雪椿
「合格おめでとうございます」
「こちら、必要書類一式が入っています。良くお読みになって所定の日までに必ずすべての手続きを終えてください。締め切りまで日にちの無いものもありますので注意してくださいね」
「はい。おめでとうございます。こちら、必要書類です。所定の日までに……」
合格発表の掲示板の前から、長蛇の列の公衆電話(家と中学校に報告をしないといけないから)を経て、ようやく書類交付窓口にたどりついた蛍は、在校生らしき人がテキパキと渡してくれた書類を一生懸命確認していた。
「入学金の振込用紙に……教科書の申込み、こっちは制服。えっと……うわ、明後日までだ。大変。今夜中に書いてファックスしないと」
無事合格したは良いが、入学準備の日程が酷く慌しい。できるものからどんどんやってしまわないと、春休みが台無しだ。
「そうだ。今日、購買に寄って行って、買えるものだけでも買って帰ろう」
教科書や制服の引取りで何度か入学の前に来ることにはなるが、そのときにいっしょに買えばいいや、なんてのんびり構えていると、大荷物になって大変な目にあったり、サイズが無い、などと言って慌てたりしがちだ。実際中学入学のときそうなってしまってハラハラした。あんなのはイヤだ。
蛍は書類を失くさないよう鞄にしまうと、校内案内図を見て歩き出す。購買の場所はすぐにわかった。同じような考えの人がかなりいるらしく、とても混雑していたからだ。
「体操着、あるかな。あればそれと、上履きと……校章も買っていこうっと」
注文書に書き込んで待っていると、名前を呼ばれた。
「すぐ確認お願いします。サイズも見てくださいね。後で交換は出来ませんからね」
念を押されたので慌てて調べた。大丈夫。合っている。
と。
「わあ、素敵」
隣のテーブルで同じように品物の確認をしていた女の子が小さく歓声を上げた。何事か、と見ればその手には校章のピンが。 気になって蛍も買ったばかりの自分の校章ピンを取り出し、眺めてみる。と、やはり思わず溜息が出た。
白と赤の七宝焼きで、薔薇の花が丸く染め付けられている。女子高校ならではの優雅で愛らしいデザインだ。
「ふふ、ギン。これを見たらなんと言うかしら」
がさつなお前には似合わない、とか言われそうだが、そうしたら、これが似合う女の子になるもん、と言い返してやろう。
―――本当に、なるんだから。
大きな袋一杯の荷物を抱え、蛍は弾むような足取りで歩き出す。
夏になったら新しいセーラー服で、ギンに会いに行く。そのときに、これを付けていこう。絶対に。
「あ、でも」
ふと立ち止まった。
「ギンって、薔薇の花、見たことあるかしら」
山の暮らしに薔薇は無いはず。人に触れれば消えてしまうギンは、町には滅多なことでは下りないし、こういう花は知らないかもしれない。
「それは……つまらないなあ」
教えてあげたい。この校章は、こういう花を象っていて、それはこういう意味のある花で……なんて。
ギンはそんなこと、あまり興味は無いだろうけど、私がそれを喜んでいることはわかるはず。そうしたら、試験のときにギンの声がして、それが力になったのよ、と打ち明けたい。
……それならきっと、ギンも喜んでくれると思うのだ。
そうか、役に立ったか、へえ、なんて。知らんふりをしてお面なんか被って。でもその下の顔はきっとニコニコしていて、あの細い狐のような目が、なんとなく優しくなって自分を見下ろして―――
蛍の足が止まった。
花屋の店先だった。卒業、入学など祝い事の多い季節とあって、ショーケースも店先も、カラフルな花で一杯だ。
そんな中、蛍の目はある一点に釘漬けになっていた。薔薇の花束がいくつか、白い紙に包まれてバケツの中にある。その隣に不思議なものを見つけたのだ。札を読む。
「プリザーブド、フラワー……」
「ああ、それ」
暇そうにしていた店のおばさんの説明によれば、それは枯れない花、なんだそうだ。
「特殊な樹脂を吸わせて、色も形も、手触りも。まるで生の花のように残して置けるの。ほら、これなんて、ちっとも変わらないでしょう」
小さなピンクの薔薇がガラスのケースに入っているのを持たせてくれる。
なるほど、バケツの中のと色も、質感も全く変わらない。すごい。こんなのがあるんだ、と蛍は目を丸くする。と。
「あんた、○○高校の生徒さん?」
「あ、はい。春から一年生です!」
「ああ、今日が合格発表だったのか。それならお祝いも兼ねて、少しお安くしますよ。どうです?」
告げられた金額は小さい花束一つ分くらいだった。一輪にかけるには高価だ。いつもなら買わなかっただろう。でも、蛍は頷いた。
生き生きとしたピンクの薔薇は、新しい校章と良く似ていて、優雅で淑やかで愛らしかった。
ギンに見せたい。そう思った。もしかしたら、欲しいといわれるかも。そしたらあげても構わない。いやむしろ……そう言って欲しい。
蛍、これ。この花。お前みたいだな。いつも眺めていたぞ。お前の代わりに―――そんな風に。
恥ずかしくなって走り出してしまった蛍の後姿を、花屋の売り子が呆気に取られて見送る。
でも、そんなことはおかまいなし。
蛍の目に今映っているのは、夏の日の古いお社と、そこに立つ一人の男の子。きっと今年も会えるその人にだけ、かわいいと思ってもらえれば、それで良いのだ。
やがて来る夏を夢に見て、二輪の花、咲き初める春―――
終