いばらの森
「だ…だ、だって、君…」
あはは、と笑いながら、ロイは顔を手で押さえたまま隣の少女を覗き込む。わずかに指をずらして、その間から目を細めて少女を見遣る。
「ほんとに君がそう言ったのかい?誰か違う人が言ったんじゃないのか?」
「…なんでわかんだよ…」
拗ねたように口を尖らせるエドワードに、ロイはただ目を細めた。
君がそんなこと言えるものかね、とは、言わない。
「…。ここ、いい町だな」
ぽつり、エドワードが呟いた。
「…気に入った?」
「ん…。大佐、あの、あのな、…」
「うん?」
ありがとう…、と蚊の鳴くような声がして、ロイは顔を覆っていた手を外し、そっと隣の少女の金髪の上に置く。
「…大分元気になったな。一時はあんまり元気がないから、心配していたんだ」
「…ゴメン。…その、オレ…」
言わなくていい、とロイはかぶりを振った。
「…。話は変わるが、鋼の。鍵は見つかったかい?」
不意に話題を変えて、ロイは尋ねた。
「鍵…、ああ、ピアノの?」
そうだ、とロイは頷いて見せた。
先週訪れた時には、まだ見つからないと言っていたが、その後進展はあったのかと。
「んー…それが…。実はキッチンの奥から鍵見つけてさ、これかな、って思ったんだけど、開かなくて。どこの鍵なんだろ、アレ」
どうやら進捗ははかばかしくないらしい。しかし、いずこかの鍵は見つけたというこの答えに、ロイは一度だけ瞬きした。
「今、それはすぐ出せるか?」
「うん? …出せるけど…、待ってて」
きょとんと首を傾げて、エドワードは答えた。そしてソファを立ち上がり…、初めて、壁掛け時計がそろそろ夜の十時を指そうとしていることに気付いた。だから、鍵のことはともかく一旦置いて、慌ててロイを振り返る。
「大佐!もうこんな時間だぜ?大丈夫か?」
「あー…そうだな…」
ロイもそこで初めて気付いた様子で、困ったように眉をしかめた。
今から帰ったのでは、イーストシティに着く頃には夜中だろう。それは…あまり気乗りしない話である。下手をしたら夜明け近くなってしまうかもしれない。
と、苦りきったロイに、小首を傾げながらエドワードが尋ねる。
「…明日は大佐、仕事なのか?」
「? …いや、今日の午後から明日いっぱい非番だ」
そもそもこの日ロイがやってきたのは、もう日も落ちた後のことだった。そのため近所の子供達にも遭遇していない。当然、その母親達ともだが。
「なんだ!じゃあ泊まってけばいいじゃん」
エドワードは名案とばかり笑って、軽く言い放った。驚いたのはロイである。色々と小細工をしてあるから、まさかエドワードがこんなセントラル郊外の片田舎の町に、「女装」して潜伏しているとは誘拐犯も思うまい。無論ロイも行き先を伏せてはいるが、一緒にいればいつかは危険に晒してしまう可能性もある。だからこそ、先週は訪れたその日のうちにとんぼ返りしたのだが…。
「…いや、そういうわけには…」
「なんでだよ?だって、明日休みなんだろ?こんな時間に帰るなら、明日帰ればいいじゃん」
エドワードは不思議そうに首を傾げた。
「―――そうですよ」
と、そんなエドワードの背後に、いつ降りてきたのかアルフォンスが立っていた。両手に畳んだシーツと枕を抱えて。
「…アル」
「アルフォンス…」
きょとんとした姉の声と、呆気に取られたようなロイの声に、アルフォンスはふふ、と笑った。
「何ならにいさんと添い寝でもいいんでしょうけど、あのベットじゃ大佐の足がはみ出てしまうでしょう。勝手に悪いとは思ったんですけど、一階のベッド、直させてもらいましたから」
「ア、ア、…アルッ!」
添い寝、と言われてエドワードは一気に顔を赤くした。
…数ヶ月前の嵐の晩には気付いていなかったこと。いくら大佐が信用できる相手でも、いくら間違いはないと断言しても、エドワードくらいの年になって男性と同じベッドに入るなど言語道断だと。別にエドワードは慎みの無い人間ではないが、…ロイを「男性」とは意識していなかったように思う。
段々その意識が出てきたのは、…多分、ご近所の若い奥様方のおかげだろうと思う。
彼女達があまりに誉めそやすもので、エドワードまで変にロイを意識してしまって困る。さらに言えば、アルフォンスがなんだか彼女達に感化されている気がして、それもまた困る。
「…アルフォンス…」
真っ赤になって動揺しているエドワードの隣で、ロイが深々と溜息をついた。まったく、と呆れ、苦笑しながらそして彼は言う。
「…あんまりからかうんじゃないよ。…だが、そうだな…この時間に帰るのも、確かに正直きつい…すまないが、今夜は泊まらせてもらおうかな」
風呂に入るといってエドワードが席を外すと、そこにはロイとアルフォンスが残される。そしてロイは今、エドワードが持ってきた鍵をためつすがめつ見つめている。
「大佐はそれ、どこの鍵かわかりますか?」
アルフォンスにも、エドワードにしたのと同じ程度の説明はしてあった。曰く、ロイが幼少のみぎりこの家に住んでいた、という話だが。
「…あぁ、たぶん、」
ロイは鍵を持ったまま顔を上げ、向かいに腰掛ける少年を見た。
「…宝箱だよ」
「…は?」
抽象的な回答に、アルフォンスは素直に首を傾げる。
「…。どこまで話してあったかな…。私は昔、この家に住んでいたんだが…」
「それは…聞きました。十歳の時までここにいたって…」
「…。屋根裏があるんだが、…そこに衣装箪笥がある。多分、そこの鍵だ」
「衣装箪笥?」
それがなぜ「宝箱」なのか、…アルフォンスの反問にはその問いかけが含まれていた。ロイは小さく笑うと、二、三度頷いた。
「母の衣装箪笥なんだがね…あまり衣装持ちの人ではなかったから、箪笥の中身は衣装以外も多く入っているはずだ。…私達は昔、そこに大事なものを何でもしまっていた。だから、…宝箱、だ」
アルフォンスを覗き込むように首をすくめて、ロイは目を細めた。
「…君達の家ではそういうことはしなかったかな…なにか…親子だけの、特別な…」
この問いかけに、アルフォンスは目を瞠るような気持ちになり、息を―――やはり、飲むような気持ちになる。
「…。貯金箱、置いてました…」
「貯金箱?」
ロイがわずかに首を傾げて問うと、はい、とアルフォンスは頷く。
「ダイニングテーブルに置いてあって、にいさんとボクがなにかいいことをすると、えらかったわねぇ…って笑って、母さんが『いいことした貯金』をしてくれるんです」
くすりと少年は笑う。
「でも―――ボクはともかく、にいさんは暴れん坊だったので…、折角いいこと貯金をして溜めても、すぐだめにしちゃうんですよね。ちなみに、悪いことをすると罰としてそこからおやつを買って…、大体そういう悪いことってにいさんが近所の子と喧嘩して泣かせたとかそんなのだったから、相手の子にその貯金箱のお金を使ってお菓子を買って謝りにいきなさい、って」
そこまで聞いて、ロイは小さく噴出した。その光景が目に浮かぶような気がしたのだ。
…倹しくとも幸せに暮らしていた母子だったのだろう。今、それを改めて強く感じた。
「…素敵なお母さんだったんだな」