ワルプルギスの夜を越え 5・誅罰の時
「アルマ………アルマが聖処女?って、何ですか?」
もっとも親しい名前、尊敬する家長であり孤児達の姉であるアルマの名前に二人の顔を交互に見た
イルザは眉間に皺を寄せたままヨハンナの肩をつかまえると
「落ち着いて」
続けて語ろうとはしなかったが、キュゥべえは語り続けた
「アルマはこの地の聖処女、魔女を狩る者。君達がこの町で安全に暮らせたのは彼女の力に依るところが大きいんだよ」
小首を傾げる赤い眼に、困惑の顔色で口元を押さえていたヨハンナは聞いた
「知りませんでした………アルマがそんな事をしていたなんて。イルザさんと同じ………そういう事なんですよね」
魔女を狩る者。今、目の前で戦ったイルザの姿を見つめる
美しい戦いの装束をまとう騎士の顔には苦悩が満ちていた
「そうね、私と一緒よ。アルマはこの町の聖処女。私や、お嬢様と同じくアニムス・ゲンマを持つ者」
探していた卵の形を指で示すと
「あの宝石が聖処女の証なの、それを持つ事で力と加護を得られるの」
「だから、アルマは持っていなかったかと………そう聞いたんですね。どうして最初にそう言ってくれなかったんですか」
「アルマが貴女達に告げない事を私が教えるわけにはいかないでしょ。貴女の家長のする事に対して私から告げる事などないのよ。口出しはしない………それを守っただけ」
正しく相手を敬ったイルザの返事に、ヨハンナは恥ずかしく思った
なにより、自分が尊敬していた家長が町のために魔女を狩っていた事を初めて知り、自分が危機の隣にいたにもかかわらず安穏と過ごしていた事を恥じた
「私に何か出来ることはないんですか」
居てもたっても居られない気持ちが、本物の声となって懇願した
家長アルマがいない今日この時に自分が役に立てない事を悔やんだ思いだったが、言葉の半分で口はふさがれた
「静かにして、貴女にできる事なんてないわ。静かにしていてくれる事が大切なのよ」
下でうごめく羽根の魔物達に警戒する
「じゃあアルマを待つんだね」
口を押さえられたヨハンナの前でキュゥべえは聞いた
「待つわ今はそれしかない。ヨハンナ、アルマは明後日には帰ってくるのよね」
立ち上がり、暗闇の側に歩くイルザはヨハンナの手を引きながら聞く
「はい、明後日には。そんなに長く休めませんから」
役に立てない。現状では何にも使えない自分に悲しい思いを募らせ俯いたまま従うヨハンナは、肩を落としたまま従う
その姿にイルザは小さく
「ヨハンナ、役に立とうなんて思わなくていいの。この職務は辛いのよ、そんな者に貴女がならなくていいようにアルマも黙ってきたのだわ。貴女は貴女のまま、そのままでいいの」
引く手をもう一方でかるく叩く
「貴女の信心は、アルマによって遂行される。それでいいの」
励ましを与えるイルザの背中を、それでもヨハンナは悲しげに見ていた
誰にいうでもなく
「でも………」
小さく唇を噛む姿を、キュゥべえは後ろから静かに追っていた。
うごめく森、木々の枝は獰猛な蛇のように変化をしていた
「アルマ………この全部が魔女?」
火打ち石を握りしめナナは震える足でアルマと走っていた
一瞬で紫色の闇は墜ち、火を囲んでいた男衆(おとこし)達と見えない壁を作っていた
火が見えないという事は結界は深くうねってみんな飲み込んだと言い切れた
魔女が作り出す結界は、魔女が固有する思いから構築されている
深く屈折した洞窟のような闇と、充満する木の枝。
森にすまう者達、マリアの意思に準じない土着の者達を思わせる怪奇な状況の中でアルマは毅然としていた
「これは結界。魔女はこの先にいるわ。ナナ、恐れないで。私から離れないようにして」
すでに光の変化を終えた煌めくドレス姿でナナの前を行く
凛々しい後ろ姿にナナは後れを取らぬ世に駈けていく、羨望の眼差しと一緒に
青を基調としたドレス、コルセットの上側に添うファージンゲール*4は貴族の着けているわざとらしいものではなく、中空に腰回りを覆うように綺麗にフィットしアルマの美しいボディラインを際だたせていた。
継ぎ接ぎだらけで分厚くなった普段着姿をしていても、中身のアルマは美しい。
誰の目からみてもただの農場女とは一線を画するアルマの姿だが、魔女を狩る者として与えられた力に包まれた姿はアクアマリン。宝石そのものだった
赤毛を覆うフードは透明感の高い絹
そこから見える青い眼は強い意志で向かってくる使い魔達を威圧していた
群がる魔の枝をものともしない光を手の甲から発して。光は結晶の刃となり枝達を刻み刺し殺していく
「グラス・マレライ。聖母マリアの光の前に屈しなさい!!」
なすすべ無く獰猛な枝は枯れて砕ける
力なく灰に帰って行く枝達の勢いは最初よりずっと落ちていた
まるでアルマを恐れて身を引いていくように、神々しさに息を潜めていた
「ねえ、アルマ…アルマはどうして聖処女なんかになったの?」
前を歩く綺麗な背筋にナナは顔を伏せて聞いた
振り向いて顔を見られる事を心底恐れる質問だったから、なんかに…なんて
ナナのそういう物言いを敏感に感じ取ったアルマは、一瞬息を詰めて自分を冷静にさせると警戒しながら幼い妹の横に立って歩を止めた
「私は選ばれたのよマリア様に、この地を魔女から護りなさいと…」
おきまりの返事にナナは小首を緩く振った
「そうじゃなくて」
「そうよね、そういう答えが聞きたいんじゃないのよね」
相手の反応に応じてアルマは膝をついた。背の低いナナに視線を合わせると
「本当の理由…リーリエ以外に言うのは初めてよ。私ね…」
前髪に隠されたナナの目を見つめてから、枝に隠された洞窟を見上げる
「空が見たかったの、本当の」
「本当の空?って?」
「空の色、私ね、リーリエが言う空の青さや月の輝きが見えなかったの」
装飾された手で自分の頬を覆う
指先だけで目を差すと
「色ってものが私の目には見えなかったの」
言葉無く固まるナナ、初めて聞いたアルマの真実
アルマは色盲だった
産まれた時から。世界に色がある事を知らなかったと告げた
「ずっと世の中は黒と…灰色で出来てると思っていた。おかしな話でしょ、聖書の中で神は言っているのよ「花を愛でる時の色」「空や星」古史に出る祭司様が飾る胸の石*5の色。世の中には色がある事を神様が教えてくださっているのに…私にはなかったの」
色のない世界
アルマは、自分の目に色が写らなかった事を隠してきたと告げた
「でもね、隠しきれなくなったの…私が羊小屋の家長になるためには夜を歩く必要があったでしょ…ダメなのよ、夜なんて私には闇は闇で深い黒で、本当に何も見えない世界になってしまうの」
必要とされる者としての苦悩
夜を動けないのは致命的でもある、程度は習慣で身につけてやってきたとしても、それでもナナは気が付かなかった
普通に夜を歩いていた姿を良く知っていたから
「そんなの、全然気が付かなかったよ…、だって夜も普通にしていたし」
「町中ならば慣れもあるけど、外はそうはいかないし……でも私の隣にはリーリエがいてくれたから」
言われて思い出す。何をするにも二人は一緒だった
作品名:ワルプルギスの夜を越え 5・誅罰の時 作家名:土屋揚羽