きみとおとなり(1)
淳の指にそっと摘まれていたのは、四葉のクローバーだった。
「すっげー!四葉のクローバー!すっげー!淳!すごくラッキーだな!」
淳は頬を染めると、少しもじもじした。
「う、うん…今日、ぼくはとてもラッキーだよ…達哉くんと出会えたから…」
黒髪に隠れていない左目で、少し上目遣いに見つめられる。達哉の心臓が一瞬止まったようになったと思ったら、また急にドキドキし始めた。なんで友達なのに、こんなに今までとは違う感情が沸き起こるんだろう?
「そ、そ、そうか…」
「だから、これあげる」
「…マジで!うわ!すっげー!四葉のクローバー!」
「ぼくと、達哉くんが仲良くなった記念だよ…」
その後は、空いた遊具を見つけては二人で遊ぶを繰り返していたけど、いつの間にか空は夕焼けで橙色に染まっていた。ちょっぴり悲しげな声をあげながら橙色の空を黒いカラスが横切っていく。
「…ちぇ…もう帰らなきゃ…」
もう誰もいなくなった公園。遊具で遊びたい放題できるのはこれから…。
「達哉くんは帰るのいや?」
「ちょっとイヤ…」
「ぼくもだ…いっしょだね…」
なんとなく二人は、狭い滑り台の頂上で寄り添いあっていた。二人でぴったりくっついていると、なんとなく昔からこうしていたような気がして、心地が良いのだ。遊びつかれて二人でまどろんでいる時、達哉を呼ぶ声がした。
「達哉ー!いるかー?もうすぐご飯だぞー!」
「…兄ちゃんだ…」
トロンとした目で達哉は呟くと、ほっぺたを膨らませた。兄ちゃんはおせっかいで、いつもいい所で邪魔をする。
「淳、逃げよう」
「…う、うん…」
達哉の肩に頭を寄せていた淳が重たい瞼を開けてこっくりと頷いた。
滑り台から滑り降りると、達哉は同じように滑り降りてきた淳の手をぎゅっと握って走り出した。ゆっくりとした加速だったけど、疲れてトロンとしていた淳は、砂場の縁を囲むコンクリートにつまづいてこけてしまった。
「淳!」
突然こけた淳にびっくりして、達哉の目はすっかり覚めてしまった。
「こら、逃げようとしてただろ…鬼ごっこはおしまい!捕まえた!」
達哉より遥かに背の大きい兄ちゃんが、達哉の両肩を後ろからポンと叩く。一瞬体が後ろに引かれ、達哉の手は淳に届かなかった、淳は一人でよろよろと立ち上がった。半ズボンの下の細い足、小さな膝は擦りむけていて、血が流れていた。まだちょっとボケッとした様子で体の砂埃を叩いている。
「ご、ごめん淳!オレ、またひっぱっちゃった!」
「いいよ!大丈夫だから」
目の端に涙を溜めながら淳は笑う。
「これはいけない、君、大丈夫か?歩けるか?」
克哉は背を低くして淳と目線を合わせると、しきりと心配した。達哉は克哉の後ろでむくれていた。そうだ。いつも兄ちゃんはこうやって兄ちゃん自身、知らぬ間に達哉から友達を奪ってしまうのだ。兄ちゃんに悪意が無いのは知っている。だけど、どうしても淳だけはとられたくない。
「だいじょうぶです…ちょっと膝いたいけど…」
淳は微笑むと、達哉に向かって歩こうとした。だけど、足首を変な方向に捻ってまたこけた。
「うぅ…」
淳は小さくうめく。すると、克哉はすかさずしゃがんで淳に背中を向ける。
「足首を捻ってしまったんだろう、いいよ、おんぶしてあげる」
「じゅ、淳はオレの友達だぞ!」
そういうと、達哉も同じように淳に向かって背を向ける。
「だから、オレのほうがいいよな!」
淳は一瞬二人を見比べて戸惑ったようにしていたが、やがて達哉の背中に覆いかぶさった。克哉は困ったような顔を浮かべて立ち上がると、眼鏡の位置を片手で直す。
「…達哉…大丈夫か?」
「オレ!男だもん!淳がケガしたのオレのせいだもん!」
ちょっとムキになって怒る達哉に、淳の少し戸惑った声が頭のすぐ後ろから聞こえた。
「達哉…くん…」
淳のお尻を支える達哉の手にはシロツメクサの指輪。
「ごめんな淳!」
「うん…」
一歩一歩は危ういが、達哉の足取りはしっかりしていた。公園の入り口まで弟が歩いたのを確認すると、克哉もようやく足早に歩き出した。
「…そ、そうか…」
よくわからない置いてけぼり感に克哉は戸惑った。とりあえず、フラフラしている弟も、怪我をしてしまった少年も放って置くことはできない。達哉を刺激しないように後ろから数歩離れてゆっくり着いていく。
「ねぇ、達哉…大丈夫?」
淳のか細い心配する声…。まだ少しまどろんでいるんだろうか?
