Holy and Bright
◆4
エリューシオンは一週間ぶりだ。だがアンジェリークやジュリアスのいる飛空都市とこちらとでは時の流れが異なる。アンジェリークが先日遊星盤から眺めたよりもずっと家は増え、多くの人の動きも見える。
「良いか、アンジェリーク」
いきなり声をかけられ、アンジェリークはびくりとして肩を震わせた。
どうしよう、またやっちゃった。
アンジェリークは身をすくめた。きっとこんな態度すらジュリアス様は気にくわないに違いない。だが横からは本当に小さなため息の後、思った以上に穏やかな声が続いた。
「エリューシオンに着いたら、私のことを『ジュリアス』と呼ぶように。神官にはそうだな……伴の者とでも答えておくがよい」
「えええ!」
アンジェリークは思わず叫んで見返したが、呆れ顔のジュリアスと目が合ったので、再び目を遊星盤の床に戻した。
「ディアが言ったではないか。おまえはこの地ではいわば女王たる存在だ。自在に振る舞い、しっかりこの地の様子を見るがよい。そして−−」
遊星盤の片隅に置いてあった二つの四角い金属でできた箱のようなもののうち一つを取るとジュリアスは、それをアンジェリークに渡した。
「万が一、おまえもしくは私が飛空都市に緊急で連絡する必要が生じた場合はこのスイッチを押すように」
四角い箱には確かに銀色のボタンが付いていた。
「……あ……はい……ディア様からも伺いました……」
少し緊張した面持ちでアンジェリークは答えた。そうだ。これを押すのは簡単だ。
だが--。
「あなたや、あるいはジュリアスがこのままではいけない、と判断したとき、そのスイッチを押して飛空都市に連絡してくださいね」
「え……じゃあ、それ以外は」
「通信方法はありません。だって、何のための試験だと思っているの?」
アンジェリークにとって恐ろしいことを、この美しい女王補佐官は微笑んで言う。そしてそれはまだ、ほんの序の口の話だった。
「ああ、それと、それが押された瞬間、あなたは女王試験失格だと思ってください」
「え」
ディアのために煎れていたお茶がカップからこぼれ落ちた。慌ててそこにあった布で拭おうと躍起になるアンジェリークに、ディアはなだめるように言った。
「安心なさい、アンジェリーク。特段、エリューシオンに問題はないはず。ならば、緊急呼び出しなんて、そうそう必要はないでしょう?」
「あ……はい……でも……」
「実際にあなたの育成した大陸を見に行きなさい。ジュリアスは首座で古参の守護聖だから、進化途中の星についての知識はルヴァのそれとは異なる経験に基づくものよ。きっといろいろ参考になると思うわ」
「そ、それはもう……当然おわかりだと思います」
でもそれだけじゃない、とアンジェリークは思っている。
ジュリアス様にかかればきっといろいろなアラも見えてしまうに違いない。そして呆れ果てて、思わず押してしまうかもしれない……アンジェリークの運命を決めるスイッチを。
「そういえば……光の力を、エリューシオンの民は欲していないわね」
穏やかな表情のまま、ディアはアンジェリークの痛いところを衝いた。
「……はい……」
「それがどういうことかも、あわせて考える良い機会です。しっかりね」
それだけ言うと、ディアは立ち上がってドアのほうへと向かった。そしてドアに手をやり振り返る。
「そうそう、アンジェリーク。エリューシオンにいる間、ジュリアスは女王陛下のではなく、あなたの守護聖ですからね、あなたが望めば彼は力を発揮するし、望まなければ力は使われることがない。どうするかは、あなたしだい。いいわね」
「はい……」
ジュリアス様の力を煩わせることなんて、ないんだけどな……とアンジェリークは思いながら、ディアを見送った。それとも、光の力をエリューシオンに与えないとまずいのかな……やっぱりまずいんだろうな……。
でも……光の力なんて……要らないのに。
その間に遊星盤はエリューシオンに到着した。駆け寄る神官の姿が見える。ジュリアスは箱を手渡そうとしたが、一瞬、目を閉じた。深呼吸しているようだった。そして再び目を開いたとき、ジュリアスの方を見上げていたアンジェリークの目線からそのジュリアスが消えた。
「え?」
ジュリアスは目線から下にいる。それどころか、跪いている。アンジェリークは息をのんだ。
「ええ?」
「それでは箱をお渡しします……アンジェリーク様」
「えええええ?」
なんとか箱を受け取りながらもアンジェリークは狼狽えてしまっていた。
「天使様、アンジェリーク様、ようこそエリューシオンへ! 自ら降り立ってくださるとは、民一同、御礼申し上げます!」
叫びながら神官が入ってきた。以前よりずっと年を取っている……なんて感慨を、今起こっていることに衝撃を受けているアンジェリークは感じることができない。ジュリアスは跪いたまま、アンジェリークの側に控えている。
「おお、従者の方をお連れですね。それではさっそくご案内いたします。ほら、おまえさまもこちらへ」
その方は、光の守護聖ジュリアス様なのよ……と思わず言いそうになったが、横でスカートの裾を引っ張られた。床に視線を落としたまま、ジュリアスが引いていたのだ。
出張試験は否応なしに始まった。アンジェリークは再度ごくりと息をのみ、あごを引いて言った。
「わかったわ。参りましょう……ジュリアス」
「御意」
神官に案内され、アンジェリーク、そしてアンジェリークの鞄を三つ抱え、ジュリアスが行く。後ろから痛いほどの否定的な視線を浴びているように思い、堂々とした態度とは裏腹に、アンジェリークは気が気ではなかった。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月