いばらの森
02 ; Book of Days
「アル兄ちゃんあーそーぼー!」
元気の良い高い声に、朗らかな声が返事をよこすのが聞こえて、エドワードは読んでいた本から顔を上げた。
ステンドグラスを通して床には美しい光の絵が浮かび上がって揺れている。まだ朝も早い…と言い訳して、エドワードは暖かいベッドの中に半ば埋もれ、大きな枕に埋もれて読書中。当然、服は夜着のまま。厚手のパイル地で出来た膝丈のワンピースと、ウール地の長ズボン。上は卵色で下はライトブラウン。肩には臙脂のガウンを引っ掛けている。
その怠惰なスタイルは、エドワードがこの隠れ家に引っ込んでから発見した最もリラックス出来るものだった。
そしてこうやって引っ込んでいると、「病弱」という設定にもぴったりで、一石二鳥であった。とはいえエドワードは本来体を動かすのが好きな方なので、別に日がな一日こうしているわけでもなかったけれど。
「今朝も早いねぇー」
階下からは弟の声がしている。
…アルフォンスの鎧姿をどう隣人達に説明するのだろう、と思っていたエドワードだったが、さすがロイは伊達に大佐ではなかった。
「実は彼女の弟は修道士でして…」
この切り出しに、エドワードは目を丸くした物だった。
辛うじて声は出さなかったが。
…修道士、とは、また…。
「厳しい戒律を守って生きています。特に、異性との接触は最大のタブーにあたるため、…簡単な挨拶であっても、です。なので、彼が来たら、驚かれるかもしれません」
しれっとした顔でとくとくと語るロイに、エドワードは思った。こいつは詐欺師になっても食っていける、と。
「…戒律を守るため、彼は、ある特殊な姿をしています」
「特殊な…?」
まぁ、と素直に驚くジェシカにエドワードは思った。なんて素直なおばさんだ、と。ほんの少し母親を思い出しながら。
「ええ。外に出る時には常に鎧を身に纏っておりまして…」
「鎧?」
「はい。鎧です。古風な鎧の騎士の姿なのです。…奇異に思われるかもしれませんが、何分修行の一環ということで…ご理解頂ければと。それに彼自身はたいへん穏やかな性格をしておりますので…」
これにはうっかりエドワードは頷いてしまった。小さくではあったが。確かにアルフォンスの性格は穏やかだ…その底にはやはり、エドワードと同じくらい激情家の一面も持っているとは思うけれど。
「まあ…真面目な弟さんなのね。エディさん」
「…へっ…、あ、え、…あ…はい」
エドワードはびくん、と大袈裟に肩を揺らして、慌ててスープを飲んでいた手を止めるとこくこくと頷きながら返事をした。その様子に苦笑したのはロイで、彼は、少女の頭をぽん、とたたくとジェシカに向き直り、肩を竦めた。
「彼女達姉弟は、神学者の家系に生まれまして。彼女は修道女の道へは進みませんでしたが、あまり外に出ない暮らしをしていたもので、こういう場に慣れていないのです。許してやってください」
神学者、ときた。
まあ錬金術師よりは胡散臭くないかもしれない。…いや、そんなこともないのか…エドワードには判断がつけがたかった。
―――まあそんな感じでうまく(完璧かというと何とも言えないが)ロイがごまかしてくれたおかげで、アルフォンスの鎧姿は特に何ということもなく受け入れられている。本人の穏やかな性格とまだ高い声が巧を奏した面もあるだろうか。
町の広告塔…とまではいかないにしてもご意見番的な位置にあるらしいハートネット夫人(属性は感激屋)を通したお蔭で、アルフォンス、そしてエドワードに注がれる目はやさしいものだ。子供達は物珍しいアルフォンスに懐き、親達は安心して彼に子供を委ねる。
「エディ姉ちゃんはまだ寝てるのー?」
と、階下からの声がぽつりぽつりと増えて行く。
「おねえちゃんおねぼうさんだよねー」
「ねー!」
アルフォンスに懐いている、そう多くもない近所の子供達は、同様になぜかエドワードにも興味津々だった。
余所者が珍しいのだろう、とエドワードは思っていたのだが、それもあるけれどそれだけが原因ではないようで、未だに「エディお姉ちゃん」の人気はアルフォンスと並んでいる。
…本人だけが、見た目は美少女然としている(普段の印象を隠すため、日中は不承不承スカートを履き続けているエドワードである)くせに、例の禁句を言われると猛然と暴れ出すことや、思いの外荒っぽい所、不器用だけれどやさしい所…に、子供達が夢中になっているのに気づいていない。混じりけのない金髪金瞳という組み合わせに、目を奪われているということも。
「起こしてあげるよ」
子供というのは遠慮がない。
エドワードは、くすくす笑いながら、分厚い本をベッドサイドに置いた。…退屈しないように、とロイが用意してくれていたのだ。強制的な足止めの間に査定の用意をするのもいいだろう、と言いながら。
「ごめんね、姉さん、病気だから…寝かせておいてあげて?」
と、くすくす笑って布団に潜りこみかけていたエドワードの耳に、弟の声が聞こえてきた。
…病気?
「…アル?」
姉の怠惰を窘めることはあっても、庇うことはない弟が。珍しい。どういう風の吹き回し…、
「お姉ちゃん、病気なのー?!」
「おいしゃさま、呼ばないと!」
「おねぇちゃんとあそべないの、やだー!」
「ああ、ごめんね、大丈夫だよ。姉さんの病気はね、寝てれば治るから。ほら、寝る子は育つ、って言うでしょう?」
…ピキッ。
「そだつー?」
「あ、そっかー!わかったー!」
「おねえちゃん、ちっさいもんねぇ!」
「おっぱいもちいちゃいよね!うちのママはぼよんぼよんなのに」
「おしりもちっちゃいんだよぅ。だってね、びっくりさせよーとおもってね、ぎゅってうしろからくっついたらおしりがちっちゃくてくっつけなかったの!」
「「「おねえちゃん、ちぃちゃいもんねー」」」
「そうそう。だから、もう少し寝かせてあげてね?」
明るい笑い声が響くその庭に、怒れるエドワードの大声が轟いたのは、言うまでもないことだろう。
「…笑い事じゃないんだけど」
アルフォンスから普段の様子を報告され、ロイはぷっと噴き出した。その後は、耐え切れないという様子で必死に肩を震わせ笑いを噛み殺している。
そんなロイにぶすっとむくれた顔をして、エドワードは低い声で言う。
「…や、…すまない。…ああ…案外馴染んでいるようで、よかったよ…」
笑いを堪えすぎて滲んだ涙を拭きながら、ロイはようようそう言った。
「案外どころか、ほんと、毎日朝昼晩と遊びに来るんですよ。近所のお子さん達」
アルフォンスはのんびりとロイに言う。
「きのこ取りに行こうとか魚釣りに行こうとか。ゴム飛びしようとかおままごとしようとか…もう少し大きい子になると宿題教えてとか。女の子の中には、にいさんの髪の毛編ませてくれとか言う子もいますねぇ…」
「人気者だな」
「ええ。で、あんまりお子さん達が来るもので、親御さんもたまに見えられます」
ガイドのような流暢な報告に、ロイは微かに難しい顔をした。
「……ここは保育園かサロンか…?」
「奥さん方がお菓子を持ってきてくださったりもするんですが…」
「が?」