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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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Holy and Bright

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◆9

 「……ありませんね」
 「はい、ありません」
 「本当ですねー、きれいにありませんねぇ、光の力は」
 「ルヴァ、感心している場合ではないのですよ」
 一緒になって王立研究院の資料を見ていたディアは呆れ顔で言った。
 「あ、ああ、すみません、ディア」とりあえず謝っておいてからルヴァは、視線を再び資料を映し出したディスプレイに向けた。「いえ、でも見事だと思いませんか、このエリューシオンのデータは……ねぇ、パスハ」
 話を向けられたパスハもディスプレイを見ながら頷いた。
 「ええ、他の皆様方の力は実に適切に満ちています。正直なところ、私もアンジェリークがここまでやるとは思いませんでした。遊星盤の扱いにも難儀していたものでしたが」
 「だから問題なのですよ」苦笑してディアは嘆息した。「これで光の力が同じく適切に加わっていれば、もうとっくに」
 ディアはそこで言葉を切った。
 「……と上手くいかないので、陛下は荒療治に出られた、ということですね?」
 ルヴァの言葉に黙って頷くとディアは、パスハに依頼していた資料の写しを手に持った。
 「では私はこれで。聖地に戻り女王陛下に報告しに参りますので、後はよろしくお願いいたします」
 「はい、ディア様」
 姿勢を正し、パスハが会釈した。
 「私もしばらく様子を見ていますよ」
 ルヴァはそう言ってその部屋の隅にある通信機器類のほうを見た。
 「でも……あれが作動したとき、どうするおつもりですか?」
 ディアの表情が強ばった。
 「女王試験は失格……約束は違えられませんわ。よほどの理由がない限り」
 「そうですか……」
 軽く会釈してディアは去っていった。後にはルヴァとパスハが残った。
 「それにしても、何故このような偏ったことに……」
 「そうですねぇ」ルヴァは再度データを映し出すディスプレイを見た。「アンジェリークがジュリアスに苦手意識を持っているのは、私たちも重々わかっています。でも」
 「民がどうして光の力を望まないか……いくらアンジェリークがジュリアス様を苦手だったとしても、民から望まれれば果たすはず。彼女はそういう性分です」
 パスハの言葉にルヴァは頷いた。
 「そう。それゆえに謎なのです。まるで光の力がもともと存在していないかのようで……」
 そこまで言ったところでルヴァは「あっ!」と小さく声をあげた。
 「ルヴァ様?」
 「そうです、もしも民が、光の力は存在しない……いえ、光の力のことすらわかっていなければ、納得がいきます」
 「……そ、そんな!」
 思わずパスハは声を上げた。
 「もしも本当にそうであったとすれば……これは由々しき問題です。ジュリアスとアンジェリークの親交を深める……以前の問題です……あ、いえ」
 ルヴァはそれ以上言葉にしなかった。
 アンジェリーク……たぶん、次期女王。その彼女が守護聖の首座であるジュリアスの力を不要と断じていることになる。
 −−いや、力どころか。
 ルヴァは作動されないことを願う通信装置を見た。
 あれはアンジェリークを試すものだけではない。もしかしたら……ジュリアス自身を試すものなのかもしれない。


 「光の力……ですか?」
 年老いた神官が大声を出した。彼はどうやらもうかなり耳が遠いらしい。こちらが大きな声を出さないと聞こえないのはわかるが、彼自身も話しかけるとき大きな声になる。
 「ええ。どうして光の力を私に依頼しないの?」
 アンジェリークも大きめの声を出して尋ねた。
 「光の力……」神官は首を捻りつつ続けた。「天使様のおかげで、すべての力はこのエリューシオンに満ち、欠けたる力は何もないはずですが……」
 「え……?」
 アンジェリークは、神官が何を言っているのかわからなかった。光以外の他の力は確かにエリューシオンには満ちている。それは彼女自身がよくわかっている。だが。
 「はぁ……そういえば、孫のルゥが何か“光の力”とやらのことについて書かれた書物があると言って、持ってきておりましたなぁ」
 そう言うと神官はゆっくりと椅子から立ち上がり、彼の執務室奥へ向かってごそごそと何か探し出した。その間、アンジェリークは信じられない思いで神官の言葉を反芻していた。
 “光の力”とやら、ですって?
 欠けている力は何もない、ですって?
 どういうこと?
 「はぁはぁ、ありました、ありました。私の父の日記ですな。まったくルゥときたら、どこからほじくり出して来たのやら……」
 ペラペラとページをめくりかけて彼は、革製のしおりが挟まれていることに気づいた。
 「……ああ、ここに何か“光の力”と見えるようですが……すみません、私は最近とんと目も悪くて、細かい字が読めんのです」
 「眼鏡か何かは?」
 分厚く古びた本を受け取りつつアンジェリークは心配して尋ねた。
 「はぁ……まあ、ちゃんと作れば良いのでしょうが、どうせそれほど長生きできるわけもございませんし、面倒でして……」
 アンジェリークはしおりの挟まれたところを見ようとして手を止めた。
 「ルーグ……?」
 神官の表情が崩れた。
 「ああ、懐かしい名前で呼んでくださりますね、天使様。もう今となっては、そのように名を呼んでもらえることもなくなりました……」
 「あなたにはまだまだがんばってこれからもエリューシオンを導いてくださらなくちゃ嫌だわ。ルゥだってそれを望んでいるはずよ」
 神官は皺だらけの目のまわりにもっと皺を寄せて笑った。
 「はぁ、ルゥは意欲満々で神官の仕事を引き継ぐと言ってくれておりますからな。でも今が平穏無事ですから、先のことなどとてもとても」
 何か言わなければ、と思いつつアンジェリークはそれ以上もう何も言うことができなかった。おかしい。神官までがこんなことを言うなんて。
 そういえば神官ルーグの父親までは、とにかくがむしゃらに力を求めていた。それはもちろん、アンジェリークの育成が不安定だったことで、民の希望とアンジェリーク自身の育成とのバランスが上手く取れなかったせいもある。そのころを思えば今のアンジェリークはもう、手に取るようにエリューシオンの希望を予測できる。
 だが、それでも、こんな「今さえ良ければ」的な言い方をするようなことは考えられない。何故ならばエリューシオンはまだまだ未発展な大陸なのだから。
 嫌な予感がした。
 「これ、しばらくお借りしても良いかしら?」
 自分の部屋でじっくり読みたいと思ってアンジェリークが尋ねると、神官は快諾した。ありがたく借り受けるとアンジェリークは、神官の部屋を後にした。

作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月