Holy and Bright
chapter 2
◆1
鳥の鳴く声がした。
窓のほうが明るい。光を遮る布らしきものはあるが、どうもあまり材質が良くないらしい。音で反応したのに、すぐ目に光が差し込み、アンジェリークは否応なしに目が覚めた。そう、とても爽やかな目覚め……とは言い難い。
“ヨトギ”が得意なんだって、私ってば。
昨夜言い放った自分の言葉が頭の中で蘇り、アンジェリークは体を起こしてみたものの、どうしても頭は垂れてしまう。
きっと、ジュリアス様は呆れきったわね……私のこと。もしかしたらもう、あのボタン、押しちゃったかも。
例の銀のボタンのついた箱は、三つの鞄の中のひとつに押し込んである。
……それとも、私が押しちゃおうかな。
ふぅ、とため息をついてみた。消せるものなら消し去りたい。もしもこの失敗を消す力が女王にあるのなら、それだけのために女王になってもいい、と思う。もっとも、自分でボタンを押す度胸すら、今のアンジェリークにはない。
「うう……」
思わずうめき声を漏らしてしまう。
どんな顔して、ジュリアス様に会えって言うのよぅ。
ドアの向こう、通路を隔てた部屋にジュリアスがいる。先手必勝で詫びに行くべきか……。
どうやらそれしか方策はないようだ。
とにかく顔を洗わなきゃ、とアンジェリークは洗面所に行き、蛇口をひねってみた。だが、水が出ない。
「あれ……?」
もう一度力を込めてひねってみたが、やはり水滴すら出てこない。見ると洗面所自体もうっすらと埃をかぶっているようだ。
「私でももうちょっと掃除するけどなぁ」
思わず呟いたものの、ここが客室でそれほど使われることがなかったのだろう、と思い直してアンジェリークはベッド横の小机にある呼び鈴のひもを引いてみた。
確かに音は鳴っているようだ。だが、しばらく待ってみたものの誰も来ない。
昨日ランプを持ってきた女の人もいないのかな……。
そう思ってみたものの、できれば彼女にも会いたくなかった。自分の無知を知られているのが辛い。だが……。
とりあえずもう一度鳴らしてみた。今度は少し長めに鳴らしてみた。すると、ようやくこちらに来るらしい足音が聞こえてきた。
「はい?」
昨日の女だ。相変わらずノックせずに開ける。そうアンジェリークが思って見たとたん、彼女はしまった、というように開けたドアを申し訳程度にこんこんと叩いてみせた。
「あの」
「どうでした、昨日は? 楽しまれました?」
「は?」
「お伴の方は、もう外にいらしてるみたいですけど……タフですこと」
「え?」
「大丈夫ですよ、天使様、昨夜のことは誰にも言っていませんから」
したり顔で彼女は言った。昨夜のことと言われて、思わずアンジェリークの頬が赤くなった。やはりあの無知ぶりは消せないらしい。
だが、事はそれだけで済まなかった。
「まあ、照れるなんて可愛らしいこと。でも天使様がうらやましいですわ。あんな美しい方に夜伽を務めさせるなんて……うふふ」
アンジェリークは息をのんだ。誤解した……ままだ!
「ああ、水が出ないんですね。しばらくこの部屋は使ってませんでしたからね。後で見ておきますから、良かったら台所のを使ってくださいな」
アンジェリークが、出せない声をなんとか絞り出そうとしている間に女がつないだ。
「それにしてもあの伴の方、綺麗な人だけどとても恐いですわね、天使様の前でもかまわずあんなに眉を釣り上げて。寝床の中では少しは優しくしてくれています?」
「ちょ……」
なんとか少しは声を出すことができたが、それはすぐ遮られてしまった。
「天使様はああいう厳しい方がお好みなんですか? 私はちょっと……」
「あとで台所に行きます!」
我ながら信じられないほど大きな声が出た。案の定、女は驚いたようだった。だがアンジェリークは頓着しなかった。
「昨日のことは私が言葉の使い方を間違ったんです。あなたが持ってきてくれた辞書のおかげでしっかり勉強できました」
そう言ってアンジェリークはベッドの方へ取って返すと、側の小机に置いていた辞書を持ってきて、女に突き返した。
「どうもありがとう。もう下がってくださって結構です」
「あ、あの、天使様……」
急にそわそわとした様子で、女が声をかけた。
「何ですか?」
「怒っていらっしゃるんですか……?」
そう言われて初めて、自分が怒っていることにアンジェリークは気づいた。
「……そう思います。少なくとも、ジュリアス……は私に学ばせてくれました」
言いながら、引き続きアンジェリークは自分自身に言い聞かせるような気持ちになっていた。
「だから、彼のことを悪く言われるのは嫌です」
そう言った口が、少しつぼむ。私だって、ずっとそう思っていた。ジュリアス様は恐いって。でも……全然事情をわかってない人からそう言い切られるのはすごく嫌だ。
「申し訳ございません……!」
慌てて女は頭を下げた。悪意はないようだ。気を取り直してアンジェリークは女に頭を上げるよう柔らかく体を起こさせると、にっこりと微笑んだ。それを見て女はほっとしたような表情になった。
「わかってもらえて嬉しい」
民の心の動きが手に取るようにわかる。アンジェリーク自身も、それに伴い穏やかになっていく気がした。今なら、ジュリアスに対し素直に謝れそうな気がする。
「ジュリアスがどこへ行ったのか、教えてもらえますか?」
「……はい!」
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月