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へなちょこマ王とじょおうさま 「5、別離」

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二択とはいっても、選べる答えは限りなくひとつに絞られている、そんな理不尽な選択のような気がする。
「主上?」
 そんな初めて聞く単語で呼ばれる筋合いはない。
 けれど、それが私を呼ぶ言葉なのだと理解してしまっている自分がいることに、足元が崩れさる白昼夢を見そうだ。
 心配そうに顔を覗き込んでくる彼女。乗りやすいようにだろう、背中を向けている白いオオカミも不思議そうに振り返る。その顔は可愛い、実に可愛い。ハッキリ言ってしまえば好みドストライクだ。
 だが、それとこれとは話の次元が違うと思うのだ。
 いくら可愛いからといって、愛らしくお願いすれば誰でも着いて行くと思ったら大間違いだ!…と教えてあげた方が彼女の将来のためにはいいのだろうか。
「主上、お乗りください。国へ帰りましょう?」
 新しい言葉が出た。
 お家は国規模ですか?この子はどんだけお金持なのでしょうか。お金があると、オオカミも飼えるのだろうか、影に入れてお散歩することも可能なのか。

 私は、混乱しながらも自身が地球に居てはいけない存在となってしまったことを、心の奥深い場所で感じ取っていた。
 彼女の言う通りに、彼女たちについて行くことが、正解なのだと。
 しかし、理性と感情とは別物である。
 いくら理性で理解しても、感情がついていかない。
 私には、この世界で得たものがあるのだ。なによりも、少なくとも簡単に捨てられるほど軽いものではない、大切な人々とのかかわりが、ここにはある。これまでの15年の人生で築き上げた人と人との関わりが。
 納得するには、説明を。
 明確な言葉で、私に教えてほしい。
何も知らない、無知な私に。
 そのために、人は言葉を編み出したはずだから…。

「説明して。…これは、どういうことなのかを。」
「はい。それをお望みならば。」
 彼女は神妙な顔をして、口を開いた。
 語られた内容は、私の柔らかいと思っていた常識意識でさえも驚愕させるには十分な事柄ばかりだった。
「あなたは、私たちの国、巧国の新たな王であらせられます。」
「王となられたからには、国へ帰り、王としてお仕事してください。そして残念ながら、王となったからには、もう二度とこちらに戻ることは叶いません。さらにいうならば、巧国は荒廃の一途を辿っております。時間はありません。」
「一国につき一人の王、そして一麒麟。私は塙麟、巧国の麒麟です。そしてあなた様は新しい塙王。ですから、王として巧国を救ってくださいますように、私がお迎えにまいりました。」
「王は玉座にいるだけで国にあらゆる幸福をもたらします。故に多くの民が王を望み、麒麟に希望を見出します。」

「これよりは、巧国にて天の命じるままに好き治世をお送りください。」

 茫然と立ち尽くしている私の目の前で、キラキラと輝く瞳に私をまっすぐに映し、塙麟と名乗った令嬢風の少女は語り続けた。
「それは、確かなの?…私が、王だというのは…?」
 信じたくない。
 私のこれからを、一生を決める大切なこと。それが近所の公園の、公衆トイレの裏なんかで聞かされたというのもとてもショックだけど、自分の力で得たわけでもない就職先が王様業だなんて、なんの冗談?

 確かに、私は裕福になりたかった。でもまさか、王様レベルまで裕福になりたかったわけじゃない。
 苦労して来た母さんを、楽にさせてあげたくて、小学生のころから家の外でバイトの真似事なんかもしてきた。
 けれど、小学校6年生のときにそれが近所のオバサン経由でばれて、一度大目玉をくらってそれ以来、ある程度年齢を誤魔化せるようになるまでは大人しく勉強や友達と遊ぶ時間に当てていた。
 片親のせいで馬鹿だとか言われたくなくて、母さんに嫌な想いをさせたくなくて、勉強も学年1番を取ることもあるほど頑張ったし、バイトの成果で、15歳で家はお店を開いているわけでもないけど、この歳にしては顔が広い。
 こうして築いてきた人との絆を、この少女は捨てろというのか?(人生を)
 今までたったひとりで育ててくれたお母さんを、忘れろというのか?(家族を)

 なにより、ついさっき、想いが通じたばかりの彼との絆を…?(愛しい人を?)

 裕福になっても、大切な人たちがいなければ意味がない。
 少しも経たない内に「帰りたい!」と泣きだすに決まっている。
国は人だ。
そんな女に、誰がついて来てくれるというのだ。
 人として未熟な王を頂くそんな王朝、治世いくばくも経たずして斃れるだろう。
 進むだろう未来を垣間見て、私は笑った。

私は、こんなことになるために、こうして破滅の道を歩むために生まれたのだろうか?
 生まれた同じ日に父親を亡くし、幼いころから貧しく母と二人きりで生きて来た。けれど、一度としてこの運命を呪ったことはない。
 私には母がいたし、愛されているという自信もあった。
 近隣の人々も片親の子供に優しく接してくれた。幸せだったのだ。
 なかには片親で貧しい私の家を馬鹿にする心ない人もいたが、いつも誰かが傍にいて、寄り添っていてくれた。
 私は、魂も精神も肉体も、決して孤独ではなかったのだ。

 しかし、この少女は私に、あたたかい故郷を捨てて、彼女の国を救えと言っている。そうしなければ、自分も私も近く死んでしまうと。
 死ぬのは嫌だ。
 けれど、故郷を捨てて、見知らぬ異世界に行くのも嫌なのだ。
 日本人特有の黒い瞳から、熱い雫が零れる。久しぶりに、私は子供のように涙を流し、大人のように声を殺して泣いた。
 どうすればいいのか、どうしなければならないのか、私は決めていた。
 私の心に同調するように、野球日和に晴れ渡っていた空が急激に曇り、大きな雨粒を落とし始めた。


 さようなら、いままで苦労をかけてごめんなさい。育ててくれて、ありがとうございました、…母さん。
 さようなら、おばちゃん、おじさん。いつも優しくしてくれてありがとう。
 …さようなら、そしてごめんなさい。
渋谷君。
たった数時間、…もないな。数十分だったけど、あなたと気持ちが通じたこと、幸せでした。

 乱れていた呼吸が落ち着いてきた頃、私は目を鋭くして一瞬で私の人生を変えた少女を睨みつけるように見た。
 睨んでいるのに、彼女は嬉しそうに笑う。濡れた金髪がキラキラと輝いている。
「私の命、あなたにあげる。…名前は?」
「わたしに名はございません。どうぞ“塙麟”とお呼びくださいますよう。」
「こうりん?…塙麟、巧の麒麟。」
「はい。」
 呼べば、嬉しそうに見上げてくる、私よりも幼い容姿の彼女、塙麟。
 彼女が、これからの私の母であり、恋人となるのだろう。
 そして、これから行く国こそが、私の家族となるのだ。
「行こう、私たちの国へ。」


 その日の夜は、大きな台風が到来したかのような空模様だった。
 風が荒れ、雨が地を叩く。
 普段は青く、荒れれば茶色の海もその日は月が海に映り込み虹色に鈍く輝いたり、渦潮よりも巨大で深い円を描いた柱が立ったりと殊更異様だったのだが、それを知る者はいない。