Holy and Bright
◆8
ジュリアスが守護聖になったばかりのころ、決して寝つきたくはないのに、どうしても熱が高くて起き上がれない日があった。それでなくても幼いが故に満足に執務もこなせないでいる。首座たる光の守護聖である限り気を張っていなければならないのに。だからせめて毎日執務室にいることだけでも大事だと思ってきた。それなのに。
情けない……これで自分はますます望まれない存在になる。
熱に浮かされていることもあって、ジュリアスは酷く惨めな気持ちになっていた。部屋で横になっている間中、ベッドの天蓋を見つめていると、まるでおまえなど要らないのだと聖地全体が囁いているような気がした。
だが、そんなジュリアスを救ってくれたのが、他ならぬ先代の女王だった。 ふと気づいて目が覚めると、彼女がベッド脇に座っていた。そして手ずから口当たり良く、喉ごしも良くて滋養にも良いプディングを食べさせてくれた。
「……申し訳ございません。陛下自らこのようなことをしていただいて……」
不甲斐ない自分が悲しくて、ジュリアスは少し涙ぐんで言った。だが彼女は微笑んでこう言った。
「私にはあなたが必要なのですよ、光の守護聖ジュリアス。もちろん、あなたの持つ光のサクリアによる力もですが」
そこまで言うと彼女は器と匙をベッドの側にある小机に置いて、ジュリアスの頬を両手で包むようにして覆った。その掌はひんやりとして、熱を持った頬に心地良かった。
「あなたという人が必要なのよ」ジュリアスの潤んだ瞳を覗き込むようにして、彼女は笑った。「大丈夫。すぐ良くなりますからね」
そう言うと彼女はきゅっと手に力を込めた後、ゆっくりと掌を離した。ジュリアスは、本当はまだ頬に触れていて欲しかったが、それは口に出せなかった。
女王の力は病を癒すらしい。本当にジュリアスは翌朝にはすっかり元気になっていた。
あのときから、ジュリアスは彼女に対し今まで以上の信頼と尊敬の念を抱くようになった。
「ジュリアス」
声と、背中からシャツを引っ張られる感触に驚いてジュリアスはびくりと体を揺らし、声のする方を見た。
「……ルゥ!」
「どうしたんだよ、さっきから声をかけているのにぼぅっとして」
「さっき……から?」
まったく気づかなかった。よほど深く、懐かしい思い出に浸っていたらしい。
−−まるで現実を直視するのを避けるかのように。
「うん。どうするんだい、僕がたとえば強盗だったりしたら、今のジュリアスなんて一発でグサリ、だよ?」
そう言うとルゥは手に持っていた小剣を閃かせたが、すぐに鞘へ収めた。
「……そうだな」
ジュリアスは笑って言ったつもりだったが、どうやら顔が強ばっていたらしい。ルゥは懸命にジュリアスのほうへ顔を向けようとしながら言った。
「天使様も元気がなかったけど、ジュリアスはもっと元気がないね。どうしたの?」
そうしてじっとジュリアスを見つめている。何故かジュリアスは、この少年には適当にごまかすようなことは言いたくないと思った。
「私はアンジェリーク様を不愉快にさせてしまったようだ。私の力は望まれていないと」
言いかけた自分の言葉にジュリアスは酷く傷ついた。
望まれていない……何故だ?
「ルゥ。聞きたいことがある」
そう言ってジュリアスは地面に片膝をつき、ルゥに目線を合わせた。
−−エリューシオンの民が、光の力を望んでいないのは何故だ?
「僕もジュリアスに聞きたいことがあったんだ」
彼はチャンス、とばかりに意気込んでジュリアスの顔を見た。あまりの無邪気さに思わずジュリアスも少し笑った。
「何だ? 先に言ってみるがよい」
こっくりと頷くとルゥは、真剣な表情になって言った。
「ねぇ、“光の力”って存在するんだよね? 無いってこと、ないよね?」
その言葉を聞いた瞬間、ジュリアスは小さく息を呑んだ。
「……な、何故……そう思う?」
驚愕しつつも何とか平静を保ちつつジュリアスは問いかけてみた。ジュリアスの狼狽に気づかぬままルゥは言葉を続ける。
「僕ね、神官の孫でしょ」
「あ、ああ」
いきなり“光の力”についての話から飛んだので、ジュリアスは戸惑ったが、とにかくそのまま話をさせることにした。
「次期神官だからか、他の連中……子どもたちだけど……遊んでくれないんだ。何だかおどおどしてさ。むかつくからときどき大声出していじめてやることもあるんだけど」
「……それは良くないぞ……」
「あ、うん。そう思ってすぐやめるけど……何だかみんな、だらしなくってさ。たとえば大人になったら何になりたい?って聞いても、『先のことなんてわからない』とか『今が楽しかったらそれでいい』とかしか答えが返って来ないんだ」
ジュリアスは背にざわりとしたものを感じた。
自分が尋ねようとしたことと、この少年が言おうとしていることは、もしかしたらそれほど離れてはいないのではないか、と。
「僕は神官になるって決まってるから、他にいろいろ選べる奴らがうらやましいなぁって思うんだけど」
「そうなのか? 神官は立派な仕事だと思うが」
「うん、僕もそう思ってる」
思いの外、あっさりとルゥは頷いた。
「やるからには、ちゃんとエリューシオンが良くなるようにしたいなぁって思ってるんだ。だから、勉強も嫌いだけど、ちゃんと昔の本とかも読むようにしてるんだ」
ジュリアスは何となく、この少年が自分と似ているような気がした。もっとも、勉強自体ジュリアスは嫌いではないけれど。
「で、最初の話に戻るんだけど」
じっとジュリアスの顔を見つめ、ルゥは続けた。
「古い本……たぶん、おじいちゃんのお父さん……僕の曾おじいちゃんだと思うんだけど……その人の日記らしい本を見つけたんだ」
真面目に聞いてくれることが嬉しいらしい。力が入るのかルゥの頬に赤みがさしていく。
「そこに、“光の力”って言葉がすごく出てくるんだ。何でも、人に生きる気力を与える力なんだって。でも僕、そんな力、知らないし」
ずっと相づちを打っていたジュリアスの動きが止まったのを見て、ルゥは不審げな顔をした。
「ジュリアス?」
「……知らない……だと?」
ジュリアスは一瞬、ルゥの肩を掴んで揺さぶりたい気持ちになったが、その衝動は懸命に抑え込んだ。しかしルゥにしてみれば、ジュリアスのその態度は自分にとって良い返事代わりだったらしい。
「……じゃ、やっぱりあるんだね!」破顔してルゥは叫んだ。「誰に聞いてもそんな力は知らないって言うんだもの」
片膝だけついていたジュリアスは、がくりともう片方の膝もついてしまった。
望んでいない、のではない。
存在を知らない……だなんて。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月