夏目と茶碗
そう言ってほほ笑みかけると、やっと夏目の前に姿を現してくれた。よかった、とほっと息を吐いてその全身を見ると、足や茶碗が土で汚れていた。
そこで、夏目が修復している割れた茶碗と、新しい2匹目との符号が一致した。
「これ、お前がやったのか?」
問いかけると、2匹目の茶碗がぶんぶんと身体を前後に揺らしている。どうやら肯定しているようだ。
「そうか、そんな小さな体で良く頑張ったな」
肩に掛けたタオルを取って、労うように汚れた身体を拭いてやると、茶碗は嬉しそうに目を細めて夏目の手に身体をゆだねてくれた。
チュンチュンと、耳に心地よい音が流れ込む。
朝になって、鳥の鳴き声に起こされた夏目は、いつもより声が近いなと思いながら目を開けた。
「――あれ、窓が空いてる」
吹き込む風に気付いて顔を向けると、僅かに開いた窓辺にとまった雀がさえずりを聞かせていた。
どうせ明け方にでも帰ってきた先生が閉め忘れたのだろう、と立ち上がって傍まで行くと、そこへ外からやってきた茶碗がひょいと窓枠に飛び乗ってきた。
閉めようとした手を止めて茶碗を迎えてやると、土に汚れた足と茶碗が見て取れた。よろよろと重たげに部屋に入ってきた茶碗の中には、割れた陶器の欠片が入っていた。
「あぁ。お前が開けたのか」
夏目の言葉に、茶碗が律儀に頷いて応える。くらりと身体を傾けたかと思うと、重さによろめいていた程だったので当然と言えば当然の結果、その中身がばらばらと落ちてしまった。
「あぁっごめん、余計な声を掛けて」
夏目が慌てて拾おうとすると、茶碗がそれを制するように身体を割り込ませ、自分の片足を使って器用に拾い上げた。
どうやら運ぶことは自分でやると主張しているようだった。なんとか全部を拾ってもう一度茶碗の中をいっぱいにすると、ぐっと力を入れた足取りで茶碗は机の上に向かっていく。
夏目もそれ以上手を出すのはやめて、懸命に運ぶ茶碗の姿をそっと見守った。
授業を終えた夏目は学校から真っすぐ帰ると、机の上に溜まっている欠片をつぎはぎしていく作業に専念した。
土を払ってひとつひとつを綺麗にしながら、丁寧に修復を進める。おかげでその夜には運ばれた欠片の修復を終える事が出来、割れた茶碗もその8割まで直って来ていた。
夏目にも慣れた様子の茶碗はもう姿を隠すこともなく、直している最中は傍らでじっとそれを眺め、今は割れた茶碗に寄り添うようにして眠っていた。
静かに見つめていると、寝る前にちゃんと身体を拭いてやったはずが閉じた目のすぐ横の辺りが汚れているのに気がついて、起こさないように優しく拭き取ってやる。
この臆病な妖怪が、小さな体で頑張っている。きっと大切な仲間だったんだろう、そう思うと切ない気分が押し寄せた。
(ちゃんと直してやるからな)
夏目は指でそっと撫でながら、眠る茶碗にそう誓った。
もうあと数回の往復で埋めた欠片は集められるだろう。
夏目は修復の続きをやりながら、せっせと欠片を運び続ける茶碗を眺めた。
身体を傾けて、中身を机の上に落とす。何度か揺さぶって再びその身体を起こした時、茶碗の縁が少し欠けているのが見えた。
「あれっお前少し欠けてるな」
ぱたた、と窓に向かって走り出した所をつかまえて、手元でよく確認する。
やはりさっき見た箇所が欠けているのが分かった。夏目は茶碗にその場に居るように言うと、まとまった欠片を広げて小さな欠片を探し出した。
「ここにあればいいけど」
途中で落としてしまっていたら難しいが、運の良い事に運ばれた茶碗の欠片に混じって机の上から見つける事が出来た。割れた茶碗とは色が違ったので探すのも思ったより容易だった。
