Holy and Bright
◆4
一番最初に駆け込んできたのはルゥだった。
「酷いよ、天使様っ! さっさと行っちゃうなんて!」
「ごめんねー!」潤んだ目をそのままに笑顔でアンジェリークが叫ぶ。「あなたの固定装置、解除するの忘れてた!」
前でジュリアスが思わずぷっと吹き出した。
「くくりつけていたのか、ルゥを」
「あ……はい、だって、遊星盤を全開にしたので……」
調子よく言いかけたところでアンジェリークはジュリアスの表情が変わったのを見て取り、口を噤んだ。
ふぅ、とジュリアスは長く息をすると、引き続き光の力を発したまま言った。
「……礼を言う。それほどに必死になって捜してくれたのだな、私を」
アンジェリークはまた泣きそうになったが、ルゥがとうとう脇にまで来たので、黙って頷くだけにした。
そのルゥは、ジュリアスの横に座り、その掌を見つめた。
「……ジュリアスが光の守護聖様だったんだね」
それには返事をせず、ジュリアスはルゥを穏やかな目で見た。
「よくがんばったな。おかげで私は助かったようだ」
その言葉に緊張がほぐれたのか、ルゥは一気に涙目になった。
「光の力……いっぱいください、エリューシオンに」
「ルゥはね、新しくエリューシオンの神官になったんですよ」
横でアンジェリークが言い添えた。
「……そうか」
そう言ったジュリアスは正面からやってくるパスハとルヴァに目を向けた。アンジェリークは背から手を伸ばし、ジュリアスの、光の力を発していた掌を上から軽く抑えた。
「さあ、今はもうこのぐらいで」
「アンジェリーク……?」
「今度はあなたの手当てが先決です、ジュリアス」そう言うと、アンジェリークはパスハを見た。「パスハさん、来てくださってありがとうございます。ここ、替わってもらえますか?」
パスハは頷き、片膝をついた。
「失礼します、ジュリアス様」
「ああ、すまない」
そう言ってジュリアスは、目の前で大きくため息をつくルヴァを見た。そのルヴァはジュリアスの足を見て眉を顰<ひそ>めていた。
「……ジュリアス……無茶をしないでください。あなたは一体、自分が何だと思ってるんですか」
「あ、あの、ルヴァ様!」思わずアンジェリークが声をかけた。「ジュリアスを叱らないでください、私が悪いんです!」
「ジュリアスも天使様も叱らないでください、地の守護聖様!」横でルゥも叫んだ。だが、はっとして、小さな声で続けた。「その……さっき、おじさんって呼んだのは謝りますから……ごめんなさい」
「ルヴァのことを『おじさん』呼ばわりしたのか? ルゥ」
ルヴァの叱責を放ったまま、ジュリアスはルゥのほうを見た。完全に顔が笑っている。反対にルゥは小さくなっていた。
「……ごめんなさい……」
ルヴァは肩をすくめるとジュリアスの負傷した右足の側に座り込んだ。
「……まったく……あなたもクラヴィスも、私と一つしか年が違わないのに、何を他人事のように笑うんですか」
「私は幸い、おじさん呼ばわりはされなかった。なあ、ルゥ」
「ジュリアスは……ジュリアス」
正直にルゥが答えたので、くく、とジュリアスは笑った。ルヴァは呆れ顔でジュリアスを見ていたが、同じように笑った。
「思っていた以上に元気そうで良かったですよ。この子が『ジュリアスが死んじゃう!』と叫んだときには身が凍りましたが」
「……ああ、すまぬ」
笑いを収め、ジュリアスは軽く頭を垂れた。もうだめだ、と本当は一瞬でも思ったことは口には出さなかった。
ルヴァは持ってきたいくつかの道具類の中から、カメラのような機器を取りだし、ジュリアスの負傷した箇所のあたりを眺めた。
「ええ……骨は大丈夫、折れていないようですね。でも……大きな血管が切れたので、血が大量に出たんですね」
ジュリアスの支えをパスハに頼んだアンジェリークはルヴァの横に座り、一緒になって傷の具合を見ていたが、やがてすく、と立ち上がった。
「ルヴァ様、パスハさん……ジュリアスのこと、どうぞよろしくお願いします」
そう言うとアンジェリークは深々と頭を下げた。はっとしてルゥも立ち上がり、アンジェリークの側に駆け寄った。
「天使様、僕も行きます!」
アンジェリークはそう言ったルゥを見た。ジュリアスはその姿に目を見開いた。
また……翼が。
「あなたはもう充分がんばってくれたわ、ルゥ。だからもうお帰りなさい。きっとルーグが心配しているわ」
だめだ……! 絶対にひとりでは行かせない。
「ルヴァ、簡易的なことでよい、早くやってくれぬか」
ジュリアスのその言葉に驚いたアンジェリークが何か言おうとする前に、ルヴァがとうとう大声を出した。
「あなたは何を言ってるんですか、ジュリアス!」がしゃんと道具を地面に置いて身を乗り出し、ジュリアスを睨みつける。「女王陛下をお守りする守護聖の首座たるあなたがこんな大怪我をして、そのうえまだ動き回るつもりですか!」
ジュリアスもルヴァを見返した。
「今の私はエリューシオンの天使たるアンジェリークの守護聖だ」きっぱりと言い放つ。「彼女が行くのであれば、私はそれに付き従うまでだ」
「……だめです」
黙っていたアンジェリークが呟くように言うと、ジュリアスの脇に行って膝をつき、顔を見据えた。
「ではその私の命令です。あなたは至急ルヴァ様とパスハさんと共に飛空都市に戻り、適切な治療を受けてください」
その言葉にジュリアスは、虚を衝かれたように呆然としてアンジェリークを見た。
「……私は必要ないと?」
思わず無防備にそんな言葉が漏れ出た。ジュリアスにとってそれは、物理的な傷の痛みをはるかに凌駕するものだったから。
だが、アンジェリークは笑った。
「ジュリアス」
笑って声をかけると、両方の掌でジュリアスの頬をくるんだ。
ジュリアスはどきりとする。
この光景。
「あなたの持つ力は必要だけれど……それ以前に、大切な人なんです。だから大事にして欲しいんです」ジュリアスの顔を覗き込むようにして、アンジェリークは言った。「大丈夫。すぐ戻りますから」
そう言うとアンジェリークはきゅっと手に力を込めた後、ゆっくりと掌を離した。そして振り返りもせず、再び遊星盤へと駆けていった。
追いかけようとするルゥを、ルヴァが止めた。何か言おうとしたルゥに、ルヴァは黙って首を横に振って応えた。その、穏やかな表情の下の断固とした拒否に、ルゥは動きを止めてうなだれた。
ぼんやりとその様子を見ながらジュリアスは、ルゥと自分の姿を重ね合わていた。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月