いばらの森
「目隠しして、手を引くみたいな…そういうのは、やめてよ。…オレじゃそういうこと、考えられないのかもしれないけど、…どうせなら一緒に歩かせて…」
考えられないかもしれない―――?
ロイは目を見開いて、少女を凝視した。
それはどういうことか。どういう、意味か。
(…相手として、…と?)
それこそ馬鹿馬鹿しい仮定だった。
「…ごめん。変なこと言った」
捕まったままになっているのは単にロイのやさしさと理解して、目を伏せた少女は指先をするりと解く。そうしてもう一度、小さくごめんと口にした。
「…、…?」
が、解いた指がまだ宙に在る間に、男のいくらか無骨な指がそれを捕まえた。拘束する者とされる者の立場は、そこで入れ替わる。
「…私は君よりずっとずるくて、…それに臆病なんだ」
「…………?」
やがて静かに与えられた言葉に、エドワードは目を上げ、眉根を寄せる。
「だから、そんなことを言ってはいけない」
「……なに、それ…」
訝しげに呟かれた問いに答えはなく、どこか寂しげに笑って、ロイは、捕まえた手をぐいっと引っ張り上げた。途端に、エドワードの半身は、肘掛に腰掛けたロイの膝の上に乗り上げることになる。
驚きに声もない少女を、物も言わず抱きしめる。細く締まった体を抱きこめば、腕が余った。
「…大佐…?」
ただ驚きしかない金色の目に、微苦笑。
「意味がわからず言っているなら君は随分残酷な子だ」
「……?」
「本当に一緒に歩いてくれる気はあるのか?私と?」
エドワードは首を傾げ、流れた金色の髪がロイの腕に掛かった。
一体自分の言ったことの何にそんなにロイが痛そうな顔をするのかわからなかった。
「…言っておくが、一緒に公園に行くとか、買物に行くとか、そういう話をしているわけではないぞ」
「…。何逆ギレしてんだよ…そもそもあんたがっ、オレは何も見ないでいい、考えなくていい、みたいに言うから…!」
きらきら光る金色の目に水分が増したように思い、ロイは困惑した。とにかく泣かれるのに弱いのだ。普段泣かないこの子であれば、余計に。
「オレは、…オレは、…お、…」
「―――悪かった、私が悪かった」
もう限界だ、と諦め、小さな金色の頭を胸に押しつける。どうも、感極まると涙腺が弱くなる傾向にあるらしい。この、少女は。もしかしたら、彼女の秘密を自分が知っているせいなのかもしれないが。
(…焦り過ぎだ。…みっともない)
覚られぬように苦笑しながら、ロイは内心でそうひとりごちた。
思わず期待してしまった。あまりにも都合の良い言葉だったので。
「…何から話したものかな」
背中を撫でてやりながら、彼は困ったように切り出した。
「…。私は、三つの頃からちょうど…十歳になるまで、この家に住んでいた」
「………その後引っ越したのか?」
「引っ越したというか…」
何故かその語尾に苦笑がかぶったので、誘われるように、エドワードはロイの腕から顔を上げる素振りを見せた。ロイはそっと腕の力を緩めて、少女のやりたいようにさせてやる。
「…引越したんじゃなくて?」
「…。色々…事情があってね。母と別れて、私だけ」
「…なにそれ…」
「母とは結局それきりだった。私が内戦で人を殺している間に、看取る人もなく、死んだそうだ」
「…おかぁさん…」
零れ落ちんばかりに金の目を見開いて、少女は幼く呟く。男は黙って目を細め、小さく頷いた。
「…この家は懐かしい。昔と何も変わらない。…二十年近く離れていたのに…」
「…。来たくなかった?」
「………そうかもしれない。でも、」
今にも何か言おうとしたエドワードの唇を指先で封じて、ロイは笑った。寂しげな物ではあったが。
「今は来られてよかったと思っているよ。やはり、懐かしいからね。だから、自分のせいで、なんて思わないでほしい。何度も言うように、君は何も悪くない」
わかるかい、とロイは少女の目をのぞきこむ。
「後で家の中をもう少し案内しよう。屋根裏も地下室もあるし、ピアノもあるんだよ」
「…ピアノ」
「弾くなら調律しておこう」
「…!」
目を丸くしたエドワードに、ロイはこともなげに言い、首を傾げた。
「…?鋼の?」
「ちょうりつ。…大佐そんなのできんの…」
「…?見ての通りの田舎だ、自分で調律する外あるまい。母がするのを見よう見真似で覚えたんだ」
「…オレそんなのできないし。弾けないし」
「………。別に弾けなくても普通だろう?そこまで一般的な教養だとは思わないが。…ただ、驚いたから、もしかして弾くのかと思ったんだ」
「…オレ弾けるのは猫踏んじゃっただけだもん」
ぷい、とエドワードは拗ねたように顔をそらした。相変わらずロイの腕の中で。
「それは…」
ぷ、と男は小さく噴き出した。
「猫踏んじゃった」とは。また。
「笑うなよっ」
「いや、…可愛いと思って、そうか、猫踏んじゃった、か…」
「だから笑うなって…!大体なんだよ、か、か…かわっ…?!」
耳まで染めて片手を振り上げるエドワードに、すまない、とロイは笑顔のまま詫びた。もう本当に可愛くてしょうがなかった。
「あとで聞かせてくれないか?『猫踏んじゃった』」
「ぜっっったい弾かない!」
笑うから、とエドワードはますますお冠だったが、ロイは機嫌よく笑いながら、頼むよ、と強請るのだった。
ようやく笑いの落ちついたロイに連れられ、最初に開けた部屋とは別の部屋、廊下を挟んで向かいの部屋に、エドワードは足を踏み入れる。その時、遅れ馳せながら、この屋敷のドアは透明なガラスでできている事に気付く。
「…ぁ…」
小さな声を上げてドアノブに見入っているエドワードに気付くと、ああ、とロイが腰を屈めた。
「この家の部屋のノブは皆違う花の形をしている。どれもガラス製で…この部屋はどうやら…」
「マーガレット?」
「うん、そんな感じだね。あとは薔薇とガーベラと…百合と鈴蘭と…なんだったかな。もう少しあった気がするんだが」
「なんかそう言われるとこれ、マーガレットじゃなくてガーベラのような気が…」
実物を見れば違いがわかるが、どちらも多弁の花であり、エドワードの手にもきゅっと掴めるささやかなサイズのしかもガラス製とあり、パッと見では判別が難しい。
「うん? …確かにそうも見えるが…多分、マーガレットなんじゃないかな」
なんで、とエドワードが首を傾げると、ロイは笑った。
「君が言ったから。―――と言いたい所だが、お隣にね、マーガレットというお嬢さんがいて。確か私より二つくらい年上だったと思うんだが…彼女がうちに来て、私の名前のドアだわ、と言ったことがあった気がした。だから多分マーガレットなんじゃないかな」
さらりと言ってから、ロイは、さぁ、とそのがらんとした室内へエドワードを促した。
最初通されたリビングめいた部屋と、大体の作りは同じようだ。だが、部屋の中にはアップライトのピアノが置かれているだけで、他に調度らしき物の姿は見えないため、どこか物寂しい印象を与える。
「…あぁ。鍵が掛かっているか…」
カバーを外し、鍵盤の蓋を開けようとして、ロイは残念そうに呟く。鍵などなくとも開ける手段はあったが、あまりそうしたくない気分だった。