夢、覚めて
勉強を教えてくれませんか、と言ったのは庄左エ門だった。
いつも五年生の先輩方に教えていただいているのですが、と少し申し訳なさそうにした庄左エ門に、文次郎は頷く。
「構わん。子どもは遠慮するな」
くしゃりと頭を撫でてやれば、少し寂しそうに庄左エ門は笑った。
「庄ちゃん、あのさ……あ、潮江先輩!」
一年は組の教室で忍たまの友を広げていると、庄左エ門を探して伊助が顔を出した。
文次郎の姿を見ると、ぱっ、と顔を輝かして嬉しそうに近寄ってくる。
とてとてと文次郎の傍まで駆け寄ってきた伊助は、当然のように文次郎の膝によじ登った。
「伊助、潮江先輩の迷惑だろう」
庄左エ門は呆れたように伊助に注意をする。
「えっ、先輩迷惑ですか?」
「……構わん」
下から文次郎を見上げる伊助。その表情は少し不安そうで、いやとは言えない雰囲気であった。
先日伊助を久々知から助けてから、やたらと懐かれ、事あるごとにひっつきたがる。
前は自分からくっつくことなどなかったのに、今は文次郎の姿を見るとすぐに駆け寄ってくる。
まるで赤子返りのように文次郎にべったりとしている伊助に、最初は戸惑っていたが、今では慣れたように注意をしてくるようになった。
注意されるといつも不安そうな顔をするのは、久々知に殴られた傷が癒えていないのだろう。
文次郎は特に不都合もなかったから、好きにさせていた。
ただ、一はの母とも言われる伊助が文次郎にべったりと離れないのは、他に問題が勃発することになる。
「あー、また伊助、潮江先輩にくっついて! 俺の先輩だぞ!」
団蔵が目ざとく見つけ、伊助を文次郎から引きはがそうと伊助の腕を引っ張る。
伊助はできるものならやってみろ、と言わんばかりに文次郎の体に抱きついた。
「先輩は、学園の先輩で、僕たちの先輩でもあるんだ! 団蔵だけの先輩じゃないよ。そんなこと言うと、もう部屋掃除しないからね!」
「うっ」
いつも通りのやりとりに、いつも通りの終わり方。文次郎はため息をつくと、二人を放って、庄左エ門の勉強に戻ることにした。
「団蔵は、掃除を手伝ってくれる伊助がいないと困るよね」
「虎若も困るんじゃない」
がしりと文次郎の肩に手が回り、次いで二人分の体重が背中にかかった。
これくらいでびくともしないが、それが面白いらしい。
三治郎と兵太夫がきゃらきゃらと足を宙に浮かせてばたついた。
もう、ここまでくれば勉強どころではない。
三人集まればじょろじょろと、一は全員がそろうのも時間の問題である。
「あっ、いいなぁ」
「先輩僕もー!」
「しんべヱ!」
「ダメだって、先輩潰れちゃうよ!」
喜三太としんべヱがぱたぱたと近寄って、乱太郎ときり丸が慌ててしんべヱを止める。
虎若と金吾もやってきて、団子状態の文次郎を見て苦笑いをした。
一人の先輩にクラス全員が集まれば、いつも伊助が雷を落とすのに、先日から伊助が先頭に立って文次郎にくっつき、収拾がつかないでいた。
「しんべヱ、喜三太、お前ら道具を片付けろって、お前ら何やってる!」
富松がしんべヱと喜三太を追って、一はの教室に顔を覗かせ、その有様に悲鳴を上げた。
「ひぃい! 潮江先輩すみません、おら、どけお前ら!」
「きゃー、お母さんが怒ったー!」
「喜三太! 誰がお母さんだ。ほら、先輩の邪魔をするな!」
もう勉強が進まないと分かった庄左エ門は忍たまの友を片付けながら、文次郎に顔を向けた。
「富松先輩がお母さんなら、潮江先輩はお父さんですね」
「お前、本当に冷静だな」
「よく言われます」
にっこりと笑った庄左エ門に、こいつは将来大物になるな、と文次郎はひそかに思った。
「潮江先輩がお父さんなら、お母さんは田村先輩だ!」
ずっと伊助を引きはがそうとしていた団蔵が、二人の会話を聞きつけ声をあらげた。
「えー、それなら富松先輩がお母さんなら、お父さんは食満先輩だよ」
しんべヱの言葉に一瞬生徒全員が沈んだ表情をした。
委員会は家族とよく言われる。
上級生の先輩が父母として面倒を見てくれる。
その先輩と会いたい、でも会いたくない。
そんな表情が見て取れた。
「ほら、用具委員会のお母さんの富松先輩と、会計委員会のお父さんの潮江先輩。お父さんとお母さんがいれば、もう家族でしょう」
にっこりと沈んだクラスメイトを元気づけるべく、庄左エ門は言葉を続ける。
「一年は組のお父さんとお母さんでいいじゃない」
その言葉に生徒たちは互いに顔を見合わせた。
――子どもは強い
そうだね、そうだな、と互いに頷きあう子どもたちに、文次郎は少しだけ笑った。
「だから誰がお母さんだ!」
「「「「「「「「「きゃー、お母さんが怒ったー!」」」」」」」」」
窓の外では一人の女と群がる花。
文次郎は室内の喧騒を眺めながら、一人嗤った。