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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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Holy and Bright

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◆3

 アンジェリークの意志で動く遊星盤は、突然地から発せられた閃光めがけ一直線に飛んだ。片腕だけを柵に引っかけて地表を懸命に見つめるアンジェリークの目は、その閃光の根本へと注がれた。樹々の枝や葉が覆い姿は見えないが、強い光の力だけは何物にも遮られることなくアンジェリークの目の前を天へと向かって発せられている。
 再び目線を地に移し、アンジェリークは遊星盤をゆっくりと降ろし始めた。最初の枝葉を越した時点でその光源は見えた。
 「……ジュリアス……!」


 いきなり自分のほうへ何かが樹々の枝を押し退けながら降りてくるのがわかり、ジュリアスは目を見開いた。
 あれは……遊星盤!
 何故このような所に……?
 その瞬間、ジュリアスはその遊星盤からまさに身を投げ出さんばかりに乗り出してこちらを見ているアンジェリークの姿をみとめた。
 翼……だ。
 光の力を掌に収め、ジュリアスは仰向けのままアンジェリークとその背の翼を見た。それは自分が発するものよりもはるかに輝く光を湛<たた>え、降りてくる。
 なんと聖なる眩さ……!
 ジュリアスはしばらく声も出せず見つめていた。
 近づいてくる。そしてまるで自分に向かって差し伸べるように空いている手を伸ばしてくる。思わずジュリアスも手を伸ばしかけたところで我に返り、叫んだ。
 「何をしている、アンジェリーク! そのように身を乗り出しては危険ではないか!」
 そう言ってしまってから、ジュリアスは一瞬目を閉じた。
 ……何を言っているのだ、私は……。たぶん彼女は、私を探しに来てくれたのだろうに……。
 だが、それでもジュリアスは言わずにはおれなかった。
 「アンジェリーク、早く戻れ!」
 もっと優しくすれば良かったと思っていたのに、このような状況においてもきつい態度しか取れない自分をジュリアスは歯がゆく思った。
 アンジェリークは伸ばした手を引いた。
 ジュリアスは落胆する。
 本当はあの手を掴みたかった。掴んで温かさを確かめたかった。それほどに自分は心細く、全てを諦めていたのに。きっとまた彼女はうなだれる。向こうのほうが頭上にいるので、あのうなじは見えないだろうけれど、目は伏せられ、笑顔は戻らない。そのような姿、そのような顔は見たくない……それなのに。


 アンジェリークはジュリアスの様子をじっと見つめた。
 今までは、叱られては俯くばかりだったから気づかなかった。
 ジュリアス……私を怒ってから、とても気まずそうな、辛そうな顔をしている。それに叫ぶ前、ほんの一瞬だったけれど……すがるようなまなざしだった−−まるでひとり放っておかれた子どものように。
 だから私、思わず手を伸ばした。
 くす、とアンジェリークは苦笑した。
 俯いたりしないで、もっとちゃんとあなたを見ていれば、全ては理解できることだったのに……ね。
 アンジェリークは言われたとおり体を遊星盤に戻した。そしてジュリアスの横たわる場所から少しだけ離れた場所に着地した。


 こちらへ駆けてくる音がする。
 まず、礼を述べるべきなのだ、とジュリアスは自分に言い聞かせた。そうだ、先ほども怒鳴るより先に言うべき言葉があったはずだ。だが、あんなに身を乗り出して、もしも落ちたりしたらと思うと気が気でなかった。
 落ちてきても助けられない……情けない。
 だからつい。
 「ジュリアス!」
 さあ、礼を。
 意を決してジュリアスは片方の腕の肘をつき、少し体を起こそうとしたその時、言葉より先にアンジェリークの手が伸びた。
 「……え?」
 目の前が真っ白になり、何か柔らかなもので顔を覆われた。


 まず顔を合わせたら笑顔を、とアンジェリークは思った。
 もう私はわかった。ジュリアスの厳しい表情の裏側を私は見た。表側ばかりを見て憂鬱になっていた私……まず笑顔。そして許してもらえなくても懸命に謝る。
 そう思ってジュリアスの元に行ったアンジェリークは、その足元の赤い血だまりに驚愕した。それはもう固まってしまっていたけれど、傷の深さ、酷さをまざまざとアンジェリークに見せつけた。そして、いざ間近に見てわかったジュリアスの血の気のない顔。
 先ほどの、ジュリアスも自覚していないかもしれないほど一瞬の、すがるようなまなざしを思い出す。
 可哀相、だなんて同情を彼は良しとしないだろう。
 第一、私が泣いてもどうにもならない。
 けれど。


 「……アンジェリーク」
 「ごめんなさい……!」
 「……何故、おまえが謝る」
 「ごめんなさい……」
 体が小刻みに震えている。鼓動が速い。それがジュリアスの頬に伝わる。
 ジュリアスはアンジェリークの胸の中に抱かれていた。顔を彼女の乳房に埋めているような格好になってしまっている。一瞬何が起こったのかわからなくなり、やがて状況を掴めたとき狼狽えはしたのだが、それよりもジュリアスは妙にほっとしている自分に驚いた。
 本来ならば不埒なことに違いない。守護聖たる自分……いや、大の男である自分が、少女の胸の中で安らぎを覚えるなど。それどころか、ずっとこのままでいたいと思うことなど。けれど、本当に自分は追い込まれていたようだ。それほどに、ここは柔らかく、温かい。
 だが……そうもしていられまい。
 「アンジェリーク……それより山火事はどうした」
 礼を言うのが先だったはずだが?
 案の定、頬に触れている乳房が揺れ、頭を抱えた腕の力が少し弱まった。
 呆れられたな、きっと。
 自分の頑なさに、ジュリアスは苦笑するしかなかった。
 だがそのとき、聞いたこともないような厳かで静かな声が降ってきた。
 「ジュリアス。私の罪は後で詫びます。何度でも、どんなに許してもらえなくても。でも」
 はっとしてジュリアスは、腕が緩められたのを幸いに頭を動かして、アンジェリークを仰いだ。すぐ目の前でアンジェリークは、もはやうなだれることも、視線を外すようなこともしなかった。ただ真っ直ぐにジュリアスを見つめている。
 今までのアンジェリークとは違う。だがそのようなことはすでにわかっているのではないか?
 自分を呼び、体中にその叫び声を響かせた少女。
 そして、あの聖なる眩い翼。
 「こんなに酷い目に遭っているあなたに……お願いがあります」そう言ったとき、初めてアンジェリークは顔をゆがめた。「光の力を……」
 望まれている。
 ジュリアスは少しだけ口元を綻ばせた。たとえ自分の持つサクリアによる光の力だけであったとしても、不要と断じられるよりはずっと良かった。
 再び頭をアンジェリークの胸に預け、ジュリアスは言った。
 「もう少し……我慢して私を支えてくれ」
 「え?」
 それには答えずジュリアスは、肘をついていないほうの手を前に突き出すと、その掌を天に向けた。とたんに閃光が再び掌から発せられ、中空を突き抜けていく。
 アンジェリークはジュリアスの背のほうへ回り、ぺたんと地面に座り込むとジュリアスを自分の体にもたれさせた。
 「重いぞ」
 「大丈夫。しっかりもたれて」
 そうきっぱりと言ってからアンジェリークは、ジュリアスの耳元で小さな声で言った。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月