Holy and Bright
ジュリアスは、アンジェリークが目覚める前にも意識せずシャツの襟元を掴んでいた。最初はきちんと閉じていた。だが、アンジェリークの寝顔を見守りつつじっと座っていると息苦しくなって、たまらずそれを開いてしまっていた。
どうかしている。まるで熱病にうなされたように。
……私も、そして彼女も。
息苦しさが戻ってジュリアスは二つ目のボタンを開いた。
少し前、彼女は私に向かって「大嫌い」と言った。なのにさっきはもう「大好き」になっていた。
では今は……また「大嫌い」になっているかも知れぬな−−そう思ってからジュリアスは、首を横に振った。
きっと好いてくれたままだろう。
自惚れているわけではない。だが、妙にそれは確信めいていた。
自分が私を嫌うと、光の力が失われると思っている。いや……それは後から付いてくる結果に過ぎない。そういうことはもう、今の彼女にとっては些細な事柄に過ぎない。きっと私よりずっとそういうことには心が広いのだ……女王だから……いや、アンジェリークだからこそ。
けれど、私の方が自分のことを何とも思っていない、と勘違いしたまま女王でない自分自身の心を閉じた。虚ろな表情に、無理矢理笑顔を載せて。
そこまで思うと、ジュリアスは自分のやったことがひどく残酷な気がしてきた。
私は、私だけを救済したのだ。
おまえの翼をむしらずにはおれない自分の欲望が恐くて、光の守護聖と、それが敬愛する女王という立場だけを重んじたために……おまえの心を閉じさせた。
それでも、おまえは私を好いたままだろう……私はそうさせるべくおまえに勘違いさせたまま、どさくさに紛れ誤魔化しただけだ。
けれど。
賢明なおまえは、すぐ気づくだろう。私如きの稚拙な嘘はあっという間に見抜かれる。
「そんな笑顔、あなたのものじゃない!」
……だからな。
苦笑してジュリアスは、ベッドから立ち上がった。
とにかくアンジェリークに謝るべきだ。彼女にばかり恥ずかしい思いをさせたまま……あの虚ろな表情のまま、せっかくのエリューシオン最後の日に発たせたくはない。
そのとき。
ゴ……ンと鈍い音が響いた。それと同時に「きゃあ!」という悲鳴が聞こえた。
「……今度は……何だ?」
思わずそう呟きつつ、ジュリアスはドアへと突進した。
「アンジェリーク、入るぞっ!」
そう叫んでジュリアスはドアを開いた。
「い……いたた……」
今度はアンジェリークも意識があったようだが、床に突っ伏していた。しかも相変わらず裸のままだった。
構わずジュリアスは駆け寄ると跪いてアンジェリークの肩を掴み、抱き起こした。鼻が赤い。ジュリアスが彼女の足元を見ると、件の辞書がころがっていた。どうやらそれに躓いたらしい。
「……どうしたのだ」
涙目になりつつアンジェリークは何か言っているらしいが、手で鼻を押さえているせいか、それが口元にまでかかっていてよく聞き取れない。
「ぬわいんです」
「は?」
アンジェリークは鼻から手を離してもう一度言った。
「ないんで……」
そこで何か思い出したらしく、アンジェリークはぎゅっとジュリアスのシャツを掴んだ。
「……あ、あの……ジュリアス……」
「何だ」
「あの、私が“昏倒”したとき、手に何か握って」
言ってからアンジェリークはしまった、とばかりに口をつぐんだ。
何だろう、とジュリアスは首を傾げたが、ふと、アンジェリークの体を洗うためにシャワーに入る前、まさに、手に何か握っていたのを思い出した。
「ああ、確か……」
ジュリアスはアンジェリークを抱き上げるとベッドに横たわらせ、自分は部屋の外に出ようとした。
「うわあ、ジュリアス! あの……!」
何か叫んでいたようだが、ジュリアスはとにかくあのバスローブのポケットに突っ込んだままの“何か”を取ってくれば落ち着くだろうとぐらいにしか思わなかった。
件のバスローブはシャワーのドアに掛けていた。アンジェリークの体から滴る水気を取るためいったん着せたので、出発ぎりぎりまで乾かしておこうと思って置いておいたのだった。確か右側のポケットに入れたと思い、手を突っ込んだところで、後ろからバタバタとアンジェリークが走ってきた。さすがに体にシーツは巻いていたけれど。
「……アンジェリーク。いい加減に服を着ないか」
この娘は、自分の肢体が私にとっていかに目の毒だということがまるでわかっていないから……困るのだ。
「わ、わ、わかってます! でも」
「ああ、そのようにこれが気になるのか?」
ポケットの中で確かに柔らかな手触りがあった。何か布らしい。ジュリアスはそれを掴むと、ぱらりと自分の目の前で広げた。
広げて、絶句した。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月