Bang
隊長という立場の男に臆することなく方針を話し合っていた雪男たちを見て、イツキが口笛を吹く。聞くところによれば、出雲は最近『孤高の女王《アイス・クイーン》』(『アイス』は孤高《isolated》と氷《アイス》が掛かってるらしい。ややこしいな)と憧憬と畏怖を込めて呼ばれているらしい。その少年の頭を、同じく候補生の少女がこづいた。
「こら、アンタ失礼よ。候補生はこっち!」
燐たちに一礼すると、耳を引っ張ってイツキを引きずっていく。イテーよ、わーったから、と少年が騒ぎ立てた。
「あー、行ってこい、行ってこい」
「燐サン、また後で!」
イツキに燐が手を振った。
「賑やかだね」
「ホント」
隊長から解放された出雲と雪男が戻ってくる。
「俺らもあんなだったかな…」
タバコをくわえて、なつかしーな、と燐が笑う。
「ちょっと、禁煙!」
出雲があっと言う間にタバコを奪い、握りつぶして捨てる。
「あ!何だよ、一本二十一円!」
「ばっかじゃないの?一本の値段気にするくらいなら、とっとと禁煙しなさいよ。それにアンタ本人じゃなくて周りの方が被害大きいんだから、こんなとこで吸わないで!」
「お…、おお…。ワリィ…」
出雲の勢いに、燐が圧される。
いつの頃からだったか、燐がタバコを吸うようになった。しかも、養父藤本獅郎が吸っていたのと同じ銘柄だという。修道院か、騎士團の誰かに聞いたのかもしれない。
「ねぇ、何でタバコなんか吸い始めたのさ」
雪男は腰につけたホルスターから銃を抜いて装填を確かめる。吸ってることに気が付いてから、お互い任務が忙しくてつい聞きそびれていた。慌ただしい逢瀬の時も寮の部屋で吸うな、寝タバコするなと注意するのが精一杯だった。まさか二十歳になる前からじゃないだろうね?と睨むと、ちげーよ、と笑った。
「んー…。なんかタバコくれー悪いことしたかったんだよ」
燐は腰に佩いた倶利伽羅の具合を確かめると、左右の腰に吊したホルスターの銃を取り出し、それぞれ弾の装填を確認しながら、雪男の問いに、ぼそりと照れたように答える。
「俺、病気にもなんねーし、怪我もすぐ治っちまうしさ。酒もすぐ醒めちまう。やってらんねーと思ってよ」
「なにそれ。悪魔の体で悪いことしたいんなら、どっかに寄付するとか、ボランティアするとかすれば」
手にしたライフルの装填を確認し、レバーを引いて初弾を薬莢室に送り込んだ出雲は、セイフティを掛けながら呆れたように大げさな溜め息を吐いた。兄弟が思わず吹き出す。
「良いことしたら、消えちまうのか」
「致死節探すより、労力も少ないし、そっちの方が確実かもね」
「婆ちゃん背負ってる時に消えるのは勘弁だな」
「横断歩道で旗持ってるときに消えるとかね」
二人して腹を抱えて笑う。
「な、なによ!」
「お前天才」
「ば…っ、バカにしてるんでしょ!」
「してねーよ」
燐が怒る出雲の頭を宥めるように軽く叩く。
「あー、もうっ!ちょっとやめてよ」
邪魔にならないようにとまとめた髪の毛から、燐の手を払う。
「俺もまとめよーかな」
いーかげん、髪ウザくてよー。前髪をあげては、バサバサと落ちてくる髪の毛を引っ張る。
「いつから切ってないのよ」
「いやー、ちょっと忙しくてさ」
もう後ろで一本にまとめられそうだ。
「いず…」
「いやよ」
言い終わる前に、出雲が切り捨てる。
「即答かよー」
燐がそう言うと思った、と笑う。
「雪男切ってくんね?」
「やだよ」
「お前も即答かよ」
燐の少し拗ねたような口調に、雪男が眼鏡を押し上げて直す。
「丸坊主で良ければ」
「ヤだ」
