夏目と茶碗
昨日机の上で見たのは2,3個の欠片だったのだ。それが今は10個ほど集まっている。ところどころ土に汚れたそれがどこから来たのか、想像するのは難しくなかった。
――これは、さすがにまずいか。
そう思った夏目の脇から、先生が顔を覗かせて声を上げた。
「これは何だ夏目! 捨てたのではないのか!」
「確かにちゃんと埋めたんだよ。でもなぜか戻ってきてるみたいなんだ」
「なぜか、ではない! お前が妙な情けを掛けるからだ!」
「そんなこと言ったって……」
とりあえずもう一度埋めてみようと、夏目は机の上の欠片を集めてティッシュにくるむと、朝食を食べる前に手早く作業を済ませた。
埋めたはずの欠片が戻ってきている。その原因が分かっていないのだから事態の解決のしようがなかった。これで何も無ければ一番いいが、多分そうもいかないだろう。
そんな思いで出掛けたせいか、学校を終えて夏目が家に戻ると、案の定机の上には今朝埋めたと思われる欠片がいくつか戻ってきていた。
(どうしよう、まさかこれが自分で戻ってきているのか)
「……ばかめ」
先生はそれ見たことかと言わんばかりに、目を細めて夏目を見た。
「これって、今すぐ良くない事が起こるかな」
「別に、暫く放っておいても問題ないだろうさ」
そう言った先生は興味が失せたのか毛づくろいを始め、夏目はどうしたものかと目の前の現実を持て余した。
明くる日、夏目は起きて直ぐに机の上を確認した。
やはり明らかに量が増えている。どうやら昨日埋めた分は全部戻っているようだった。
――たしかに、これじゃ先生に何も言えないな。
「どうしたらいいんだ?」
(おまえ、俺に何かして欲しいのか?)
夏目は欠片に自分に訴えかける意思のようなものを感じて、日に日に増えて行く机の上の欠片を指でつつきながら心の内で問いかけた。
埋めたはずの欠片が独りでに戻ってくるなんてまるで怪談話だ。けれど不思議と夏目に恐怖は湧いてこなかった。
「あ……ちょっと寄っても良いかな」
その日の下校途中、夏目はなんとなく思い立って、二つ返事で了承してくれた友人たちと一緒に文具屋へと立ち寄った。
店内を一通りぐるりと見て回ると、糊やセロテープの並ぶ商品棚の傍にあった黄色いパッケージを手に取ってレジに向かう。
その手元を覗きこんだ西村が興味深げに問いかけた。
「プラモでもやるの?」
「いや、ちょっと壊してしまったものがあって」
「修理か~俺細かい作業って苦手~」
「お前がやったら余計に壊れそうだよな」
北本が西村を冷やかして一足先に店を出る。文句を言いながら後を追うように出て行った西村に続いて、夏目も支払いを済ませて外へ出た。軽くやり合っている二人を見ながら、夏目は上手くできるだろうかと心配しながら、文具屋の名前がプリントされたビニールを握りしめた。
「夏目、何をしてるのだ」
夏目は帰ってからずっと、机に向かって黙々と作業をしていた。暫くは夏目の帰宅にも反応せずに背後で寝ていた先生が、ようやく気になったのか、机の上に飛び乗って辺りに散らばったものにひくひくと鼻を寄せた。
「修復」
「そんな事は見れば分かる」
「じゃあ聞くなよ」
「っにゃーーー! お前は本当に愛想の無いっ!」
「ちょっとニャンコ先生、危ないから傍で暴れないでくれ。接着材が――」
「わっ夏目! 茶碗の欠片がくっついた! 取れ!今すぐ取るのだ!」
「もーだから言わんこっちゃない……」
先生の腹にくっついた欠片を取ってやると(幸いにも着いたばかりだったのですぐに剥がすことが出来た)、先生は恨みがましい目で夏目を見た。
「なんだよ、ちゃんと取ってやっただろう」
「そもそもお前が余計な事をするからいけないのだっ。見ろ、この美しい毛並みが毛羽立ってしまったではないか」
先生はぶつぶつ文句を言いながら、横腹の辺りを少し舐めずらそうに毛繕いしている。どう見ても体系が邪魔をしていた。望む位置までもう一歩届かない。もう少し痩せればいいのに、と思いながら、夏目は毛羽立っている辺りを撫でてみた。
「うーん、ちょっとまだ残ってるな。ちょうどいいから風呂に入ってしまおうか。それで落ちなかったら……毛を刈るしかないかな」
「いっ今すぐ風呂だ! 夏目っ行くぞ!」
夏目の脅しのような言葉に、先生は飛ぶように風呂場へと走って行った。
「あぁ良かった、結構綺麗になったじゃないか」
ドライヤーで乾かした毛並みを一撫でして、夏目はふわっと笑った。
先生はまだ文句を言いたげだったが、いちいち付き合っていてはどれだけ代償を払っても終わりが来ないので気にしない事にする。
夏目は自分の髪を乾かしながら、机の上の修復途中の茶碗にそっと触れてみた。
「あ、くっついてる」
茶碗の修理などしたことが無かったので、組み合わせを間違えないように、慎重に欠片を見比べてこれだと思うものを接着材でくっつけていった。風呂の前の作業で、机に上のめぼしいものは大体張り合わせられていた。これ以上は、もっとパーツがなければ無理だろう。
(これで何か変わるかな)
割れた茶碗を庭に埋めたら、なぜか戻ってきてしまった。戻しても駄目なら、とりあえずもう一度元のように直してみよう、という単純な考えだった。
夏目が修復した茶碗は、なんとか半分くらいは形が出来ていた。残りはまだ土の中だろうか。さすがに夜中の暗い庭で土を掘り起こすのは躊躇われるので、とりあえず後の作業は明日にしようと一息ついた。
夏目が不慣れな手つきで直した茶碗は、割れた溝に接着材の跡が見えている。あまり見た目がきれいにできなくて、少し申し訳ない気持ちでその割れ目をなぞった。
「これに、目と足がついてたんだっけ」
影茶碗の姿を思い出しつつ、つん、とつつきながら眺めていると、影から同じ形の茶碗が覗いた。
「…………」
影から、文字通り覗いたのだ。茶碗が。
「うわぁ!!!」
目が合って、夏目は驚いて叫び声を上げた。飛び退くと、茶碗も驚いたようでびくびくと怯えた様子で壊れた半分の茶碗に隠れるようにしている。
「あ……大きな声出してごめん」
「何やっとるんだ、夏目」
「せっ先生、これ」
「にゃっ!? にゃんだこいつは!」
身体を小さくしている茶碗を見て、今度は先生の驚動の声が響いた。2度目の大声に、お茶碗はますます怯えてしまった。
しーっ、と先生に声を抑えるように言うと、夏目は茶碗を怖がらせないように、先生を膝に乗せて少し距離を取った。
「先生も気付かなかったのか?」
「なんで2匹目がいるんだ」
「こいつは2匹目なのか? このあいだのじゃなくて?」
「お前がくっつけているのはなんだ。それに、割れているところをお前も見ただろう。死ねばそんな簡単に復活したりなどしないからな」
「……そうか」
一瞬、自分を守って消えてしまった妖怪に再び会えたのかと喜んでしまった夏目は、少し気落ちしながら新たに出現した茶碗の妖怪を見た。
相変わらず割れた茶碗の影からは出てこないが、ちらちら窺う姿は、静かに会話をしている夏目と先生に興味を抱いているようだった。
出ておいで、と声を掛けてもすぐには無理のようで、辛抱強く待ってみてようやく、おずおずと一歩踏み出してくれた。
「大丈夫、怖くないよ」