夢、覚めて
庄左エ門の言葉に文次郎は再び頭を悩ます。
「どんな状況だ?」
「うちは元々学園長が何か起さない限り仕事はないですけど、あの人と一緒にお茶するようにはなりました」
「保健も同じく。不運は相変わらずですけど、でも前より薬草が足りなかったりはしてます」
「作法も同じです。あの人とお茶か化粧講座です」
「図書は元々全員が真面目ですからねぇ。自分の仕事がある日は出てはいますけど。あの人がいるときはうるさくて仕方ないです」
「前委員長があの人と一緒に走ろうとして止められてから、走る時間は少なくなりましたし、場所も学園に近いです」
「生物は、餌がちゃんと回っていないみたいです」
「猛獣の小屋は僕たちは入れないんで、どうしようも」
「用具は、潮江先輩と食満先輩の喧嘩がありませんから、壁とか大きな修繕は必要ないのでそんなに影響はありませんが」
「七松先輩も壊してないですし」
「その代り、あの人になんかいろいろ作ってる」
「火薬は、在庫確認も元々あまり動かないんで、授業がない限り変動はないんですけど。久々知先輩が動かなくても毎日するもんだって言ってたのに」
ふぇ、と三度泣き出した伊助。
一年は組の母とも言われている伊助が何度も泣くのだ。一年は組の生徒の目もどんどん潤んでいく。
ぐすぐすと鼻を鳴らし始めた一年は組を見て、文次郎は眉間の皺を揉んだ。
本当に、全員くるってしまえばよかったのに。
「学級、作法、体育は無理して行かなくてもいいなら、行くな。余計な気を使わせる必要はない。図書、保健は自分の当番を全うさせるだけでいい。薬草は気になるなら新野先生に習え。生物は手の空いている生徒と協力しろ。餌が足りんなら必要なものを教えてくれれば俺が取りに行く、猛獣の方はどうしようもないな。アレを手懐けてる竹谷の言うことしかきかん。言い方は悪いが、死んでしまえば目が覚めるかもしれん。目が覚めなければあいつらは終いだ」
そんな、と項垂れたのは生物委員会に所属している虎若と三治郎だ。
兵太夫と団蔵が肩に手を置いて慰めるがどうしようもないものはどうしようもない。
「用具は富松に任せる。何かあれば言え。特に仕事がないなら火薬を手伝ってやれ。伊助は一人で仕事をしないように。必ず誰かと共にいろ」
「……はい」
零れている涙を指の腹でぬぐって、文次郎はぎゅっ、と伊助を抱きしめた。
宥めるように背を撫でてやると、ようやっと落ち着いたのか涙を納めた。
「大丈夫か?」
「大丈夫です、ご迷惑おかけしました」
ずずっと鼻を吸って、やっと伊助は笑った。
からりと扉を開けて、文次郎の堪忍袋の緒が切れた。
三木エ門が声を上げる間もなく、その体は外へと投げ飛ばされた。
「ぐっ」
「お前には失望した」
傍の木にぶつかり、崩折れる三木エ門、そして文次郎の地を這うような声音に、その場にいた全員が言葉を失った。
その中に件の天女も交じっていたが、文次郎は気にしない。
団蔵が慌てて文次郎のところへ駆けてきたとき、待機しておけと指示してよかったと心底思った。
「せん、ぱい……いきなり何を……」
「いきなり何を?」
左門が恐る恐る声をかけたが、返ってきた文次郎の言葉と気迫に押されて口を閉ざした。
天女も何か言おうと口を開いたが、その口から言葉が出ることはない。
何故なら言えないように圧力をかけているからだ。しかし、それに気づくことは誰もできない。
文次郎は忍術学園の六年だ。それも優秀な人間が集まるい組。
天才立花仙蔵に次ぐ実力の持ち主。
気づくことなどできるはずもない。
「佐吉、ここはどこだ」
「か、会計室です」
「そうだ。左門、何が置いてある」
「学園の、会計書類です」
「そう。この部屋には学園の機密ともいえる書類が何枚もある」
いつもなら自分たちに来ることのない怒りを受けて、二人は促されるままに言葉を口にした。
「予算会議の時はここを使わない。失ってはならん書類があるからだ。勿論委員以外の人間が入るのもご法度。学園関係者でない人間ならなおさらだ」
左門と佐吉は何か言い返そうとした。きっと彼女はもう学園の関係者です、と言おうとしたのだろう。しかし、文次郎の怒りに火を注ぐことは明らかだ。
「あいつは分かっていると思ったが、俺の勘違いだったようだ」
あいつと三木エ門に視線を向けることもせず、文次郎は一言だけ告げた。
「あいつは会計委員会から除名する」
空気が凍った。
「……んな。ひどい」
ぽつりと呟いた声が聞こえた。
文次郎はようやく天女に視線を移した。
まるでそこにいたのか、と言わんばかりに一切の興味をなくした視線を受けて、名も知らぬ天女は顔色を青ざめたまま声をあらげた。
「わ、た、私がお手伝いしたいと、言ったんです。三木エ門君は悪くありません。悪いのは私なんです」
「だから」
「えっ」
怒気もない、感情の一切のない平坦な声音が天女の耳を打った。
「だからなんだ? きっかけはあんたの所為であっても、それを許容したのは三木エ門だ。上級生としてあるまじきことをした。まだ何も分からないあんたを責めるつもりはない。これに懲りたら、容易に委員会を手伝わんことだ。特に火薬、生物、保健の三委員会は命を失うぞ」
一度だけ感情をこめられた。出ていけ、と視線だけで告げられた天女は、震える足を叱咤して、その場を後にした。
左門と佐吉は三木エ門を起そうと動こうとしたが、文次郎に止められる。
「お前たちはまだ下級生だから何もしていないと覚えておけ。それから、あいつはもう会計委員会ではない。助ける必要はないし、助けたいなら委員会を抜けろ」
厳しいと誰もが取れる言葉を捨て置いて、文次郎は団蔵に説明をすべく会計室を後にした。