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へなちょこマ王とじょおうさま 「9、王としてできること」

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 私はどんな無茶をしても、みんなに豊かな国を見せれば納得して笑ってくれると思っていた。いつか豊かになった国を想いながら、復興に捧げた時間を想い、「あんなこともありましたな」って、お茶を飲みながら笑ってくれると…。
 独りで突き進んで、知らず知らずのうちにみんなを置いて行った。
その結果がこれだ。
 こんなにも想い、頑張ってくれる官たちの思いを、優しさを、何度裏切り、泣かせたのだろうか、私は。
「ご…、ごめ、っな、さい…」
 それ以上は言葉にならなかった。
 私は親の大切なものを壊し、それでも「怪我がなくてよかった」と許してもらった子供のように泣き出し、どんなに片づけてもいまだに書簡の束がのさばり続ける小さくはない机を迂回して駆け寄って来たレイリアにすがりついて泣いた。
 私の嗚咽混じりの鳴き声が、部屋中に響き渡る。
 もしかしたら、…いや確実に。部屋の外にも響いていただろう。せめて宮城中に響いていなければいいな。そんなことを後になって思った

「どうぞ、お泣きくださいまし主上。」
 頭を撫でる手が優しくて、あたたかくて、捨てたはずの故郷に独りで残した母さんを思い出して、また涙が溢れて来る。
 この時、ふと胸に蘇えった故郷への思いがさらに10年後、私と、塙和と、官と民たちを怒涛の渦へと巻き込んでいくことになるのだが、その時の私は心配させた官たちへの申し訳なさでいっぱいでそうとは思いもよらなかったのだったし、それはまた別の話だ。


「眠られたか?」
「はい。」
 静かに入って来たのは、禁軍左将軍という武官において最高の地位を、私の胸の中で安らかな表情でスヤスヤと眠りにつく少女王から賜った男性。
 私は彼の問いに頷いて、隣に歩み寄る彼に彼女の寝顔を、少し体をずらして見せて差し上げた。30年もの間眠らず、休まず、文字通り寝食を忘れて働き続けた私たちの王の姿を。
 主上の顔を認めると、アシュラム殿は安堵したように大きく、けれどあくまで静かに息を吐いた。この方も、何かに憑かれたように休まず働き続ける主上を心から心配して見つめて来た官の筆頭だ。主上の寝顔を見つめる表情も、ここ最近見られなかった穏やかさだ。
「巧の民を思ってくださることは素晴らしいと思う。けれどそのために主上に倒れられては意味がないのだ。」
「はい」
 そっと、アシュラム殿は主上のお顔にかかる髪を避けて差し上げる。
 恋人か娘、孫になされるように優しいその仕草が、いつも目にする無骨な将軍であるアシュラム殿のお姿とはかけ離れていて、なんだか面白かった。
 翠篁宮に召し上げられる以前、弟のように思っているパーンと彼とは敵同士であり、何度となく殺し合いをして来たと聞くが、その話からは想像もできない。
 主上を抱きしめているため、口元を隠せないが、それでも構わず笑い続ける私にアシュラム殿は眉間に皺を寄せて困った顔をなさる。
「…なにか?」
「いえ、…ただ、アシュラム殿のご様子が、なんだかとてもお優しかったので…つい。」
「……そうだろうか?」
「ええ。」
 無自覚だったのか、アシュラム殿はご自身でも戸惑われているご様子だったが、主上を見つめて「これだけ無茶をなされるお方だ。そうなるのも致し方ないだろう。」とおっしゃられた。
 それから私に両手を差し出すと、「とにかく横になって、ゆっくり休んでいただかなくては。」
 運んでくださるのだろうと主上のお体を預けた。殿方に婚前の少女であらせられる主上の御身をお渡しするのはいかがなものかとも思わないではないのだけれど、女の身である私に、寝殿まで主上の御身をお運びすること叶わぬのもまた事実。
 将軍は軽々と主上を持ちあげ、部屋を出る。その光景が、いささか羨ましく思われた。
 正寝へ向かう道を逆に進まれたので、まさかご自分の寝殿(へや)へ向かわれるのではないかとあらぬ疑念を抱いてしまい、眉間にしわが寄っているのを感じながら、どちらへ向かわれるのか尋ねると、アシュラム殿は穏やかに口元をほころばせた。
 将軍には似つかわしくない(と言ってしまうと失礼に当たるのかしら?)穏やかさに、眉間に浮かんだしわが消えていくのを感じる。
「台輔も心配されていた。主上が眠られているとお知りになれば安心されるだろうし、主上がお目覚めになられても台輔がご一緒であればお寂しくはないだろう。」
 ああ、この方はご存じだったのだ。主上がなぜ、休むことなく働かれたのか、その“本当の理由”を…。
「ご存じだったのですか?…主上が正寝に入ろうとなされないのは、独りきりになるのが寂しくてあられると言うことを」
 主上は、蓬莱のお生まれになったお宅で母上殿がお忙しい方だったらしく、幼いころから夜の暗い中、お独りで過ごされることがほとんどだったそうだ。幾度目かの「休んでください」こーる(と主上は呼ばれていた)をしたときに、話して聞かせてくれた一人の少女の物語。寂しそうな目で笑っておられたのが印象的で私の脳裏に鮮明に焼き着いた記憶。

「私は母と二人きりでね。王宮の正寝などより狭い家で暮らしていたが、それでも夜、独りで過ごす家は寂しかったし、怖かった。」
 お話くださるその時も、主上の頭と目と手は働いていた。
「それが王になったからと言って、いきなり『ここがあなたのお部屋です!』ってあの正寝でしょ?護衛や女官がいるといっても、あそこで独り暮らすのはつらいんだよ…」
 ほとんど、身体全体を動かして、書簡を片づける主上。
 寂しくて、独りになりたくなかった子供が、そこにはいた。
「主上…」
 なんと申し上げればよいのかわからなくて、私は呼ぶだけで口を閉ざした。けれど、後になって思えば、その呼称すら、彼女には孤独の象徴だったのかもしれない。
「ここなら、女官も護衛もずっと近くにいてくれるから、あんまり寂しくないし、こうして働き続ければ国は立ち直る、官たちも心配して夜が深まれば深まるほど声をかけに来てくれるから、不謹慎だけど嬉しいんだ!」
 付き合ってくれるあなたたちには、申し訳ないと思っているんだけれど、ね!
 疲れの色が濃いお顔で、それでもその笑顔は輝いていた。
 カタン、と軽い音を立てて、採決の済んだ書簡を置き、また新しい書簡を手に取る。この作業を、彼女はその時すでに5年続けていた。

「そのようなことがあったとは…」
「主上は、懸命に隠しておいででした。お話しくださったその後、わたくしだけに打ち明けるのだと、お笑いになられていましたから…」
 私の持つ灯りを頼りに仁重殿へ向かって歩いていると、前方にもう一つ灯りがともり、夫が立っているのに気付く。彼もまた、主上を心配していた官のひとりである。
「主上は?」
 もとより穏やかで静かな声を一層潜めて、夫は私たちに尋ねた。アシュラム殿が腕を動かして中の存在を見せる。
 穏やかな寝息を立てて(「すぴっ、すぴぴ…」)眠る主上に、夫も安堵した息を漏らした。その顔には優しい笑み。
「よかった…ようやく、緊張を解いてくださった。」
「はい。わたくしどもの気持ちを吐きだしたら、主上もお気持ちを打ち明けてくださいました。」
「…ほんとうに、よかった…」
 揺れる夫の声。