へなちょこマ王とじょおうさま 「12、新たな出会いと」
なにが、とは言わなかった。けれど、店主は主上の思いをくみ取り、穏やかな笑みを浮かべて深く頷いた。
彼は、大丈夫だ。人間としても、店主としても。きちんと生きていける。
「そっか。それじゃ、行くね!今日の内に船に乗りたいから!」
「ああ、本当にありがとうよ!」
「うん!」
お互いに大きく手を振って、二人は別れた。
前を向いて、主上は力強く歩く。
「峨城、…どの船に乗ればいいんだろう?」
…主上が大丈夫だろうか?
「船員に聞けばよろしかろう。」
「これはわかりにくいな。どこかに行き先と経由する港を書いておいてくれればいいのに。」
そんなものがあれば、確かにとてもわかりやすいだろう。しかし、この国での習字率はとても低いのだ。商業の国として成り立つまでに成長したこの巧国にあっても、国にとどまっているのはほとんどが字をあまり必要としない農民であるために、字を読める人間は読めない人間に比べて少ないのが現状である。商人はそれぞれ自身の船を持ち、こうした公共の船着き場を必要としない場合が多い。そこに行き先と経由港を書いた看板を設置したところで、誰が見るだろう。…他国や外界のものたちが見るか。しかし、他国からのものたちはともかく、外界の彼らはこの字が読めるだろうか。
「外界の扉が開かれて100年、双方の文化を学んできたから、字くらいは魔族と人間の使う文字を書いておけば読めないことはないんじゃないかな?それに観光案内所みたいな場所を設置して人をおけば字が読めなくとも理解できる。仙をおけば言葉は関係ないしね。」
口に出さなくとも、主上は私の疑問を正確に感じ取ってくださった。しかし、主上は声に出しているため、人々の視線が独りで話す主上へと向いてしまう。
優しく私の羽を撫でながら、主上は向けられた視線に恥ずかしそうにはにかんだ。子供らしく、「えへへ」と笑って誤魔化す。するとたちまち微笑ましい少女と鳥のほんわかした光景へと、人々の認識はすり替わった。
人間の精神とは、実に面白いものである。
考えている内に、私を肩に乗せた主上は近くにいたオレンジの髪と青空のような青い瞳を持った船員らしき格好の男に話しかけ、外界を目指すための手段を問う。
忙しかったようだが、男は手を上げて指し示しながらひとつの船を見た。
暗くて見えにくい(私には鳥目とかない…強がりではないからな!)が、芳国製のものだろうか。大きく、立派な装飾の施された客船だった。…立派だが、高そうだ。
「もうちょっと安そうなのはないかな?子供の一人旅だから、安く済ませたいんだ。」
そう言うと、男は笑った。からからと夏の青空のような爽やかな笑顔だった。(暗くて見えにくかったけど)
「嬢ちゃん、ここはフォーセリアでもっとも豊かな国、巧国だぜ?そんな安っぽい船があるわけがねえ。最低で、あれなんだ。」
爽やかな海の男は笑った。世間知らずの少女を、楽しそうに見つめて。そんな男に、私はフォーセリアの人間とは違うなにかを感じた。言葉では言い表せないが、違和感のようなものを。
「それにな、嬢ちゃん。そう簡単に一人旅だと言わない方がいい。嬢ちゃんみたいな将来有望な容姿の女の子はすぐに売り飛ばされちまう。」
真剣な表情で言い切った男を、今度は子供子供した主上が笑い飛ばす。
腹を抱えて、身体をくの字に曲げて笑い転げる(実際に地面に寝転んでいたわけではないけれど…人間は興味深い表現をする)主上は、浮かんだ涙を人差指で拭いながら身長差のある男を見上げた。
「私、こう見えて結構鍛えてるんだ。だから、そんじょそこらの奴らに負けるつもりはないよ!だから大丈夫。心配とご忠告、どうもね。」
一瞬驚いた表情を浮かべた男だったが、次の瞬間には利口なウサギのような口だけの笑みを浮かべ、主上を見つめる。品定めするような視線に、私は穏やかならざるものが背を走るのを感じていた。
傍から見ているのに不快なその視線を一身に受け止めながら、主上は男の瞳を見据え続ける。顔には穏やかな笑みが浮かび、翠篁宮で目にするいつもの主上となんら変わりがなかった。
しばらく、穏やかならざる空気が私たちを、…主上と異界の男を包み込む。
張り詰めた空気が破裂するか、と身構えた瞬間、男が私にハッとした表情で視線を寄こして、次いで笑った。
「気に入った!嬢ちゃん、俺が一緒に外界まで案内しよう。自慢じゃないが、俺もそれなりに強いと自負しているんでね。仕事で女装もたしなむ変装も得意だし、使える護衛だぜ?」
…ジョソウ…?
耳慣れない言葉に、私は首を傾げる。主上に視線を向ければ、目を見開いて驚いておられた。なにか、驚くべきことなのだろうか。
「お兄さん、見た目筋肉すごくてカッコいいのに女装するの?」
「だから仕事だって!」
それにしてはとても楽しそうに話す男である。
「…でも、女装…。そんな筋肉質なのに…」
「上手くやればそうばれないもんなんだって!」
ニッと明るく歯を見せた男に、主上は苦笑した。けれど、とても子供とは思えない深い微笑みに、男は再び驚いた顔を見せる。
「…お兄さんかっこいいから怖いもの見たさで、見てみたい気もするけど…」
でも、やっぱり…。と渋る珍しい主上に、男は腰に手を当てて胸を張った。
「外界までは早くても1カ月はかかる。それまでに機会があったら見せてやるよ!」とニカリと太陽の光のように笑った。よく笑う男である。
翠篁宮にもよく笑っている男はいるが、あれは常に微笑んでいる状態が普通であり、あの笑みを利用する策士であるので純粋な意味で笑っているのではない。
その点、なにも含むもののない(ように見える)この男の笑みは、妖魔の私が見ても明るい太陽の光のような笑顔だった。
「私、お兄さんを雇うお金なんてないんだけれど…どこまで行くの?」
「俺はシルドクラウドまで。外界へ出てすぐのシマロン領の向こうだ。嬢ちゃんは?」
「私もシルドクラウドまで。今まで旅行とか行ったことないから、目一杯観光するんだ!」
ニッコリ笑った主上は、目の前の男以上に太陽が似合う明るい、誰をも照らす笑顔だ。歩いていた行商人たちも立ち止まって微笑ましげに眼を細めて行く。
「そうか、どうせ目的地は同じなんだ、金なんて必要ねぇよ!タダでシルドクラウドまで安全に送り届けてやるよ!それより…その年で一人旅って、親はどうした?」
こっちだ、と男に導かれて歩きだし、口を開いた男が出したのは、大人として最初に気付くべきところだった。
ジョソウという、主上を楽しませる余興を持つ男だが、常識は持ち合わせているようだ。やや安心した私は、男を警戒する気持ちを少しばかり緩めて、大人しく主上の歩く振動に身を任せて主上の顔にすり寄って目を閉じた。優しい手が翼を撫でる。
この男にも、近くにも不穏な気配はありません。もし危険が迫ったら、起こしてください。
心で呟いて、あたたかい主上に身を寄せて人間観察を中断した。
作品名:へなちょこマ王とじょおうさま 「12、新たな出会いと」 作家名:くりりん