Holy and Bright
◆10
神官の部屋から出たアンジェリークは手に件の本を持ち、一刻も早く読みたい一心で自室に戻ってきた。そしてドアを開けたとき、向かいの部屋のドアも開いた。
「天使様!」
ルゥが明るく声をかけた。笑顔で応じようと思ったけれど、アンジェリークにはそれができなかった。そのルゥの後ろに立っているジュリアスを認識したからだ。
いつものように厳しいまなざしを向けられるほうが良かった。だが、彼からはいつものような峻厳さは一切感じられなかった。
無表情。
それがよけいにアンジェリークの胸をえぐった。
……私が傷つけた? ジュリアス様を? あんなに強い方を?
二人の複雑な思いを知らぬまま、ルゥがアンジェリークの持っている本を指さした。
「あ、ジュリアス! 今、天使様が手にお持ちの本が、さっき僕が言っていた“光の力”について書いてあるんだよ!」
その言葉にアンジェリークとジュリアスの表情が動いた。
「ルゥ」
ジュリアスは低い声で呼ぶと、屈んでルゥを見た。
「ここを外してくれないか。私はアンジェリーク様と二人で話がしたい」
ルゥはいたって素直に頷いた。そしてジュリアスの方を少しだけ心配そうにして見た。
「ジュリアス、あんまり天使様を困らせないようにね」
けれど無邪気で優しいその言葉は、たぶんジュリアスよりも深くアンジェリークを傷つけた。
困らせているのはむしろ……私?
ルゥの姿が見えなくなったのを確認してジュリアスはアンジェリークを見た。アンジェリークはジュリアスが怒ると思って先に言葉を発した。
「あ、あの、私、まだ読んでないんです、この本に何が書いてあるのかは」
ジュリアスはそれに対し何も言わなかった。沈黙が怖くてアンジェリークは何か話し続けなければならないような気になり、はたと思いついた。
これならジュリアス様の機嫌が良くなるわ!
「ジュリアス、お願いがあります」
二人の他には誰もいないのに、アンジェリークは故意に命令口調になって言った。
「エリューシオンに、あなたの光の力を与えて欲しいのです」
さすがにジュリアスの表情にも変化があった。
「え……」
「ええ、そうです、光の力による育成をお願いします……えっと……たくさん、お願いしますね」
アンジェリークの予想では、もう少しジュリアスの表情が明るくなると思ったのだが、彼のそれはとても手放しで喜んでいるようには見えなかった。もちろん、意地を張ってポーカーフェイスを装っているとも言い難かった。
ジュリアスは小さく嘆息した。
「“光の力”の存在を知らぬ民が、我が力を望んだとでもおっしゃるのですか、アンジェリーク様」
冷たい声。そして、変化のあった表情はまた先ほどの無表情へと戻っていく。
「存在を知らない……?」
アンジェリークは先ほどから渦巻く考えに決着をつけられそうになり、慌ててそれを奥底へ封じ込めた。でないと何かとんでもないものが災いをもたらすために飛び出てきそうな予感がしたからだ。
アンジェリークは気力を奮い立たせた。
「何を言うのです、ジュリアス。私が与えてほしいと願ったから」
「……あなたが?」
ここで再び、ジュリアスの目が動いた。
「あなたが願ったから?」
何故、こんなに念を押すのだろうとアンジェリークは疑問に感じたが、とにかく頷いて見せた。
「……そうですか」
笑った。
初めてまともに見る笑顔だった。しかもアンジェリークに向けられた笑顔だ。けれどそれは、どことなく儚げだ。ジュリアスに儚げ、なんて言葉は似合わない気がしたが、アンジェリークは本当にそう思った。何だか、いつもの彼らしくない。
ほっとすると同時にアンジェリークは不安になった。ジュリアスのこんな表情は見たくない。こちらまで心が揺らいでしまう。彼はいつも自信に満ちあふれ、先に立って進むべき道を示す人なのに。
「早いほうがよろしいですね」
「あ、あの、夕食後でも……」
言いかけてアンジェリークは口をつぐみ、頷いた。少しでも彼のやろうとしていることに逆らわないほうが良いと思った。食後に育成などと聞けば、物のついでのように感じてジュリアスがまた無表情になるような気がしたからだった。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月