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生まれ変わってもきっと・・・(前編)

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アリスは先刻からずっと苦しいと感じていた。如何してこんなに胸が締め付けられる感じがするのだろう。何か大きくて重い物を無理矢理飲み込んだような苦しさ、でもそれでいて喪失感を感じている。この得体の知れない黒い重苦しさを持て余す。気を抜けば感情が溢れ出してしまいそうなくらいぎりぎりのところで踏み止まっているせいか、息苦しさを感じるほどだ。
エースはいつもどおり道から外れて木立の中を行く。こんな時にまでお約束を忘れない迷子癖に呆れる。帽子屋から此処まで全く言葉を交わしていない二人。だが、先程までの黒く渦巻くような気配がエースから消えている。もし逃る機会があるのならば一人になりたかった。一人になってこの重い苦しみと向き合いたかった。どうしてそんなことを・・・泣きたいと不意に思う。そうだ今泣きたいのだ。誰にも見られない聞かれない場所に行って、抱えきれない想いを吐き出すために心ゆくまで一人で涙を流したい。でもどうやってもエースからは逃れられないだろう。

「泣けば?」

不意に言われた言葉についてゆけない。アリスはエースを見上げる。何を言っているのと言いたげに。
笑っているとも悲しんでいるとも判別のつかない表情のエースが此方を見た。

「泣きたいって顔してる。」

「なっ、何言って・・・馬鹿じゃないの。そんないい加減なこと言ってないで下ろしてよ。」

急に首から上がカーッと熱くなる。心を読まれたのかと一瞬思った。それを隠すように強気な言葉で否定するが、反対に図星だと白状しているようなものだ。そんなに表情に出ていたのかと恥ずかしくて顔を背ける。この男は油断ならない。お気楽脳天気な迷子の騎士を標榜していながら、こうして核心を突いてきていつもいつも人を翻弄する。
アリスは不意に地上に下ろされた。

「泣けないなら、泣かせてあげようか?」

騎士の腕がアリスの身体を包み込む。耳元で聞こえる声。


ムクワレナイッテツライヨネ


アリスは硬直した。どうして今そんな意地悪なことを言うのだろうこの男は。押さえ込んだばかりの感情の内圧が高まる。嫌だ。絶対に、絶対に負けたくない。エースのコートを強く握ると、目を閉じ息を止めた。一時の感情の高まりなど遣り過ごせるはずだ。涙腺など崩壊させたりしない。意地でもこの男の前で弱味など晒したくはない。
アリスはギリギリの崖っぷちに追い詰められて突き落とされる最後の一押しを、今まさにその身に受けようとしていた。
思いがけず触れられた唇。驚いて目を開けると赤い視線と交わる。離れようともがくともっと強く吸い付いてきたが直ぐに離されてエースの笑顔が見えた。

「何するのよ!」

怒るアリスの顎に、手袋を着けたエースの親指が張り付くと下方に一気に力がかかる。強制的に開かれた口内に素早く差し込まれた舌が粘膜や歯列を舐め回す。二人の舌が触れあった瞬間エースの腕に一層力が篭った。がっちりと両腕に抱き締められて身動きも出来ない。抵抗すら儘ならず混乱する頭の中で一つだけ、異常にはっきりと浮かび上がる思い。

(どうしてこのキスの相手があの人ではないのだろう。)

一気に内側から込み上げるものに堪え切れずに涙が零れた。

「無理矢理キスされるのが嫌で泣いてるんだろう?」

耳元で囁くエースの声。そう、泣いているのは理不尽なキスのせいだ。騎士の胸に顔を埋めて泣く。流しても一向に枯れない涙に加えて嗚咽を漏らし、その声に我に返り手で口元を押さえた。大きな手で優しく髪を撫でられる。我慢しなくていいからと言われ、どうしてこんなに自分を想ってくれる人を好きにならないのだろうかと、一方通行ばかりの自分の恋に悲しくなった。




「やだ、見ないで。」

泣き腫らした目や顔を面白がって覗くエースにそんな事が言えるくらいには元気が回復した。何かが変わったわけではなく相変わらず心は重苦しいままだけれども、それでも先刻までの追い詰められたように苦しいというのはなくなっている。
木の根元に腰を下ろし懐にアリスを抱き寄せたまま、エースはアリスの髪を触っていた。

「バッサリやっちゃったなー」
「やっちゃったなーじゃないわよ。本当に死んじゃうかと思ったわ。」

此方にすれば髪をバッサリどころか命をバッサリやられそうだったのに、エースはまるで美容院で思い切り短くしたね的なノリで軽く言ってくれる。
どんな思いで双子を庇ったと思っているのかと説教したいところだが、この世界の命の価値は軽い。アリスの持つ命の価値基準を振り回したところでどうなるものでも無い事は、此方に来てからの経験で学んでいた。自分の命がまだ続いているのは、この騎士の剣の腕前のお陰と思って黙っておいた方が身のためかもしれない。せっかく普段どおりの騎士に戻って機嫌良く話しているのだ、わざわざ先程のことを蒸し返すことも無い。この世界について学んだことの中に、騎士を怒らせると非常に危険と追加しておく。

「君が逃げるからだろう? 時計塔で大人しくしてればこんな乱暴なことしなかったよ。」
「居辛くしたのはエースじゃない!」

人の気も知らずに惚けた事を言うエースに、流石に語気が荒くなった。

「どうして俺?」

「どうしてって・・・」

最初は気のせいだと思っていた。ユリウスと三人で話していてよく目が合うことも、直ぐに纏わり付いてくる事も。
慣れたから。親しくなったから。人懐こい人だから。そういう風に思っていた。明るくて爽やかな印象も手伝っていたかもしれない。
違うと気づいたのはユリウスが留守だったあの日。訪ねてきたエースにコーヒーを淹れながら何気なく振り向くと、知らぬ間に真後ろに立つエースが居て驚いた。熱湯の入ったケトルの方に思わず身体を避けたアリスを危ないと言いながら抱き寄せる。気をつけないと駄目だよと言いながらその腕が彼女を放さない。それは友人を熱傷から守ると言うには余りにも身体が密着し過ぎた長い抱擁だった。
徐々に、でも確実にアリスとの接触の機会を増やしてくる騎士にアリスは負担を感じ始めていく。それでも努めて今まで通りに距離を取り、友人でいたいと暗に伝えているつもりだった。
時計塔の夕陽が見える場所で、壁に寄り掛かり二人並んで他愛も無い話をしていた時のこと。瞬きする間にエースの顔が目の前に来てそっと触れるだけのキスをされた。目を閉じることも忘れるほどにいきなりのキス。

君が欲しいな・・・

そう耳元で囁く。
その気持ちには応えられない。アリスがはっきりそう思った瞬間だった。此処を出て騎士と距離を取る。そう決めた。それでもユリウスに言い出すまでに何度も迷い逡巡したのだ。あの時ユリウスは出て行く理由を聞かなかった。二人のことに気付いていたのだろうと思う。


はあ、と溜息を吐く。もう今更エースに色々言うのも疲れるだけだ。嫌ならはっきりと意思表示するしかない。周囲に良い顔をすることに慣れているが、気が強いところもある。たぶん大丈夫。それと、滞在先を変えるのは諦めた方が良さそうだ。周囲に迷惑をかけるのは本意ではない。今この時も、好き好んでエースの腕の中に居るわけではないのだ。少しでも身体を離そうとすればそれ以上に引き戻されて密着してしまっているだけだ。