Holy and Bright
◆2
ジュリアスは神官の孫息子であるルゥに連れられて、神官の館を出ていた。ルゥはまだ十に満たない少年だが、両親を亡くしていたので祖父である神官に育てられ、次期神官と定められた身だった。そのせいか少々プライドが高く……悪く言えば小生意気で、神官による歓迎式典に参加していたどの子どもたちよりもずっと、この、天使様を泣かせた伴の者を嫌っているようだ。だから、祖父から言いつけられた用事がまさかこの伴の者に同行することだとは思いも寄らないらしかった。ずっとふてくされた表情で黙って歩いている。
ジュリアスはしかし、むしろ彼のこのような態度のほうが好ましかった。
(このあたりだけなのだろうか)
歩く道は舗装されておらず、あちらこちらに塵も落ちている。いや、もちろんすべて道は必ず美しく舗装され、整然としていなければならないとはジュリアスは思っていない−−聖地の宮殿の通路がこのような調子だったら彼は怒り心頭しているだろうが−−まだまだこれから発展していく星ではあたりまえのことだ。
だが、このあたりはそのような未開発という意味でなく、何か、雑然としているというか。
(だらしないのだ)
だいたい、“天使様”というのは、いわば宇宙全体に置き換えてみれば女王陛下に匹敵する。その彼女の部屋に入るのにノックすらしない側仕えといい、部屋の洗面所で水が出ないことといい(だからジュリアスは生まれて初めて台所の流しで顔を洗った)、妙に馴れ馴れしい口調で話しかける民たち……畏怖のあまり口も利けない民と接する方が多かったジュリアスにとって、“光の守護聖”でなく“伴の者”という立場はある意味、民と多く接する良い機会と言えたが、それにしてもこのあたりの民たちの行動や態度はなんとなく締まりがない。
そしてもうひとつ、ジュリアスが気になったのは、子どもに覇気がないということだ。別に怯えているわけではない、はつらつとした意欲というものを感じないのだ。それなら、傍らを歩くルゥぐらい不満げな顔をしているほうがまだ子どもらしい。
馬の嘶く声がした。
「あそこが馬場だよ、伴の人」
相変わらずふてくされた表情のまま、ルゥは先を指さした。木の板で雑然と作られた柵の中に、五頭の馬がいた。
「どの馬でもいいけど……あ、あの赤毛の馬だけは駄目だからね!」
「ほう。あれはおまえの馬か? ルゥ」
そう言ってジュリアスはふっと笑った。とたんにルゥは立ち止まって呆けたような表情でジュリアスを見た。
「……どうした?」
ルゥは顔を真っ赤にしながら頷いた。
「アウロラっていうんだ」
「そうなのか。だがおまえの馬にしては少し大き過ぎないか?」
またルゥはむっとしたようだった。
「仕方ないだろ、子馬が生まれないんだから!」
ジュリアスの歩みも止まった。
「子馬が生まれない?」
目を馬場の方に向けると再び歩き出して、ルゥは話を続けた。
「生まれても……死なせてばかりなんだ。だから野生の馬を運良く捕まえられたら」
「捕まえるだと?」
思わずジュリアスが口を挟んだので、ルゥはますます口をとがらせながら話す。
「この奥の森で、怪我したやつとかだよ」
そう言っている間に柵のすぐそこまで来たが、件のアウロラはちらりとルゥを見ただけだった。
「ちぇ、相変わらずだな、アウロラめ」
ジュリアスは五頭の馬を素早く見取った。どの馬もジュリアスからすれば不満ではあったが、仕方がない。
何故なら。
「エリューシオンでの移動方法は馬しかないのであろう?」
いつものように遊星盤で上から眺めることが今回の目的ではない。郷にいれば郷に従え、エリューシオンの生活に合わせなければならない。
それにしても、移動手段が馬だけというのは心許ない。以前……以前と言っても、ジュリアスが遊星盤から眺めたときはこのルゥの祖父である神官がまだ幼い子どものころも馬で行き交う人々の姿が見えたが、あれから変化していないような気がする。先ほどの道の様子といい、まるでそのまま進化が止まってしまったような−−いや……止めてしまったような−−。
「そんなの、昨日、おじいちゃんが言ってたじゃないか」
「ならば、おまえのアウロラを貸してもらうぞ」
「な……!」
怒鳴ろうとしたルゥを、ジュリアスは見据えた。
「アンジェリーク様をお乗せするためだ。あえていえばアウロラが一番しっかりしているようだ」
ルゥは何か言いたそうにしていたが、やがて口をとがらせ、上目遣いにジュリアスを見ながら言った。
「……伴の人、あんただって無理だよ、あいつ、すっごく気まぐれなんだから」
「ではルゥ。おまえはアウロラに乗ったことはないのか?」
とうとうルゥは俯いて黙り込んでしまった。ルゥの、まだ小さく細い首筋が目に入った。それが……アンジェリークのうなだれているうなじと重なった。
どうも私は、相手を追いつめてしまうところがあるらしい。
ジュリアスは、ふぅとため息をつくと、ぐいとルゥの手を取り、引いた。
「ち、ちょっと何する……」
「おまえのように真正面から疑うようなまなざしで見れば、馬とて嫌がる。常に声を掛けてやりつつ世話をしてやれば、アウロラのほうも自然と心を開くだろう」
そう言うとジュリアスはルゥと一緒にゆっくりと、草をはんでいるアウロラに近づいていった。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月