27:エンドレス
ゆらりと夜空が歪み、重い雲と雪景色に変わる。
「そして、此処に来てから60年経つ。60年前お前に魔法をかけた」
絶句するサルトビにガルデンは告白を続ける。
「お前の時間を止める魔法だ。お前は60年前の8月9日を繰り返してる。眠れば"8月9日"にあったことは忘れ、また新たな"8月9日"が始まる」
困惑するサルトビに振り返り、さらに言葉を紡ぐ。
「"昨日"私がコーヒーを淹れたろう?」
はっとサルトビが目を見開く。
「睡眠薬を混ぜて眠らせ、その後に魔法を…」
サルトビは駆け出しドアを開け外に飛び出した。
横をすり抜けた風がひどく冷たい。
「ッ、サルトビ」
搾り出すように名を呼び、後を追う。
閉じ込められた少年はゲートに張られた結界に阻まれ、見えない壁を叩いていた。
「サルトビ!」
「離せ…っ!」
クナイを振りかぶる手を掴んだが、無謀だと分かってなお細い体は開放されようともがく。
「なん…でだよ!60年って…、死…っ」
後ろから、暴れる腕ごと抱きすくめた。
「行くなサルトビ。行くな…」
逃れようともがいていたサルトビの動きが徐々に弱まり、わめき声が泣き声に変わった。
60年も共に過ごしているのに、泣いているのを見るのは初めてだった。
サルトビは暴れる気力を無くし、膝を付いて声を上げて泣いた。
ガルデンはその震える体をただきつく抱きしめていた。
小鳥の鳴き声で目を覚ますと、陽はすでに上りきっていた。
ガルデンはサルトビをベッドの上で正面から抱きしめる形で眠っていたことに気付き、腕に込める力を強める。
どうやってなだめたのかもよく覚えていない。
サルトビの目元は泣き腫らして赤く、頬には涙の跡が幾筋も走り、覆面に染み込んでいた。
この瞼が開いたら、昨日のことは忘れられている。
真相を告げたのは、そんな甘えがあったからかもしれない。
懺悔のつもりだったのか、それとも溢れる感情を吐き出したかっただけだったのか。
どうせ彼は忘れるのだから、自分の哀しみをぶつけても構わないだろうと、そんな傲慢な想いが無かったと言えば嘘になる。
サルトビを閉じ込め、全てを奪い、自分の物にした。
そのことに胸を裂かれる罪悪感を感じているのに、結界を解く気にはならなかった。
それに、今魔法を解けば、無理に成長を止められた体と時の流れる世界との軋轢で、老いる前に肉体と魂が崩壊してしまう。
後悔しても、もう後戻りは出来ない。
嘘に嘘を塗り重ね、共に60年前の8月9日を繰り返し、数百年後ガルデンの顔に皺が出来るまで、否、出来ても、共に過ごすしかないのだ。
「ん…」
暗い決意を新たにするガルデンの思考は、小さな吐息に遮られた。
サルトビの顔を覗き込むと、未だ夢現の深緑の瞳と眼が合った。
「起きたか…」
無理に微笑んで見せたが、上手く笑えているか自信が無い。
サルトビはまだ眠そうにぼんやりとした眼でガルデンを見ている。
この眼が徐々に覚醒して、ガルデンにベッドで抱きしめられていると気付き、顔を赤くして跳ね起きるだろう。
『なにしてんだ、気色悪い』とでも悪態をついて、また同じ一日を過ごすのだ。
ガルデンが望んだ終わらない一日を、サルトビが失った限りある一生を。
もう一度笑ってみると、サルトビは覚醒した眼でベッドから跳ね降り、クナイを構えた。
それほどまでか、と苦笑するガルデンに、サルトビは警戒した顔で言う。
「あんた…誰だ?」
サルトビは、何もかもを忘れていた。
体が習慣として覚えているのか、武器の持ち方や覆面をしたままの生活は変わらなかったが、自分の名も分からなくなっていた。
