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いばらの森

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 吐き捨てるように言ったエドワードの服装は、…確かに、美しいものだった。真っ白なドレスはシンプルなものだったが、その質は恐ろしく上等なのに違いない。喪裾は引きずるほどに長い。
「君は才能も容姿も申し分ないんだが、どうもその言動がいけないね。片親だと品性を損なうのかねぇ」
「…ってめ!てめぇ母さんを侮辱するな!」
 エドワードはかっと目を吊り上げて、片手を伸ばし、テーブルの上のグラスを引っつかむと相手に思い切り投げつけた。グラスは中身をこぼすことさえなく、ゲイルの背後に控えていた執事によって受け止められる。
「貴様みたいな下種野郎に他人の品性とやかく言う資格ねぇ!」
「…おねぇちゃ…」
 エドワードの剣幕に驚いたのか、それまでも緊張の続いていたコリンが、とうとうエドワードの胸にひしと顔をうずめ、細く泣き出した。そうなってしまえば勢いを殺ぐ他ない。それに緊張が続いているのはエドワードにしても同じことだった。
「驚かせてゴメンな、コリン。大丈夫、大丈夫だから…」
 大事に大事に抱きしめて、小さな頭の天辺にちゅっとキスする。
「ほぅ、麗しいねぇ。…まったく、歳月というのは面白い。あのぴーぴー泣いていた子供がこんなに大きくなるんだから」
 年齢不詳の男は愉快そうに目を細め、体を揺らした。
「自分だけ関係ないみたいな顔してんじゃねえや。オレがでっかくなったんならてめえは確実にジジィへの坂道転がってんだ」
 噛み付かんばかりに返せば、ゲイルはますます笑う。
「―――ロイ・マスタング。…だったかな?」
 そして、急にその名を口にした。エドワードは取り繕うことも出来ず目を瞠る。
「国家錬金術師、銘は焔。東方司令部の司令官。イシュヴァールの英雄。…面白い男を後見につけたな」
「………」
「どうやら彼は西方司令部をたきつけて、ここへ向かっているらしい。…おまえを助けにでも来るつもりかねぇ?」
「……大佐が、…」
 呆然と呟いたエドワードに、ゲイルは目を細め、針のような視線を向けた。蛇のような目をして。
「…。おやおや…」
「……?」
「もう立派に女だな。男をたきつけることを知っている」
 意味不明な言葉に(ただどことなく侮辱されているようなのはわかった)エドワードは眉をしかめた。
「楽しみだな。どれだけ仕込まれているものだか」
「は…?」
「それとも、そうだな…おまえの男の前で抱こうか。どんな顔をしてくれるものだか…、さぞかし見物だろうな?」
 いい考えだ、と狂ったとしか言いようのない男は背を揺らした。口を開け、晩餐の肉をことさらに見せ付けるように噛み千切る。
「人体錬成といい、マスタングといい、おまえは本当に面白い。確かに錬金術師の才能は血筋によるという説は信じる価値があるものだったらしい。飼うだけの価値もあったわけだな、あの連中にも…」
 くく、と楽しくてたまらない様子で男は笑った。その哄笑は、聞くだけで精神が汚されそうに思えるような、そういう忌々しい笑い声だった。
 コリンを抱きしめながら、エドワードは目に力をこめる。気を張っていなければ震えそうに、生理的な嫌悪感がこみ上げてたまらなかった。吐き気を感じる。コリンを抱きしめる片手、左手の手袋の下には(手袋だけは着替える時も取らせなかった)ロイがくれたあの指輪がある。
(…大佐、)
 ロイは来てくれる。必ず。



 休暇中の司令官はどうだか知らないが、司令官代理は長いものには巻かれる主義の人間だったので、ある意味ロイの妨げになることは何もなかった。小隊どころか中隊を借り受け、フォスターの城へ向かっていた。
 ちなみになぜ表向きはただの調査である一行にそれだけの人員が必要かといえば、城の中にいると予想されるゲイルの私設警備兵への備えであった。ファルマンの情報によると傭兵も混じっているらしいとのことなので、用心するに越したことはなかった。抵抗もなく調査、逮捕に応じてくれればよいが、彼がそんな人間だったなら、そもそもここまでの問題を起こすわけがない。
「…大佐。あと二十分程度だそうです」
 ハンドルを握っていたハボックが振り向けば、ロイは黙って頷いた。情報の出元は無線で、つまりロイにも聞こえていたのである。
 ―――東方を発ってから、一日と数時間が経過していた。
 深い森はただ鬱蒼として気味悪く、美しい自然というのには程遠かった。そしてその高台に立つ、古い城。遮蔽物がないので遠くからでも見ることが出来る。二つの尖塔を持つ、高い石造りの堅牢な古城である。昔はこのあたりを治める領主の城だったという。
「………」
 不意に、その城を睨みつけながら、ロイの脳裏には何か閃くものがあった。深い森の奥、古い城へ危険も顧みず飛び込んでいったのは誰だったか――「彼」はなぜその城へ飛び込んだのか…、


「あなたもいつか、誰かの王子様になるんだわ」


「………」
 ロイはわずかに口元を歪めた。…母の指輪は、今エドワードと共にある。ロイの気持ちと一緒に、少女の傍にある。
「…のんきに寝て待っている姫ではないだろうがな」
 張り詰めていたものが一瞬緩んで、ロイは小さくひとりごちる。一度目を閉じて息を深く吸い、そして吐く。そして再び開かれた黒い瞳は、力強く、そして、自信に満ちたものだった。

 古城へは跳ね橋を下ろさせなければ入れそうになかった。開門を命じようとしたロイの前で、計ったかのようなタイミングで跳ね橋が下ろされる。ロイは表情を引き締めた。
「―――ようこそお越しくださいました」
 芝居がかった仕種で礼を捧げる男が、下ろされた跳ね橋の向こうに立っていた。
「主人がお待ちです。…が、無粋なものはどうぞお持ちくださらないよう…」
 リザは思わずロイを見た。
「…。私は招待されて来たわけではないのだがね」
 平坦な調子で一番前に出たロイが言えば、執事らしき男は慇懃に答える。
「―――主人は、お待ちです」
「…。今日は、氏に関する山のような嫌疑についての調査で赴いた。私はロイ・マスタング。階級は大佐。繰り返すがこれは公務である。私的な招待を受けるわけにはいかない」
 ロイは淡々と事実を告げる。と、執事はほんの少し考えるそぶりを見せた後、再び口を開いた。
「ですが、エドワード嬢もお待ちです」
「…。ひとつだけ言っておく。これは公人としての言ではないから、聞き流してくれてかまわないが…」
 そこで初めてロイは笑った。獰猛な、それこそ、今にも喉笛を噛み切られそうな顔だ。どちらかといえば童顔のロイだからこそ、一瞬のその変化は恐ろしいものだ。背後に控えていた西方司令部の兵士達からは息を飲んだ気配が伝わってきたし、それまでどこか人を食った様子を見せていた執事の顔も強張る。
「―――あれに何かあったら、後を追ってもらうからそのつもりでいることだ。私は育ちが悪くてね…容赦してやるような情けの持ち合わせは欠片もない」
 静かすぎる声だった。震えがくるほどに。
作品名:いばらの森 作家名:スサ