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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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Holy and Bright

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◆4

 片手に燭台を持ちジュリアスは、ゆっくりと寝室の扉を開いた。先程は倒れたアンジェリークを抱き上げ、ベッドに横たわらせただけだったから、それほどじっくり眺めたわけではない。むしろ見るべきではないと思っていた。第一、以前なら到底考えられないことだ。守護聖の首座とはいえ女王の寝室に入り、中の様子をうかがうことなど。
 蝋燭の炎でようやく見えるベッドの天蓋の布は開かれたままだ。だが暗い部屋の奥の方から細いけれど強い光が差し込んでいる。女王の居室に詳しくないジュリアスにも、それがあの星の間であることは、なんとなくわかった。たぶんベッドの中にアンジェリークはいない。そう思うとジュリアスの歩みは早くなった。あのような状態なのに、まだ起きているとは……! 燭台を奥の間入口の小机の上に置くとジュリアスは、目の前の扉を力一杯開いて怒鳴りたい衝動を辛うじて抑えながら、細く、静かに開いた。
 そしてジュリアスは叫ぶべき叱咤の言葉をなくす。
 そこは真昼のような輝きを放ち、その中心にアンジェリークがいる。薄衣の寝間着を着てはいるものの、指を胸のあたりで組んで祈るその背には、翼が大きく広がっている。天井は丸く高い。そして細かな粒のようなものが幾千幾万とひしめき、翼の輝きを映して煌めいている。あれが宇宙の星々を示すのか、それともただの装飾なのかは首座たるジュリアスすら預かり知らぬ領域だった。
 翼が、扉を開いたジュリアスの頬に触れた。実体はない。にも関わらず温かく懐かしい。
 この翼ごとおまえを抱く−−よくもそのような畏れ多いことを言ったものだ。ジュリアスは目を閉じると、手で胸元のトーガの布を掴んだ。幼いころから女王という存在を仰いで生きてきた。そのままならばきっと、ある意味楽に−−女王を尊ぶ光の守護聖として生きていくことができただろう。
 けれど今、目の前にいる女王は生身の愛おしい女。
 彼女に尊敬と愛情の両方を込めて、自分の身も心も捧げられることにジュリアスは喜びを感じた。胸元を掴んだ手が熱を帯びる。ふぅ、と小さく息をついて自身をなだめるようにするとジュリアスは、少し身を引いて頭のサークレットを外し、燭台のある小机に置いた。


 アンジェリークは胸元で組んだ指をほどくと大きく深呼吸した。
 体がどんよりと重りを抱え込んだように疲れている。眠らなくちゃ、とは思っている。皆が心配してくれていることもわかっている……もちろん、ジュリアスも。けれど星々が気になり、妙に神経が高ぶって眠れない。
 そのとき、アンジェリークはふと香りを感じた。何だかすぅっとする。でも、何だろ……どこから……?
 そこまで思ってアンジェリークは扉を見た。アンジェリークは星の間の扉を閉めていない。というのも時々ロザリアが心配して覗きに来るので、寝室の扉の開く音が聞こえたら速攻でベッドへ戻るためだ。もっとも、たいていは間に合わずロザリアから叱られるのだが。
 確かに今も扉は開いているが、心なしか開き具合が大きいような気がした。
 「まさか……ね」
 そう呟いた拍子に、扉が動いた。ぎょっとしてアンジェリークは身構えた。身構えて目を見開いた。
 「……ジュリアス!」
 どうしてここに、と尋ねる間もなく、ジュリアスはぽつりと言った。
 「一本と言わず、十本ぐらいもらってくれば良かったようですね」
 その手には燭台があった。
 「……もしかして……あれ?」
 ジュリアスは頷いた。
 呆気にとられていたアンジェリークは、くすっと笑った。
 「十本も薫らしたら起き上がれないわ」
 「ですが、あなたには充分眠っていただくことができるでしょう……陛下」
 にこりともせずジュリアスが言ったので、アンジェリークは肩をすくめた。
 「……どうした? もう、星々の移行は無事完了したとパスハが言っていたではないか」
 敬語を使うのをやめて穏やかな口調でジュリアスは尋ねるが、その目は真剣だ。
 「不安なの……」
 囁くような小声でアンジェリークは言った。
 「エリューシオンのときはエリューシオンのことだけ考えれば良かったけれど、宇宙には様々な星があって、そのひとつひとつの望みが違って、ちゃんと力が行き届いているのかどうかと思うといてもたってもいられなくて……もしも」
 ひく、と喉を震わせるとアンジェリークは目を伏せた。
 「もしも……たとえば光の力がまるでなくなってしまうような星があったりしたらと思うと……もう二度とあんな……!」
 絞り出すようにそれだけ言うと、とうとうアンジェリークは掌で顔を覆った。
 ゆっくりとジュリアスが歩み寄ってくる気配がした。足元に向けられた目に、ジュリアスの白いトーガが映る。そして顎に指が触れ、アンジェリークは顔を引き上げられた。よく見れば、ジュリアスはトーガのみの姿であり、頭のサークレットも、肩や胸、腕の装飾も皆外されていた。
 アンジェリークは肌が粟立つのを感じた。
 『次におまえを抱くときはもう……止められぬ。たとえおまえが翼を持っていても、だ。私は翼ごと、おまえを抱く』
 そう言ったジュリアスの声が、もろにアンジェリークの耳をなぶったような気がした。
 そのジュリアスは、アンジェリークの顔を覗き込むとその瞳の奥までも見据えるように静かに言った。
 「おまえが健やかでなければ、星も病んでしまう」
 アンジェリークの体がびくりと震えた。ジュリアスは構わず続ける。
 「おまえが不幸なら、おまえの育成する星々の民も不幸になってしまう……ルゥが今のおまえを見たら、どれほど悲しむことだろう。そして」
 ジュリアスはアンジェリークを引き寄せ、抱きしめた。
 「私も……悲しい」
 先程は人目もあって早く体をベッドに降ろすことだけを考えていたので気づかなかったが、今、改めて抱いてみてわかった。エリューシオンにいたころよりも幾分痩せている。ジュリアスは忙しさにかまけて“女王”以外の彼女を放っておいたままにしてしまっていたことを、痛恨の思いで認識した。
 もう、だめだ。
 ジュリアスはいったんアンジェリークの体から離れると、自らのトーガを解き始めた。
 これ以上はとても。
 「ジュリ……アス、あの……ここは……」
 消え入りそうな声でアンジェリークが言う。彼女も認識はしているらしい……これから私が何をしようとしているかを。
 ばさりとトーガを床に落とし、ジュリアスは再びアンジェリークの体を引き寄せた。そしてアンジェリークの寝間着をたくし上げながらジュリアスは、アンジェリークの耳元で囁くように言った。
 「……星々が見ている、とでも言いたいのか……?」
 アンジェリークは頷こうしたが、ジュリアスがその唇を吸い上げたので、もうかぶりを下げることはできなかった。わかっている、隣に立派な寝室がある。けれどジュリアスは、ここほどこれからの行為にふさわしい場所はないと思っていた。
 あの粒が星々であるとすれば、私はその星々に向けて証明しなければならない。
 ルゥに尋ねられたことを。
 ルゥに言われたことを。
 私は彼らの天使たる女王−−アンジェリークを幸せにするのだと。



 この満天の、星々の前で。

作品名:Holy and Bright 作家名:飛空都市の八月