いばらの森
埃と残響が収まったところで顔を上げ、ロイは呆れた顔で吐き捨てる。
「どうだ、自分がとらわれる気分は?」
ゲイルは残忍さを隠しもせずに笑って、棺の中で眠るエドワードに近づく。
「…?」
何をする気だ、とロイは気持ち身構える。
「そこで見ているといい…おまえは随分とこの子供を気にかけているようだからな」
下卑た笑いに意図を悟り、ロイは表情を消して右手を軽くかざした。
「は、…得意の錬金術か?しかしそれはただの手袋ではないか。はったりは…」
ロイは最後まで言わせず、指をばちんと弾く。途端、ぼんっ、と大きな音を立て、ゲイルの鼻の先で小さな爆発が起こる。
「ぅ、ぁあああっ!」
男はよほど驚いたのか、みっともなく腰を抜かした。そこでロイも笑う。笑って、彼は、とん…と、鉄格子に触れた。
「…貴様…?」
腰を抜かして転がったまま、ゲイルは目を見開いてロイの行動を凝視する。
「…開くわけが、」
ロイは何も言わず、鉄格子を握る。
…と、それがぐにゃりと曲がっていくではないか。
「―――錬金術!」
ゲイルは喘ぐように叫ぶと、椅子の下から何か取り出す。そして構えた彼が引き金を引いたのは、ロイが鉄格子を溶かして出てきたのとほぼ同時だった。
ガゥン…!
「大佐?!」
室内からの突然の銃声に、ハボックは慌ててドアを叩く。そして叩く瞬間時計が目に入った。―――突入から三十分が経過していた。
「抵抗する者はかまわない、撃て!」
厳しい中尉の命令は、駆け抜けながら行われた。そして彼女自身、言った後に、物陰から飛び出してきた警備兵の肩を撃ち抜く。
「銃を捨てて投降しなさい!こちらは西方司令部!」
中尉の後でどうにかこうにか援護らしきものをしつつ、ファルマンは思った。恨む相手をすり替えて宣伝するなんてさすが中尉、この状況でよくもそこまで、と。だが口に出したのは別のことだった。
「中尉、今銃声が…!」
「急ぐわよ!大佐はともかく、エドワード君に何かあったら…!」
「………」
大佐は「ともかく」なんだ、とファルマンはやはり思ったが、今度も口には出さなかった。前方の角から新手がやってきたため、喋っている暇がなかったのだ。
素人の撃った弾ではあったが、それはロイの左足を掠めて床をえぐった。
「…っ、…撃ったな?」
一瞬顔をしかめたロイだったが、ぐっと堪えて前へ足を踏み出し、にっと笑った。獣じみた顔をしていた。
「…な、貴様…」
ライフルを構えつつ、ゲイルは呆然とした顔をする。そんな男に、ロイは右手を掲げ、弾く。
ドンッ…
再び、ゲイルは爆発に吹っ飛ばされる。
「…調査への協力拒否。明らかな公務執行妨害に、委任状を持つ正式の調査官への発砲、および調査官の殺傷未遂…」
楽しそうにロイは数えてやった。
「―――一生臭い飯を食わせてやる。ありがたく思え?」
ロイはかつかつと男に歩み寄り、ぎらぎらと殺意に目を光らせている男を見下ろした。
「ゲイル・フォスター。貴様を逮捕する」
そしてそう宣告すると、晴れやかな顔を浮かべてゲイルの胸倉を掴みあげ、渾身の力をこめて殴り飛ばしたのであった。
とりあえずゲイルの服を使って椅子の足に両手を拘束し、ロイは、そうっと棺の中のエドワードを覗き込んだ。
城の中ではさっきから上を下への騒ぎが起こっている。ドアの向こうからは、ひっきりなしに怒号が聞こえてくる。時計を見なくても、三十分経ったことがわかった。
「…鋼の…」
恐る恐る頬に触れれば、暖かかった。思わず詰めていた息を吐けば、後ろからせせら笑うような声が聞こえた。
「英雄が聞いて呆れる。幼女趣味とは恐れ入るな」
「…。カルトに何を言われても痛くも痒くもないな」
ロイはエドワードを抱き起こしながら、後ろを振り返り、路傍の石を見るごとき目つきでゲイルを見下ろす。
「―――貴様でもいいのだ…」
「…?」
と、ロイは、ゲイルの目がいかにも狂った様子で見開かれていることに気付く。
「貴様でもいい。…私は錬金術によって不老不死を得たかっただけ…、その娘を使って得たかったのは再生なのだ…」
エドワードが気を失っていてよかった、とロイは思った。この狂人の言葉を聞かせたくはないと思った。
「…なに…?」
ロイはごく低い声で唸るように問う。
「…だから。君がその娘を抱くのであっても、私は一向に構わないと言ったんだ」
面白くもなさそうにゲイルは言った。年齢不詳の顔には、腹立たしいことに本気らしい表情しか見つけられなかった。
「私が興味があるのは、その娘自身というよりは可能性だよ。それが本当に血によるものならば、私は彼女によって再生を果たすのだ」
「…再生、…だと」
「あらゆる錬金術の秘術を試してもらおうというのさ。女であることも都合がいい。私の宿る新しい体を孕んでくれればいいだけの話で…その場合、父親が誰であろうと私にとっては些細な問題だ。…焔の錬金術師…国家錬金術師の父親なら、さぞかし優秀な子供が生まれるのであろうな?確かに、あの口ばかりの連中をあてがうよりは、よほど効率がいい」
何の悪意もないという顔で、男は毒を含んだ言葉を垂れ流す。実際虫唾が走るような言い分だった。ロイは、あまりの怒りに血管が切れるかと思った。
「…この娘もその方がいいだろう。…なに、私も鬼ではない」
「―――狂人が…」
「貴様もこの娘を抱くのに何の否やもなかろう?であれば問題など何もない」
「…聞くだけで耳が穢れるな、貴様の発想は」
ロイは吐き捨て、一度は抱え上げたエドワードを、そっと長椅子におろし、手を振り上げた。
「一度ならず二度もこの私に手を上げるのか、貴様、たかが軍人の分際で―――!」
この期に及んでなお、未だにそんなことを言っているのがいかにも救い難い。ロイは、大きく回した足でゲイルを蹴飛ばし、背中から体重をかけて踏みつけた。
「きっさま…!」
みしみしと音がして、…恐らく軽く肋骨あたりは折れているのではないかと思われた。
「痛いか?」
「どけ!貴様、こんなことをしてただで済むと…!」
「知るか。…生憎と、私が知っているのは、貴様が今までこうやって他人を己の興味半分で踏みつけにしてきたということだけなのだ。容赦してやるほど私は偽善者にはなりきれなくてな」
ロイは冷たく切って捨てると、ゲイルの上からどいた。そして再びエドワードを抱え上げる。
「…この子に手を出すとは、下手を打ったな?フォスター。…私は今までの人間とは違う。貴様によって脅かされるコネクションもないから、追求をうやむやにすることは絶対にない。覚悟しておけ」
のた打ち回りながら呻くゲイルには、もうロイの恫喝は届いていないようだった。たやすく他人に痛みを与える人間ほど、自分のそれには弱いものだ。ロイはもうそれ以上振り返らず、ドアへと向かった。眠るエドワードを大事そうに抱えたまま。
ドアは当然のように施錠されていたので、ロイは溜息ひとつ、エドワードを胸に抱き寄せると、思い切りドアを蹴飛ばした。
ばきん、と音を立て、蝶番が跳ね跳ぶ。