「…大丈夫だ!心配すんな!」
達哉は毎日走り回っているだけあって、体力には自信があったけど、さすがに家までの距離はしんどいかもしれない。でも男は仲間を守るものだ、どんなに無理だと思うことでも、希望があるなら決して諦めないものだと、レッドイーグルがそう教えてくれた。達哉は男だから淳を離さないと決めた。
「…もういいよ…ぼく、おりるよ…」
「いま…淳おろしたら…オレ…自分のこと許せない」
そういって背中の淳をいったん上に持ち上げなおす。
「達哉のせいでケガしたんじゃないよ?ぼくがフラフラしてたのがわるいんだ」
「…淳をフラフラにさせたのはオレだもん…」
達哉が鼻を啜った。淳は達哉の肩にしっかりと抱きついた。
「気にしないで…ぼく、達哉くんに引っ張られるの好きだよ?だから、フラフラになってもつらくないもん…ぼくね、強くなるね…達哉くんといろんなところ行きたいんだ」
「…淳…」
達哉は泣いていた。淳が優しすぎて泣いていた。
「うん…わかった。…だけど、オレぜったい淳をうちまで連れてくからな!きめた!これは男のやくそくだからな!」
「…うん…」
淳は達哉の中にある強い気持ちに気づくと、それに応えた。
克哉は何度かふらつく弟を助けようと考えたが、二人の会話を聞くと、無粋なことはできないなと思った。だから、自分に出来る最低限の手伝いをしようと思った。
「達哉、兄ちゃん先に帰るよ、お母さん達にちゃんと説明をしておく。えっと…君は淳くんっていったね?」
「あ、はい…あの…今日おとなりにこしてきた、橿原淳といいます…」
「そうか、えっと僕はその…達哉の兄の周防克哉だ…君も…ちゃんと両親にご連絡したほうがいいね?」
「あ、ありがとうございます!」
達哉がそのやり取りに突然笑い出す。
「あはは、二人ともまじめぇ!」
「笑うな達哉…ふふ…言っておくが、これはお前の責任だぞ?ちゃんと淳くんをおうちまで連れて行く任務を果たして帰って来いよ!」
「あたりまえだ!…ってか…その…ありがとう…」
「あぁ」
頷くと、克哉は先を歩いていった。もう距離はそれほどない。今日一日走り回った達哉の足もくたくただし、淳をずっと抱える後ろ手も痺れてきた。
「達哉くん…ねぇ…あと少しだよ、おうち見えてきたよ?」
「お、おう!」
「そうだ!淳…あのな…達哉くんって呼ぶのやめよ」
達哉は淳に顔が見られてなくて良かったと思う。きっと達哉の顔は真っ赤になっている。ずっと淳を背負って歩いてきたからじゃない、太陽がぽかぽかしてるからじゃない。
「…ん?」
「あのな…オレ…達哉って呼んでほしい」
淳の体が背中で軽く身じろぎした。汗だらけの背中でシャツが寄れて、なんだかちょっぴりくすぐったかった。
作品名:きみとおとなり(1) 作家名:妄太郎