Holy and Bright
「ジュ……ジュリアス!」
ようやくアンジェリークが声を出して叫んでみても、ジュリアスはかまわずシャワー入口から寝室のクロークの前に移動すると、そこに背を向けさせるようにしてアンジェリークを降ろした。そして、クロークの扉を開く。そこはアンジェリークの部屋のクローク同様、鏡になっていた。
毒気を抜かれてしまったかのようにアンジェリークは、目を潤ませたままジュリアスを見た。ジュリアスはアンジェリークの手を取り、持っていたショーツをその掌に載せると言った。
「おまえに一つ、聞いておきたいことがある」
貫くような視線に、はっとしてアンジェリークはジュリアスの顔を見つめた。
「おまえは、女王候補を辞退するとして、私に抱かれたいと思ったと言ったな。それは誠か」
びくりと体を震わせたが、アンジェリークは黙って頷いた。
「……そうか」
ジュリアスは呟くようにそう言うと、アンジェリークの頬に触れた。
「だが私はそうではない」
頬が微かに震える。しかしジュリアスは言葉を続ける。
「それというのも、女王候補を辞退……いや、失格となるような者であれば、私は全く興味を抱かないからだ」
手に渡されたショーツを握り締めながらアンジェリークは俯こうとしたが、頬に添えられた掌がそれを許さなかった。指に力が入り、軽く顔を引き上げられてしまった。
「私の場合は、相手を尊敬できるかどうかから始まる。だからおまえが女王たる姿を私に見せつけたとき、私は否応なしに跪く以外なかった」
「翼……ですか」
「そうだ。聖なる眩い翼……その圧倒的な力でもって私はねじ伏せられた」
「……そう……ですか」
やっぱり……ね。
「尊敬すべき次期女王が、こんな馬鹿馬鹿しいことばかり次から次へとしでかして、首座たる光の守護聖様は、さぞや驚かれているでしょうね」
刺々しく言ってみた。だがジュリアスは表情を変えることなく答えた。
「全くだ」
その、まるで傷口に塩を塗りつけるような答えに傷つき、俯くことのできないアンジェリークは、せめて視線だけでも逸らそうとした。だがジュリアスはそれすらも許さず、もう片方の手も加え両方の掌でアンジェリークの頬を覆い、顔を自分の方へ向けさせた。
「だがな、アンジェリーク」
ふっ、とそこで初めてジュリアスが微笑んだ。
あれ……?
「その、馬鹿馬鹿しいことをしでかしているのは、何もおまえだけではないのだ」
そう言うとジュリアスは、頬に触れている右手に少し力を入れて、アンジェリークに首を動かすよう促した。
「鏡を見てみるがいい」
妙な違和感。
前と、違う。
「……え?」
「おまえの……背中だ」
それだけ言うとジュリアスは、その微かな笑みを消してそれこそアンジェリークから目を逸らした。不思議に思ったアンジェリークはそんなジュリアスを見、そして言われたとおり、鏡の方へ振り返って自分の背中を見た。
白い背中に、くっきりと二つ、赤い痕がある。
あ、と小さく叫んでアンジェリークはジュリアスを見た。だがジュリアスは部屋の天井を見たままだ。
アンジェリークは自分が翼を出すところを見たことがない。だがもしも翼が生えるとすれば……ちょうど肩胛骨あたりだろうか? そしてその痕は、まさにその、左右両方の肩胛骨に一つずつあった。
「あ……あの、これ……は……」
尋ねなくても、アンジェリークにはわかっている。だが尋ねずにはいられなかった。その痕は、体を洗われたという漠然とした事実以上のことをアンジェリークに知らしめていた。今まで何とも思わなかった背中のその場所が、一気に熱くなったような気がする。それどころか、今ごろ頬も紅潮し始めた。
背中に口づけされた……しかも、こんなに濃い痕が残るぐらい強く……。
でも……この人……どういう思いで、ここに、こんなふうに。
「聖なる眩い翼への憧れを込めて」
アンジェリークの方を見ないまま、きっぱりとジュリアスは言った。それからゆっくりと顔をアンジェリークに向けた。
微笑んでいる。
だがその微笑みは、アンジェリークの嫌うあの儚げなものではなかった。
「あるいは……いわゆる一種の当てつけ、というやつだ」
「はぁ?」
我ながら間の抜けた問い返しをしてしまった。慌ててアンジェリークがきちんと問い返そうとする前に、ジュリアスはくす、と笑って続けた。
「翼をむしり取ることが叶わぬので、せめて当てつけがましく何か残しておかねば気が済まなかったのだ」
「翼を……むしる?」
「そうだ」
笑いを収めるとジュリアスは、真っ直ぐアンジェリークを見つめた。
その抽象的な物言いの意味合いを、今度はジュリアスから噛み砕いて教わらなくてもアンジェリークは察知できた。
足が、がくがくする。
何を言おう……いえ、何をしようとしてるのだろう、この人。
ジュリアス−−女王の盾を自他共に認める光の守護聖。
でも……男の人。
ざわっと肌が粟立ち、アンジェリークは思わず身を引こうとしたが、すでに遅かった。ジュリアスはそのアンジェリークの腕を掴み、引き寄せるとあっという間に腕の中にその身を収めた。
何か言わねばと思うアンジェリークは、抵抗する間もなく唇を塞がれた。その感覚は、眠っているジュリアスの唇に、そっと自分の唇を重ねて満足していたアンジェリークにはあまりにも刺激が強すぎた。いつもの静かで少し冷たい唇は、今は熱を帯びてアンジェリークのそれを覆い、背に回された腕は力が強くて身動きも取れず、それどころか肌を突き抜けて体の中までも巻きついてくるような気がした。あまりに激しい感覚の翻弄に堪えきれず、アンジェリークは強引に唇を外し、顔をそむけたものの、ジュリアスの唇は滑ってアンジェリークのうなじを捉えた。アンジェリークは、神経が全てそこに集中してしまったかのような気がして、全身を震わせた。
ひたり、とまるで、その震えに呼応するかのように、唇は耳朶とうなじの間で止まった。
「……おまえ以上に酷いことをしていると……思わないか?」
唇は、アンジェリークの肌に触れる刹那で、そう呟き−−そう動いた。
作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月