「即答かよ。兄さんだってこの頃は少しお金あるでしょ。ちゃんと床屋に行きなよ」
「めんどくせーんだよなー。ヒゲはどーしますかぁ?モミアゲはどーしますかー?なんのオシゴトされてるんですかぁ?今日はお休みなんですかぁ?」
日本支部のすぐそば、細い横町に曲がったところに、寡黙なオヤジがやっている床屋がある。雪男と燐はその主人が好きで通っていたのだが、最近後を継がせると孫だという若い男が入った。その彼が以前は美容院に居たらしく、自分たちの好みより少しばかりお喋りだったのだ。
イヤならさっさと寝てしまえばいいのだが、変にお人好しの燐はついそのお喋りに付き合ってしまう。まぁ、本人の自業自得だ。
遠くから、ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が聞こえる。候補生の引率を任されている湯ノ川の怒鳴り声がした。
「…そう言えば、あの子、随分懐いてるね」
少し苛立ったような調子だったろうか。
「ああ、イツキ?あいつさ。あいつも、俺と一緒なんだ」
「え?」
思わず出雲と二人で聞き返す。
「あいつも悪魔の血を引いてんだ。いつか出雲が言ったとーりだったな」
燐が微笑んでみせる。
「…だから、アンタの境遇なんて珍しくないって言ったでしょ」
顔を真っ赤にして、出雲が素っ気ない口調で言う。燐がおかしそうに笑い出す。
「あいつ、スゲー荒れててさ。昔の俺を見てるみてーで、ほっとけなかった」
雪男は溜め息を吐いた。
「それで兄さん、最近ずっと任務に出っぱなしだったワケだ」
燐が口笛を吹きながらあらぬ方を向く。相変わらずヘタクソな口笛だな。それで誤魔化したつもりか。
「アンタ…、あの子の面倒見てるの?」
出雲が驚いたような顔をする。頭を掻きながら、へへ、と燐が照れたように笑う。
「アイツ、頭は結構良いぞ。だから何とか奨学金取れたけどよ、それだけじゃ色々足んねーだろ」
「呆れた…」
「まぁ、ホラ、俺ら家賃とかねーしさ。武器とか祓魔屋《フツマヤ》とか、色々は資材部に頼めば、給料から天引きしといてくれるし。メシは相変わらず雪男と折半だしよ。タバコまで吸ってんだぜ。大したことねーよ」
旧男子寮は相変わらずのボロさだが、造りはしっかりしている。それに自分たちが出ていっても、後は取り壊されることもなく放置されるだけだ。これ幸いとメフィストにイヤがられながらも居座っている。
「それにさ、親父《ジジィ》の真似ってワケでもねーけど、似たような奴の力になってやりたくてよ。なんか、恩返しじゃねーけど…」
「確かに、兄さんそっくりだよね」
「最初はそりゃ、ヒドかったぜ?アイツ」
殴り合いもしょっちゅうだったと、溜め息を吐く。
「神父《とう》さんの苦労が判った?」
ちぇ、と燐が頭をガリガリと掻いた。耳まで真っ赤になっているから、自分なりに思い知ったのだろう。
「まぁ、兄さんが良いなら良いけどさ。せめて最低限の身繕いくらいはやってよね」
「み…、なに?」
「身繕い。服装とか髭とか、髪とか、きちんとしろってこと」
へーへー、と燐がいい加減に答えるのを、思わず睨みつける。
自分たちの関係は変わっていない。なのに、ずいぶん変わってしまったような気がする。
昔のように四六時中一緒にいるわけでもないし、それぞれの付き合いの範囲も違う。相談したり話したりしないことも多くなった。兄がイツキと言う少年の後見人をしていることも、今初めて知った。僅かな隙を縫って体を繋ぐことも、お互いにとって意味が変わってきている気もする。
兄離れ出来てないのかな…。
僕は相変わらず兄さんが居ればいいのに。