Holy and Bright
◆4
「アンジェリーク!」
叫ぶとジュリアスは、シーツから少し見えている肩を掴み、そのシーツごと一気に、俯せに倒れているアンジェリークの体を抱き起こした。抱き起こして……頭が真っ白になった。
何も……
何も着ていない……!
しかも、背中だけとはいえ唯一アンジェリークの肌を覆っていたシーツが、肩から背中を滑るように剥がれ、ベッドの上にばさりと落ちた。
ジュリアスはあまりの驚きに、一瞬言葉と理性の両方を失いそうになった。だが、そのように自分の前で裸体を曝してしまっていてもまるで気づかないアンジェリークの様子に、ようやくジュリアスは我に返った。
躊躇しても仕方がない。ジュリアスは改めて腕をアンジェリークの肩から腰に移動させて自分の方へ抱き寄せると、軽くアンジェリークの体を揺さぶった。
「アンジェリーク、しっかりしろ!」
揺さぶると同時に彼女の乳房も大きく揺れる。思わずジュリアスは目を閉じかけたが、もしもアンジェリークに何か異変があった場合に察知することができない、と観念して目を開いた。だがアンジェリークの瞼は開かない。そこでジュリアスはアンジェリークを自分の方に向きを変えさせて仰向けにし、ゆっくりとベッドに降ろそうとした。
しかしそのとき、ドアの向こうからバタバタと人の走ってくる気配がしたかと思うと、激しくドアを打ちつける音がした。
「天使様! ジュリアス様! どうされました!」
あの女だ。やっとノックすることを覚えたか……。あまりに強烈な衝撃を受けていると、存外どうでもいいことに気づいてしまう。
ジュリアスは改めて今の自分とアンジェリークの姿を見た。
ベッドの上、一糸まとわぬ姿でアンジェリークが大の字に横たわり、その彼女を横たわらせるためとはいえ、四つんばいになって覆い被さるような形の自分がいる。それだけではない。ジュリアス自身バスローブ姿で、しかも前がはだけている。さっき寝間着に着替えようとして紐を解いたのが徒になった。このバスローブを脱いでしまえば……自分もアンジェリークと同じ姿になってしまう。
そのうえ自分は。
ジュリアスは、まるでその状況を見たくないかのように視線を引き上げて目を閉じ、大きく深呼吸すると、以前のようにドアを開けたりしない女に感謝しつつ叫んだ。
「問題ない! 騒がせたな」
「大きな音がしましたけど、大丈夫ですか?」
そうだ、大きな音がしたから自分も慌てて部屋に飛び込んだのだ。さっと辺りに目を走らせたジュリアスは、ベッドとその際の小机との間にあの辞書が落ちているのを見つけた。
「辞書だ……辞書が落ちたのだ!」
一瞬外が静かになった。きっと、しまった、と思っているのだろう。
「す……すみません、すぐ片づけ……」
「明日で良い!」
慌ててジュリアスは女の言葉を遮った。今、ここへ入られでもしたら、先日の夜伽云々の話では済まなくなる。
そこまで思ってジュリアスは、急に頭がぐらり、と揺れるのを感じた。
「わかりました。それでは……失礼します……」
「……ああ、面倒を……かけた……」
足音が遠ざかっていくことだけはどうにか確認すると、ジュリアスは脱力したようにアンジェリークの上で突っ張らせていた腕の肘を折った。アンジェリークの首筋の横に額をつき、肩を落とす。彼女の乳房の上へまともに自分のはだけた胸が重なるのがわかった。だが、身を引くこともできぬくらい体がだるい。それでも足はなんとか膝をつき、崩れ落ちぬようにしていた。ここで足まで降ろしてしまったら完全に体を重ねてしまうことになる。それだけは何としてでも避けなければならないとジュリアスは思い、懸命に再び腕に力を込めて体を持ち上げようとした。
そのとき。
「すぅ」
……すぅ、だと?
耳元に、確かに聞こえた。
ジュリアスはどうにか顔を上げ、アンジェリークの様子をうかがった。依然として目が覚める様子はないが、少なくとも気絶しているのではないらしい。
どう考えてもこれは……寝息だ。
視覚で気が動転しきっていたジュリアスは、ここでようやく部屋に蔓延している香りに気づいた。これは……クラヴィスの執務室でも嗅いだことのある香りだ。
ぐらぐらする頭をなだめつつ引き上げると、ジュリアスはもたつく足を動かし、部屋の隅の棚に置かれた燭台を見た。
「クラヴィスめ……!」
ジュリアスは歯がみしながら、何とか溶けた蝋の垂れる前に、側にあった水差しへ火のついた蝋燭を一斉に突っ込むことができた。恐ろしく野蛮な消し方だと思ったが、そのようなことはもうどうでも良かった。
……贈るのなら……きちんとやり方を教えてから……渡せ……!
そう悪態をつきながらも、ジュリアスとてわかっている。常識的に考えても、これは一本だけ灯せば良い話だ。なのに何故このように……?
しかし、実際のところ、蝋燭を消したからといって、部屋に広がってしまっているこの香りを消すのは容易ではない。窓を開け放ってはみたが、不幸なことに風一つ吹かない穏やかな夜だ。そこら中に香りが染みついてしまっている。
仕方ない……。
ジュリアスはベッドまで戻ると、アンジェリークを自分の部屋へ連れて行くことにした。あの、看病された夜よりもある意味ずっときつい酩酊状態だが、この部屋に居続けたら自分もこのような酷い姿のまま眠りこけてしまう。明日の朝、それこそ件の女が起こしに来たときのことを考えると……ぞっとする。
ジュリアスはドアをゆっくりと開いた。そして廊下に誰もいないことを確認すると、大股で飛ぶようにして向かい側の自分の部屋へ行き着き、そのドアを開け放った。
ああ、空気が良い。
その場で深呼吸するとジュリアスは、再びアンジェリークの部屋へとって返し、先程ベッドに落ちたシーツを持ち上げた。そのとたん、あまりの香りのきつさにくらりとよろめく。布の方が香りの染み込む度合いが激しい。これに巻いて行くぐらいなら……。
意を決してジュリアスは、ベッドに横たわるアンジェリークの裸体を素早く抱き上げた。だがその拍子に片足がぶらりと垂れ下がり、彼女の股が開いてしまった。ジュリアスの目は否応なしにそこへ吸い寄せられる。顔は少女だ。体ももちろん発達の途中だろう。だがそこは……。
ぎゅっと目を瞑って顎を引き、再びかっと目を見開くとジュリアスは、目線をドアへと向けた。そしてアンジェリークの体を軽く揺すって足をそろえさせると、抱きかかえたまま一気に自分の部屋へ向けて駆けていった。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月