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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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Holy and Bright

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◆3

 「珍しい客だな……」
 クラヴィスは目の前に広げたカードを弄びつつ、ノックと共に入ってきたジュリアスに言った。
 「頼みがある」
 「……それもまた珍しい」
 ジュリアスはクラヴィスの物言いに少しむっとした表情を見せつつも、気を取り直して暗い部屋に灯るいくつかの燭台の中から、ある一本の蝋燭を指さした。
 「これを譲ってほしい」
 クラヴィスはジュリアスの指先にある蝋燭を目だけをちらりと動かして見た。
 「眠りの効果のある蝋燭だな……。おまえ、眠れぬのか……?」
 「私ではない、陛下に差し上げるのだ」
 そこでジュリアスは、アンジェリークが不眠症に陥っていることを告げた。黙って聞いていたクラヴィスは唇の端を上げた。
 「別に構わぬが……それにしてもよくこの蝋燭のことを知っていた……な」
 一瞬ジュリアスはクラヴィスを睨んだ。だがすぐ視線を蝋燭の方へ向け燭台ごと握ると言った。
 「エリューシオンで陛下が見せてくださったからな」
 確かにそれは嘘ではない。もっとも、その見せられ方はかなり酷いものではあったが。
 「ほう……」可笑しそうに言うとクラヴィスは去ろうとするジュリアスに言った。「おまえがそれを……陛下の寝室へ持っていくのか?」
 微かにジュリアスの肩が揺れたのを見て、クラヴィスはふっと鼻で笑った。
 「何を言う。ロザリアに渡すのだ」
 「……そうなのか?」
 「くどい」
 そう断じるとジュリアスはドアへ向かった。その背を追うようにクラヴィスの声がした。
 「もはや誰も……咎めぬと思うが……?」
 その言葉に、ジュリアスは凍り付いたように立ち止まった。頭に血が上る。だがここで振り返り、そのことについて何を言ってもいけないと判断した。
 「……蝋燭の礼は言う」
 やっとそれだけ言うとジュリアスは足早に去っていく。
 「やれやれ……」
 遠ざかる足音を聞きながらクラヴィスは肩をすくめ、再びカードを手に取った。


 そしてクラヴィスがそう言ったようにロザリアもまた、渡された燭台をジュリアスに突き返していた。
 「……あなたがお持ちください、ジュリアス様」
 「な……何を言っているのだ」
 思わずジュリアスは狼狽えて声を荒げる。ここで私を通すということの意味をわかって言っているのか、と叫びたくなった。
 「私……」目を蝋燭の炎に向けつつロザリアは言う。「存じております。補佐官たる私はここであなたを通すわけにはまいりません。けれど私……そういう話をするほど……まだあの子と深く知り合ってはおりませんけれど……これはわかるんです。あの子……あなたに、側にいて欲しいんですわ」
 「……ロザリア!」
 「あの子も、そしてあなたもよくがんばってこの難局を乗り切りましたわ。女王候補である頃は、これほど宇宙が窮地に追い込まれていたとは思いもよりませんでした。けれどあなた方……他の守護聖様方、そして及ばずながら私も含め、立派に救えましたわ。ですから」
 少しだけ微笑んだロザリアは、しかし表情をすぐ真顔に戻した。
 「ただ、あなたを通すからには……覚悟していただきたいんですの」
 「だから私は」
 行かない……とは、本当は言いたくない。けれどアンジェリークには、次に抱くときは翼ごと抱くと言っている。それが真実になってしまう。それもこのように周囲にあからさまな形で。
 ロザリアはジュリアスの言葉を無視して続けた。
 「どうか私に、今夜のことを後悔させないでくださいませ」
 その言葉にジュリアスははっとした。
 『絶対、天使様を幸せにしてくださいね』
 そう言ったルゥの顔がロザリアに重なる。もっとも、ルゥは“天使様”についてそう言ったのであって、アンジェリーク個人のことではないだろうに……何故かあの子どもの真摯な顔が思い出された。
 「あの子を救ってあげてください、ジュリアス様」
 そう言うとロザリアは深々と頭を下げた。
 (救うなど……とんでもない)
 ジュリアスは心の中で呟いた。
 救われたのは自分だ。そして幸せにしてもらっているのは自分だ。
 無言でジュリアスはロザリアから燭台を受け取ると、ロザリアの側をすっと通り抜け、奥の寝室へと向かった。
 後に残されたロザリアは大きく息を吸った。そのとたん、カタリと物音がしたのでロザリアは慌てて辺りを見回した。すると、物陰からすっと人が現れた。
 「オスカー様!」
 オスカーは、執務室の廊下でクラヴィスの部屋から険しい表情で燭台を持ったジュリアスが出てきたのを見かけたので、気になって思わず追いかけてしまったと告げた。
 ロザリアは俯いた。自分の胸ひとつに止めておこうと思っていたのに……。だがオスカーはぽんぽんとロザリアの肩を叩き、言った。
 「言わないさ……もっとも俺が黙っていたところで、もう皆にはバレバレだがな」文句を言おうとしたロザリアに向かい、ふっと微笑んでオスカーは続けた。「エリューシオンから戻られて以来、我々をいまだに尊称で呼ばれるのにジュリアス様は呼び捨てされるから、ジュリアス様と一緒にいると俺はどんな顔をして返事すべきか困ってしまう」
 「あ……ええ……」
 時々たしなめるロザリアすら、いまだに守護聖たちを女王候補の頃のまま様付けでしか呼べない。そのうち彼らともいわば“同志”たる間柄になるだろう。だがまだ補佐官になり立てだし、それはアンジェリークも同じことだ。だからこそ、エリューシオンの一週間でアンジェリークのジュリアスに対する親しみの変化が如実に表れてしまう。
 「……それに、お二人とも呆れるぐらい阿吽の呼吸で執務をこなされていたからな」
 アンジェリークが何か意見を求めようとする前にジュリアスが答え、ジュリアスが指示を仰ごうとする前にアンジェリークが命じることが多々あった。
 「そのたびに各々あの極上の微笑みを交わす……」
 密かにくすくすと笑うオスカーに、とうとうロザリアも笑ってしまった。
 「だから……俺が君の立場でも同じことをしたよ、きっと」
 「オスカー様……」
 「それにしても思い切ったものだな、ロザリア」
 「ええまあ……」
 曖昧にロザリアは笑う。私にも、焚きつけた責任がほんの少しだけあるかなと思ってしまったので……とは、口に出して言わない。
  まさかあの“贈り物”がきっかけになって……いようが、いまいが、今となってはもう私の知るところではないわね。
 「さ、補佐官殿ももうお休みの時間だ。お送りしよう」
 「そうですわね」
 婉然と微笑んでロザリアは、オスカーの申し出を受けた。  

作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月