いばらの森
「あ、ねえさん。おはよう」
ロイの背中を見守りきょとんとしているエドワードに、リビングからアルフォンスが声をかける。
「あー!」
「エディねえちゃんだ!」
「おねぇちゃんだ!」
つられてリビングを振り返れば、高い歓声が上がる。
それに瞬きしていれば、アルフォンスの背中によじ登っていた子供がわっと駆けてきて、ぼすん、とエドワードの腹にしがみついた。
「ジェミー?」
「おねぇちゃんだ!」
黒っぽい頭を仕方なし撫でてやれば(ぎこちない手つきではあったけれど)、他の子供たちもわあっと声を上げてエドワードに纏わりつく。両方から手を引っ張られ、さすがにエドワードも困った苦笑いをひとつ。
「こら、なんだ、もう…オレはこれから朝ごはんなの」
「おねえちゃん、また『オレ』ってゆってる!」
「だめだよーお姉ちゃん!」
きゃあきゃあと可愛らしい声に責められて、エドワードはまた苦笑。ごめんごめん、と謝りながら。
背後からのこの会話で、ロイは、エドワードが結局は普段のまま「オレ」と言い過ごしていることを知る。さすがに母親達の前では違うのかもしれないが、どうやら子供達の前ではいつものままらしい。大人しく目立たないようにしろと言っても、これがエドワードにとっては限界なのだろう。
それには困ってしまうが、エドワードがエドワードらしく健やかでいられるのならそれでいい、とロイはそうも思う。
「……」
ちらりと、子供に纏わりつかれてどこかくすぐったそうに笑っているエドワードを、ロイは振り返った。そしてなんとも言えず、暖かい気持ちになる。両手を引っ張って、体に遠慮なく抱きついて、近所の子供達はエドワードの気を引こうと一所懸命だ。その顔を見れば、どれだけエドワードのことを好いているのかがよくわかる。そしてまた、エドワードも、そんな子供達をけして鬱陶しくは思っていないようだった。困ったように首を傾げてはいるけれど、嫌がっている様子は欠片もない。
「……」
視線を黒いフライパンの上の黄色いフレンチトーストに落としながら、ロイは小さく笑う。それはまったく無意識の笑みだった。
…遠い日に、この家の同じリビングで、同じように近所の子供に纏わりつかれて笑っている人がいた。その人もエドワードと似て、一般的な「女性らしい」女性像からはやや遠い人だったが、そんな彼女のことを近所の子供達は案外好いて慕っていた。子供のあやし方もよく知らない人だったけれど、どんな子供にも嘘をつかない、まっすぐな人柄をきっと子供達は見抜いていたのだろう。そして、その人と近所の子供達が笑うのを、すこし離れたところで見ている自分に気付くと、彼女は笑って自分を呼ぶのが常だった。何を拗ねているの、と笑って…。
「あぁ、もう」
と、背後からの声が不意に耳に飛び込んできた。
「おまえらはちゃんとママがご飯作ってくれただろう?食べ過ぎると腹壊すんだからな」
「…?」
何の話だ、と、フレンチトーストをひっくり返しつつロイは半身になって後ろを振り返った。と、こちらを見ていたらしいエドワードと、ついでにその腹にしっかり腕を巻きつけた幼児と目が合う。
「あのー…」
えっと、と言いよどむエドワードのその白い頬に、なぜか赤みが増す。可愛いな、となんとなく思いながら、なんだ、と首を傾げることでロイは疑問を示す。すると…。
「あ、あの。…ろ…ロイ…」
耐え切れぬとばかり目を伏せて、エドワードはそれでもロイの名を呼んだ。
…多分、大佐と呼ぶわけにはいかないからなのだろう。だがそれはそれとしても、彼女からロイの名を口にしてくれたことは、男の機嫌を思わぬ形で上昇させた。
「どうかしたか? …エディ?」
火を止め、皿にフレンチトーストを盛りつけながら、ロイは尋ねる。これは勿論、ロイと呼ばれたからであり、今はエドワードという名を隠しているせいだが、エドワードの頬の赤みは増したように思えた。
「…ち、…ちびたちが!」
両手を引っ張られるに任せた少女が、慌てた様子で口を開く。
確かにこの子達なら彼女より「ちび達」だなぁ、と思いながら、ロイは視線で続きを促す。
「あ、ああ、あの…一緒に、食べたいんだって…」
ロイが思わず目を瞠れば、子供達の期待に満ちた目が向けられた。エドワードはエドワードで、どうしよう、と困ったように訴えかけてきている。
…アルフォンスを窺えば、…確かに表情はわからないが、なんだか面白がっているような空気を感じるロイだった。
「…はぁ、」
困ったな、とロイは溜息をつき、それから髪を無意識の様子でかきあげ、すこしだけ笑った。
「大したものは作れないから、期待するなよ?」
…この言葉に子供達は歓声を上げ、エドワードはほっとしたように息を吐いた。そして、目を細めたきれいな顔で笑ったのだった。
一番小さいという三歳の子を膝に乗せて、エドワードは意外と行儀よく、ロイが焼いてくれたフレンチトーストを小分けにして食べている。自分が食べる合間に、あーん、と口を空けている幼児の口にもかけらをたまに運んでやりながら。
「うまいか?」
「んっ」
巻き毛の子供は嬉しそうに大きく頷いた。それに釣られたのかエドワードも同じく笑って、よかったな、と巻き毛をわしゃわしゃ撫でつつ、向かいに座るロイを見上げる。そして屈託のない笑みを浮かべて、「うまいって」と報告。ロイはそんなエドワードの様子に瞬きした後、それはよかった、とこちらも笑顔になる。
ダイニングテーブルには椅子が四つしか設えられていなかったので、七、八人はいた子供達のすべてが着席するにはとても足りない。一番年下のコリンという男の子をエドワードが膝に抱えていたが、それでもまだ足りない。
ではどうしたかというと、残りの子供達は、まずは残り二つのダイニングテーブルの椅子、後はソファに固まって座っている。ロイが食パンの残りを揚げて砂糖をまぶしたものを仲良く食べながら。
「た…、ロイ、って、器用だよな」
コリンの口をぬぐってやりながら、それに紛れてしまえとばかり、エドワードが言う。
「そうかい?」
向かいで苦笑しながら、ロイはその賞賛を受け入れる。そして、自分の隣に座ったシーナという四歳の女の子の手に、自然な仕種で即席ラスクを取ってやる。
「手が汚れるから、…そうだ、えらいな。紙と一緒に握るんだ」
紙ナプキンと一緒に手渡しながら、ロイは案外面倒見よくそう言って聞かせる。コリンの姉だというその子は、はにかんで受け取った。小さくても女の子だ、照れているのかもしれない。
「…なんか…」
そんな姉とロイと子供達の様子をソファから見守りつつ、アルフォンスはなんともいえない気持ちになる。ものすごく落ち着かない。これではまるで新婚家庭ではないか?
「アルにいちゃん」
と、子供の一人がアルフォンスの膝に乗り上げて、声をかける。
「ん?なに?」
「エディねえちゃんのだんなさんになるひとって、やさしーね」
「……そう、だね…」
確かにそれは間違ってはいない。アルフォンスもそこには異論はない。ないのだが…。
「……」
ふぅ、とアルフォンスは溜息をついた。