Holy and Bright
◆6
なだらかな登り道を行くと、やがてぽっかりと樹々の途切れた空間に出てきた。
「少し休むとするか」
そう言ってジュリアスはアウロラを止めると、ひらりと馬から降りた。そしてアンジェリークに手を差し伸べる。アンジェリークは鐙に足をかけたものの、そこから地面に降りるには少々馬の背が高かった。
「失敬」
そう言うとジュリアスは腕をアンジェリークの腰に回して抱き、彼女を軽く地面に降ろした。
「あ……ありがとうございます」
大きな瞳をじっとジュリアスのほうに向けているので、ふだんアンジェリークからそれほど見つめられることのないジュリアスは内心狼狽えた。
「……どうした?」
「あの、私、重くなかった……ですか?」
「は?」
「ジュリアス様、何だかすごく楽に降ろしてくださったので……あの」
「心外だな」
「え?」
「私だって男だ。おまえぐらいの者を馬から降ろすぐらいはたやすい」
いたって華奢な体つきなのに何を心配しているのだろう、とジュリアスは思っている。本当に軽かった。こんな細い体でいったいその手に何を掴もうとしているのだろう、この少女は。宇宙か? それとも……。
「あ……そうですね……すみません」
また項垂れた。先ほど馬に乗って顔を見ない間はそれなりに軽口も言い合えたのに、目を合わせるとこれだ。ジュリアスは小さく嘆息するとアンジェリークの肩に手を置いた。
「見るがよい」
言われてアンジェリークは少し顔を上げてあたりを見回した。相変わらず鬱蒼とした樹々がそびえ立ってはいるものの、多少は低い位置にある人里……神官の館のあるあたりを見ることができる。
「自然は豊かで良いことだ」
ジュリアスはなるべく穏やかに言うよう留意した。今から言うことはきっとアンジェリークを気落ちさせる。これ以上俯く彼女を見たくない。できることなら、先ほどのように軽い会話を交わしていたい……。
何を思っている、私は。
「だが、人里とこの森との境界がまるでない」
「はい……そうですね」
「これがどういうことかわかるか、アンジェリーク」
返事はなかったが、こちらを見る視線が弱くなった。
「何か大きな災害が起こった場合……たとえば山火事や大水などが発生した場合、あの村落あたりはもろに被害を受けることになる」
「え!」
アンジェリークは目を大きく見開いて叫んだ。
「境界あたりを間引きする必要があるな。それと、ここに来るまでの間、枯れた木や倒れた木を多く見かけた」
「あ、それはわかります。アウロラも歩きにくそうにしていましたね」
「ああいうものは取り除いておかなければ、下から生えてくる幼い木は育つことができない」
「……そうですね」
「森は森として人の住む以前より存在しているのだから、いらぬ手を加える必要はないが、人里近くにある以上、それなりに工夫されなければならない」
アンジェリークは真剣なまなざしになって頷いている。
「それだけではない。道の整備も人や物の移動方法についてもここは課題が多すぎる」
そう言ったとたんにアンジェリークの動きが止まった。表情が堅くなっていくのが、ジュリアスには手に取るようにわかる。
いつも楽しい話ばかりしていられれば良いな、アンジェリーク。だが、いつも楽しいことだけで大陸−−星々の育成はできないのだ。
ジュリアスは心の中で呟く。
……それをわかって欲しいのだがな。
「どうしたのだ、ここの民は。まるで進化を止めてしまったようだ」
「でも!」
今までアンジェリークはジュリアスに「でも」と言ったことがなかったので、ジュリアスは驚いたものの、表情には出さずアンジェリークを見据えた。その視線の強さにアンジェリークの肩がびくりと震えた。だが彼女は言葉を続けた。
「でも、台所の彼女は私が掃除したのを見習って、綺麗にして過ごすと約束してくれましたし、神官さんだって街が発展しないことを憂えていました。皆、それなりにより良い生活を求めて−−」
アンジェリークの声が途切れた。
「……求めているか?」
「……」
「少なくとも私にはそう感じられぬな」
「……そんな」
目の前でアンジェリークが唇を噛んでいる。何故私もこのようになるまで厳しい言い方しかできないのだろう。
そう思っているにも関わらずジュリアスはきっぱりと言い放った。
「私の力が求められていないのは、民が進化を拒否している印だ」
アンジェリークの顔がざっと青ざめた。
「前からずっと気になっていた。何故、私の力を必要としていないのだ? エリューシオンの民は」
「あ、あの……」
アンジェリークはすっかり狼狽えている。
「進化を求めぬ民など、私は知らぬ。我が力を欲しない者がいるなど」
日頃からずっと思ってきたことを、言いたくても滅多にアンジェリークが自分の執務室を訪ねないので言えなかったせいもあり、ジュリアスは思わず吐き出していた。
「私は見たことがない」
「いえ、でも!」
「……でも?」
「いるかもしれません。ほら、あの、進化を拒否する民だって……文明が発達し過ぎて、戦争が起こったり、公害が発生したりして自然を壊されるのが嫌な人たちだって」
「……何を庇い立てしている」
まるで自分の持つ光の力を拒否されているような気がして、ジュリアスは苛立った。ただたんにアンジェリークは発せられた強い調子の言葉に抗議しているものの、その内容の意味合いがずれてきていることに気づかないだけだ。それはジュリアス自身もよくわかっているのに。
「私は、私は……」
いつの間にかアンジェリークは掌を固く握りしめている。
「民が望まないものは与えたく……ありません」
その、きっぱりとした物言いに、顔色をなくしたのはジュリアスの方だった。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月