのに…」
「お嬢様が亡くなった事ですか」
ヨハンナは沈黙が来るのが嫌だった
辛い身の上はどんな形であっても辛いし、痛みの度合いは測れない
その重さに沈黙してしまったらかける言葉を失ってしまう事を知っていたから
イルザは小さく首を振った。否定とも拒否ともとれない仕草の後
「そうね、死んでしまうなんて…思ってなかった」
黒い瞳が水色に歪む
「姉も…共に仕えた仲間も一緒に逝ってしまったわ。私だけが残ってしまった」
主家の娘の死に殉ずる
ヨハンナには騎士の家にはそういうものがあるのだうかと、口をつぐんだ
励ましなど言えない雰囲気に押されて、屋根を走る霜の破片を見つめた
「ヨハンナ…教えて欲しい事があるの」
耳に風鳴りを聞いて次の言葉を考えていたヨハンナに尖ったイルザの目は聞いた
「数日前、東の方で窃盗団の馬車が転倒する事故があったでしょ。その時の事何か聞いてる?」
急に転換された話だったが、その話題はエラから聞き及んでいた事だった
話しを続ける事が励ましと信じヨハンナは聞いた噂を語った
雨上がりの東の方で卵泥棒の馬車が転倒し、狼に襲われたという話しを
イルザは右手を顎の下に添えてきつく尖らせた目のまま聞いていた
「ねえ、その時の卵…残っていなかった?この町の誰かが持ち帰っているとか、そういう話しはなかった?」
「いいえ、卵は全部割れてしまったのではと…そうそう、その卵ってのは食べられないもので、オースタン(Ostern)*4の卵だったのではと、ブルボンの貴族様に売りつけようとしていたとか…詳しくはしらないのですけど、現場は後片付けをするのが大変な程馬車も荷物も壊れていて…共に壊れてしまったのかでなかったという事です」
「卵…」
無かったという言葉にイルザは目を閉じてヨハンナに背を向けた
「お嬢様の宝だったの…」
イルザの見つめる方角には山頂を曇らせた東の方が見える
何度か口に上る息を食いしばった歯で押さえている音がする
「ヨハンナ、こういうものを見た事がある?貴女の身近に」
小刻みに震えていたイルザだったが、クルリと振り向き自分の手の中にあるものをヨハンナに見せた
それは銀の装飾が施された hellblau ヘルブラウ(水色)オースタン(Ostern)の卵だった。
普通は殻の部分に施された絵画や幾何学模様のある部分が、透明な宝石のように青く光って深い揺らめきを見せていた。
まるで湖水の水を封じ込めたようにきらめく宝は、今まで見た事のない美しい卵だった
「…綺麗…初めて見ました」
ため息のでる美しさに、ヨハンナは我を忘れていた
今まで、お互いの苦労話をしてきた事など風に吹き飛ばされてしまう程のショックを受けていた
美しすぎる宝石の卵に顔を近づけ、揺れる輝きをただ呆然と瞬きを忘れた見た
「これをお嬢様も持っていらしたのですか?」
うっとりと輝きを追う目で聞く
「そう、これと似た感じで色が違うの。ベルンシュタイン(琥珀)のように輝く黄昏色の物。それがお嬢様の宝だったの」
ヨハンナは胸を押さえて、首を振った
「こんな美しいものならば…誰かが持っていても不思議ではないと思いますが…ここは教会の町です。事件が奥様の町のものから来たのであれば皆解っています。決して自分の物にてしまう人など…」
いないとは言い切れないが、事件があった翌日には町の男衆(おとこし)達が現場に駆けつけている事を考えるに、港町で起こった事件はすぐにこの町にも警戒されたしのお達しがあったと考えられる
教父様に宛てにその事が告げられていたからこそ町の男達も早く動いているとすれば…誰かがそれを奪ってしまうとは考えられなかった
ヨハンナの考えこむ青い瞳にイルザは一息ついて
「ヨハンナ、アルマはこれとよく似たものをもっていなかった?」
「アルマはそんな事しません!!」
窃盗犯はアルマ、ヨハンナにはそう聞こえた
急に血の気があがり目を釣り上げた
その姿にイルザは手を前にして首をふった
「わかってるわ、アルマそんな事をしない。こんなものも持ってない。そうよね」
クルリと手の平を返すと輝きの卵を隠すと、困惑の目を向けるヨハンナに言った
「こんなものを欲しがらないでね。ヨハンナ、こんなものを持ってしまったからお嬢様も姉も…仲間もみんな死んでしまった。これは災厄の実でしかないわ。だから貴女は惑わされないで」
不思議な言葉だった
アルマを疑われたという怒りより、イルザの悲しそうな顔が心に残った
風の中、イルザはもう何も語らず。ヨハンナもまた何も聞けないまま二人は聖堂に戻っていった
東の方にある修道院えの道のりは、山の背を登る行程に一日が必要となる
裾野までは平坦にして少しずつ登る緩やかな登坂路で、半日もあれば到着するがそこから先は荒行の道だった。
それでも岩屋戸は半日あれば登れる。でも無理をして一日の内に登ろうとすると、夜の山羊に遭遇してしまう事があり危険だ
山羊はおとなしい生き物だが、夕闇時に松明をもった人間に会うと驚いて、人を蹴落としに来る。
石屋度から落ちると大けがではすまない、ならば日中に登った方がいい
普段から羊飼いをしているナナがいるのもそのためだ
山羊も羊も音を介して導く事はできるので安全に登坂をするためには、少々早くてもここで一夜をすごした方がいい
一向は火を炊き、明日の登坂に備えて眠りに入ろうとしていた
「ありがとうアルマ、ラルフ坊ちゃんの嫁に来てくれる事を心から感謝しているよ」
たき火の前で集う人の中
粗末なフードど首回りを覆うのマフラーをした老人は節くれだった手でアルマの手を握ると涙を浮かべ頭を垂れた
「そんな、私の方こそ感謝してます。私のような孤児を名有る商家に迎えて頂けるなんて、思いも寄らぬ幸せです」
握られる手に感謝と握り返すアルマ
作品名:ワルプルギスの夜を越え 4・災厄の実と魔女の卵 作家名:土屋揚羽