Holy and Bright
chapter 4
◆1
「パ……パスハ。あの……お聞きしたいんですが」
「何でしょう、ルヴァ様。よろしければ……手短に願い……あっ!」
とたんに床が急降下する。ルヴァは思わず目の前にあった柵を掴んだ。
「大丈夫ですか!」
聞いているものの、パスハは前を見たままだ。
「ええ、ええ、大丈夫です。しかしその……」
もう柵を掴んだままでルヴァもパスハ同様、前を見た。
「アンジェリークはこんなに遊星盤の扱いが上手でしたっけね……?」
「とんでもない」
パスハは言下に否定した。
「少し前まではなかなか操れなくて、エリューシオンに行くにも相当な覚悟が必要だったぐらいですから……信じられません。この私が、ついていくのがやっとだなんて」
そう言っている間にも、彼らの前を行く遊星盤はすさまじい速さで大陸エリューシオンの大部分を占める森の上を走っていく。
「遊星盤の操作は精神的なものもありますからね……それだけ……アンジェリークも必死なのでしょうね」
そう呟いてルヴァは足元の床の向こう、森を見る。
−−ジュリアスを救おうと。
光の力についてアンジェリークに伝える方法はないのかと尋ねるクラヴィスに対し、ルヴァは沈痛な表情で答えた。
「ないんですよ、クラヴィス。どちらかがあの……通信装置を起動させない限り」
部屋の隅の機械のほうを見やり、ルヴァは答えた。
クラヴィスはふっと鼻で笑った。
「……まあ、もっとも、伝える方策があったところで、解決する問題ではないが……な」
そうクラヴィスが言ったとき、その通信装置が作動し始めた。
ルヴァは思わず椅子から立ち上がり、クラヴィスは眉を顰めた。
パスハが応対すべくスイッチを操作した。空間に画像が映る。アンジェリークだ。後ろに人がいるらしいが、はっきりとはわからない。
「……女王候補アンジェリーク」
パスハはいつも以上に感情を表さないよう留意しつつ言った。
「これを作動させたらどういうことになるか弁えた上でのことで……」
だがパスハの言葉はアンジェリークの声で遮られた。
「パスハさん、お叱りは後で受けます。それより」
「どうしましたか、アンジェリーク」
思わずルヴァは声をかけていた。アンジェリークの表情がただごとではなかったからだ。
「ルヴァ様……」
ジュリアスの姿は見えない。揉めたりして自棄を起こしていなければよいのだが、とルヴァは心配になった。険しい表情のアンジェリークが一瞬泣きそうになったのを、ルヴァは見逃さなかった。
「何かあったのですか?」
それには答えず、自分を映す画像を突き破るような勢いでアンジェリークは身を乗り出し叫んだ。
「……遊星盤を私に貸してください! 今すぐ!」
「アンジェリーク、何を言うか……!」
思わずパスハが声を荒げたが、それを制してルヴァが画面の中心に出た。
「どうしたのです、アンジェリーク。落ち着いて答えなさい。ジュリアスはどうしました?」
アンジェリークが何か言おうとしたそのときだった。横から子どもがアンジェリークの前に出て叫んだ。
「天使様の言うことを聞いてよ、おじさんたち!」
ルヴァの後ろでクラヴィスが小さく吹いた。ルヴァはむむ、と唸るとちらりとクラヴィスを顧みて「あなたもきっと『おじさんたち』の中にいますよ」と小さく呟いた。
「無礼なことを申すな、この方々は」
しかし、パスハの怒り混じりの言葉は、今度はその無礼な子どもから恐ろしい威力をもって遮られた。
「早くしないと、ジュリアスが死んじゃうよ!」
「な……なんですって」
ルヴァはそう言うと、その子どもの姿を見てぞっとした。上半身裸のその子どもの両手が赤く染まっていた。あちらこちらに小さな傷をこさえていたが、それ以上にルヴァの目を捉えたものは、子どもの瞳だった。赤くなってしかも潤んでいる。先ほどまで泣いていたに違いない。
アンジェリークがその子どもを腕の中に抱え込んでなだめていたが、そのアンジェリークの目にも泣いた跡が見られた。しかも顔色は真っ青だ。
ただごとではない。
そのとき、ルヴァの背後からクラヴィスの声がした。
「……暑苦しくはない」
「え」
一瞬、何を言っているのか、ルヴァにはわからなかった。
「存在はなくなっていない。ただ……弱っている」
クラヴィスもルヴァと同じ位置に進み出て、画面に映るアンジェリークに向かって言った。
「どうしたかは後でいい……どうしたいか言え、アンジェリーク」
クラヴィスの言葉にアンジェリークは表情を硬くしたまま早口で言った。
「遊星盤を貸してください。ジュリアスが森の中で足に酷い傷を負って動けないようなのです」
そして短く息継ぎをし、すぐに言葉を続ける。
「動物の大群が森から一斉に移動し、それに巻き込まれたんです。ジュリアスは、森の奥で山火事が起こっているかもしれない、と言っているそうです。だから一刻も早く」
胸が締め付けられる。痛い。
「早く、ジュリアスを助けたい……絶対に助けたいんです!」
体が震える。
「パスハ……貸してやれ」
クラヴィスがぼそりと言った。
「しかし……」
「幸いなことに……今は私が首座の守護聖の留守を預かっている」
そう言うとクラヴィスは余っている椅子に座り込んだ。パスハは小さく嘆息したが、どこかほっとしたようだった。彼にしてもあんな必死の形相のアンジェリークの願いを断りたくはないのだ。
「私が行きましょう」ルヴァはそう言うと、パスハのほうを見た。「パスハ、ある程度応急処置できる道具を積んであなたも来てください。ジュリアスの容態が重いようなら飛空都市に連れ帰らなければなりません。男手は二人あったほうがいい」
パスハが頷いて身を翻し、部屋から出ていった。ルヴァはアンジェリークのほうを見た。微かに笑っている。本当に微かだったが。
「クラヴィス様、ルヴァ様、ありがとうございます! では神官の館でお待ちしていますね」
「私もすぐ行きますからね」
そして通信を切断するとルヴァはクラヴィスのほうを見た。
「私はここで居眠りでもしていることにしよう」クラヴィスはそう言うと、ぐっと椅子の背にもたれた。「……しかし、破天荒な娘だ」
ルヴァは苦笑した。
「ええ……でも……こんな状況で不謹慎かもしれませんが……」
クラヴィスは目だけをルヴァに向けた。
「彼女、私やあなたは敬称を付けて呼びますが、ジュリアスは」
「ああ」さも面白くなさそうにクラヴィスは頷いてみせた。「そちらはどうやら解決しそうだな……」
「ええ、ですから」
……ジュリアスを助けなければ、ね。アンジェリーク。
エリューシオンにおける、あなたの、光の守護聖を。
「……何かあればすぐに呼べ」
クラヴィスは目を閉じつつ言った。
「わかっていますよ、クラヴィス」
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月