Holy and Bright
chapter 3
◆1
「もしも本当にそうであったとすれば……これは由々しき問題です。ジュリアスとアンジェリークの親交を深める……以前の問題です……あ、いえ」
言いかけた言葉を止めたルヴァの後を引き継ぐ声があった。
「……それをエリューシオンの天使に伝えるわけにはいかぬのか……?」
ルヴァとパスハはハッとして振り返った。
「クラヴィス……!」一瞬驚いたもののルヴァは、すぐににこっと笑って椅子を勧めた。「あなたも二人が心配なんですねー。嬉しいですよ」
だがクラヴィスは、鬱陶しそうな表情で首を横に振った。
「別に……。寝覚めが悪かっただけだ……」
「寝覚め?」
ふぅ、と嘆息するとクラヴィスは部屋の戸口にもたれた。
「ジュリアスが、光のサクリアを体に感じないと言ってきた……」
「な……何ですって?」
ルヴァはぎくりとして椅子から立ち上がると、クラヴィスの腕を引いて部屋へ入れ、ドアを閉めた。そして一転して厳しいまなざしになった彼に対し、淡々とした口調でクラヴィスは続けた。
「そして、これはどういうことかと尋ねてきた」
問われるまでもない。ルヴァはもちろんパスハですらその答えは知り得た。それをわざわざ対のサクリアを持つクラヴィスへ問わずにいられぬほどにジュリアスが惑っていた様子が、ルヴァには手に取るように想像できた。
ルヴァは沈痛な思いでクラヴィスを見つめた。
「ないんですよ、クラヴィス。どちらかがあの……通信装置を起動させない限り」
部屋の隅の機械のほうを見やり、ルヴァは答えた。
クラヴィスはふっと鼻で笑った。
「……まあ、もっとも、伝える方策があったところで、解決する問題ではないが……な」
−−答えてやったら、いつものように怒って言い返す、と思ったが。
口には出さず、クラヴィスは内で呟いた。
あれでも浮上できぬことがあるらしい……たかが小娘ひとりのことで。
されど。
大いなる者になろうとしている娘のせいで……左右される我らが力ゆえに。
「天使様」
肩を揺さぶられ、アンジェリークは目を覚ました。虚ろなまなざしを向けると、例の女が心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
「あ……」
「もうお昼前ですけれど……少しは何かお食べになりませんか? 神官様も心配されていますし」
「え!」
慌てて起き上がろうとしてアンジェリークは、はっとして胸のあたりを見た。腕にしっかりと件の本を抱き締めたまま眠ってしまったらしい。
「お昼前になってもお起きにならなければ声を掛けるよう伴の方から言いつかりましたけれど……本当にお起きにならないから……」
伴の方。
アンジェリークはさっと顔色を変えた。
「……ジュリアス……は?」
寝起きでかすれた声のままアンジェリークは言いながら、服装が昨日ジュリアスと出かけて神官の庭に出た後、この部屋に泣きながら部屋に飛び込んだままだったことに気づいてきまりが悪くなった。これでは彼女でなくても不審に思うだろう。夕食の呼びかけもきっとあっただろうに、それすら知らず、泣いたまま寝てしまったに違いない。
あの後、ジュリアスはどうしただろう。きつく閉じられたドアの音以外、何もない。
何も……。
「お出かけになりました。視察をしてくると」
その言葉にアンジェリークは大きく息を吐いた。
私にこんな思いをさせておいても、あの方は執務が大事なんだわ。そりゃあ、三日目も視察すると初日にスケジュール確認で聞いてはいたけれど、私を放って行ってしまったわけね……。
「あの」女はそのアンジェリークの様子に言いにくそうにしながらも続けた。「伴の方も、とても顔色が悪かったんですけど……何か……」
……顔色が悪い……?
アンジェリークはびくりとして女を見た。
「大丈夫ですかって声を掛けたら、初めて笑いかけてくださって」
……息苦しい。
「自分ができることは、せいぜいこの程度のことだ、とおっしゃって」
……息が止まる。
「……あの……お水を……ください……」
やっとアンジェリークは女の話を止める言葉を捻り出した。女のほうはそのようなアンジェリークの思惑に気付くことなく、もっぱら昨日から何も口にしていない天使の望みにほっとしたらしい、にっこり笑って頷くと部屋を出て行った。
アンジェリークは本を抱く指に力を込めたまま、起き上がるとベッドの上に座り込んだ。
私は、ジュリアス様に何を言った……?
霞がかった記憶を手繰り寄せつつアンジェリークはドアの方を見た。
私は正直に言っただけ。正直に、思っていたことを。だって……光の力を発してくださらなかったから。まるで……光の力を発することができないみたいな態度だったけど、騙されないんだから。
……でも、本当に?
あのときは、自分に負い目があった。民の望まぬ“光の力”を、ただそのときのジュリアスの心証を良くしたい一心で願った自分に。
けれど。
今、こうして落ち着いて考えてみれば、ジュリアスが……あの、それこそ執務第一の首座の守護聖がそのようなふざけた行為をするはずがない。いや、落ち着く必要すらない。すぐわかることだったのに。
顔を覆ったジュリアスの手は震えていた。
まさか……本当に、サクリアが尽きた……? それでジュリアス様はショックを受けて……?
むしろ今となってはその方がより頷けることだった。
(……私……なんてことを……!)
アンジェリークは思わず本を手から離し、頬に手をあてがって唇を震わせた。離された拍子に、本の、革のしおりの挟まった箇所が開いた。
愕然としていたアンジェリークの目にやがて、エリューシオンの言葉で書かれた文章が頭の中で意味を為して流れ出した。
「……ひっ……」
アンジェリークは小さく悲鳴をあげると、ぶるぶると体を震わせた。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月