見つけた欠片を取り上げて茶碗を呼び寄せると、修復途中の茶碗を一旦退けてその場所へ座らせた。
「動くなよー」
少量の接着材を付けて、割れた欠片を慎重に置いてちょっとだけぐっと押す。
押された動きに目を閉じた茶碗が、次第にぷるぷると震え出して、夏目はえっと驚いた。その後何度か瞬きをしたかと思うと、茶碗が目を赤くさせながらぽろりと涙を零した。
(あっ)
「もしかして沁みたのか?」
悲しくて泣いているようには見えなくて、考えを巡らせた夏目がそう訊ねると、茶碗がこくこくと頷く。
夏目は想像して居なかった事態に笑いを噛み殺しながら、ぽろぽろ零れる涙を拭いてやった。
「ごめんな、気付かなくて」
謝ると今度は首を振る様に身体を横に揺らして、茶碗は夏目の手にすり寄った。
それだけで十分喜んでくれているのが伝わって、夏目は小さくほほ笑んだ。
夏目が茶碗を直している間、先生は我関せず、といった体で、手伝う事はもちろん、いつものようにからかったりちょっかいを出したりと言う事もなかった。
今も、先生は机の傍らに置かれた座布団の上に座りながら目を閉じている。
茶碗の修復は、もう間もなくで終わりそうだった。庭に埋めた欠片は、小さな頑張り屋のおかげで全て机の上に集まっている。その欠片も、残りあと3つになっていた。
夏目はなんとか今日中に終わらせることが出来そうだと思いながら、欠片に手を伸ばした。
「無駄な事をしおって」
寝てると思っていた先生の、ため息混じりの声が聞こえた。
せっかくここまでやってきたのに無駄と言われて、夏目は少しムッとしながらも手を動かし続けた。
「無駄ってなんだよ。可哀そうじゃないか」
「元のようには戻らんのだぞ」
「知っているよ。でもきっとこいつにとって大切な仲間だったんだろう? 直すくらいはしてやりたいんだ。俺にはそれしかできないから……」
夏目は割れた面に接着材を付けていた手を止めて、視線を下げた。欠片を小さな体で全て運んできた茶碗は、座りこみながら夏目の手元を熱心に見ている。
少なからず、自分のせいで大事な仲間を失わせてしまったという気持ちがあったのだと思う。どうしても、この視線に込められた期待に応えてやりたかった。
「――お前が選んだなら、好きにするがいいさ」
静かにそう言って、先生は再び目を閉じてしまった。一貫しての先生の非協力的な態度は気になったが、夏目はそれでもやり遂げたかった。
「できた……!」
夏目が最後の欠片をはめて、きちんとくっついていることを確認すると、大きく伸びをして身体を後方に逸らした。
その声に、じっと待っていた茶碗がすくっと立ちあがってそわそわしているのが分かった。
「ちゃんとくっついてるよ。あんまり乱暴にしたら壊れてしまうかもしれないけど」
その言葉を合図に、茶碗はわくわくした様子で修復された茶碗に駆け寄った。身体を傾けて縁をカツッと合わせてみたり、足でつついてみたり、周りをくるくる回りながら茶碗が落ち着きなく動いている。
(かわいいな)
喜んでもらえているだろうか。夏目はいつになく高揚している茶碗にほっと胸をなでおろした。
まるで揃いの食器のように隣に並んで座る茶碗が、ちらちらと窺うように割れた茶碗を見ている。動いている時ならば、ちょうど目があるだろう位置を何度も確認しては、前を向く。それは何かを待っているようだった。
「?」
落ち着かないのか、もう一度割れていた茶碗の周りをうろちょろしてカツカツぺたぺたと身体をぶつけて足でつつき、再び隣に座っては期待の眼差しを向ける。