余りに強い衝撃を心に受け、魂が不安定になってしまったのだろうと、ガルデンは推測した。
だが、ガルデンにはどうすることも出来なかった。
ガルデンが得意とする魔法は攻撃魔法で、不老の魔法は使えてもこんな状況に対応する術は知らなかった。
重量の増えた罪悪感を抱え、サルトビの世話をする8月9日が始まった。
ガルデンは記憶を失って倒れていたサルトビを拾った、と説明した。
仲間だと言うのは余りに厚かましく思えたし、仇だと言って再び苦しませたくは無かった。
最初は警戒するものの、敵意が無いことを察すると徐々に心を許し、夕飯の頃には笑顔を見せるようになる。
しかし、夜眠り朝起きるとその記憶は失われ、「誰だ」という問いが繰り返される。
毎日「誰だ」と問われ、偽りの関係を教えていると、自分が何者だったのか見失いそうになる。
そして、必死に記憶を取り戻そうとダイニングで頭を抱えるサルトビを見ながら、それを心地いいと感じる自分を見付ける。
サルトビの仇ではない自分。
簡単に手放せるほど軽い罪ではないと思いながら、憎まれず、ただ傍に居れるのは楽だった。
始めに異変が現れたのは料理だった。
世話になるから、と食事はサルトビが作ることが多い。
元々嫌いではないのだろう、大抵のものは標準以上の出来で作ってみせた。
素直に旨いと褒めれば、そうだろうと答え少しおどけて照れる。
「仇」には見せないそんな表情に、ガルデンは胸を痛めながらも幸せを感じていた。
しかし、やっと記憶の無い彼と過ごすことに慣れた頃、その味が変わった。
「…あんま旨くねぇか?」
一口食べて固まったガルデンに、申し訳なさそうにサルトビが尋ねる。
「いや、そんなことはないぞ…」
無理に笑って見せ、もう一度口に運ぶ。
不味いという以前に、何の味付けも施されていなかった。
「俺はもう食べたから、ゆっくり食えよ」
そう言って笑い、調理器具を洗うためにサルトビは立ち上がった。
正常な味覚なら、気付かないはずのない間違い。
彼は、ゆっくりと壊れていた。
次に忘れたのは武器の持ち方だった。
クナイや煙玉などの武器をテーブルに並べ、サルトビは首を捻った。
ガルデンは動揺を悟られないように本に眼を落としたまま、戦いを忘れたサルトビを見ないようにした。
「なぁ、これ、なんだと思う」
顔を上げると、サルトビが不思議そうに、最も大切な武器をこちらにかざしている。
カード状のそれに埋め込まれた青い球がきらりと、何か言いたげに光った。
「…それは、ミストロットという」
震える喉が、勝手に言葉を吐いた。
初めて聞いた、という風にサルトビは首を傾げる。
「それで、リューを、リューと呼ばれる巨人を召喚し、戦うのだ」
「ふぅん。巨人なんか呼んで、誰と戦うんだ?」
「それは、邪竜族と…」
言いかけた言葉を取り消し、ごく、と唾を飲み言い直した。
「お前のリューは、私と戦う為にあるのだ」
ぽかんと、サルトビはミストロットをいじる手を止め、ガルデンを見た。
「サルトビ、私はお前の故郷の仇だ」
続けられた台詞に、サルトビはミストロットを持つ手を下げた。
「そう、言われてもな…」
困惑し、ガルデンから眼を逸らす。
「なんにも、覚えてねぇからなぁ…」
重苦しい沈黙が続いた。
今すぐその手にクナイを握らせ、自分の喉を掻っ切りたい。
ガルデンはそんな衝動に押しつぶされ、泣き出しそうだった。
「ちょっと、部屋に行くわ」
気まずそうに立ち上がり、サルトビは広げた武器をそのままに部屋を立ち去った。