いばらの森
「こんな子やうちの孫を攫うような不逞の輩がのうのうと生きていたなんて、一体軍部は何をしているの?あなた方がしっかりしてくれなくては困るじゃないの!大体あなた、どうして私に嘘をついたの?ちゃんと事情を説明してくれれば、私だってもっと心構えが違ったわ」
ぴしゃりと叱られるロイなど、そう見られるものではない。リザさえ唖然として、その光景に絶句していた。
「かわいそうに、怖かったでしょう?」
と、ジェシカは呆然としているエドワードをぎゅっと抱きしめ、言った。…実は、何だかんだでお隣さんとの良好な付き合いが出来ていたのだな、ということにロイはようやく気付いた。そもそも、よく考えたら、エドワードは手袋をしておらず、今は右の機械鎧もむき出しになっているというのにジェシカもシーナもコリンも、マーガレットでさえ、驚いていないのだ。これはつまり、既に知っていたということであろう。ということは、誰かが何か説明したのだろうから、…ロイは言っていないから、エドワードかアルフォンスが説明したのだろう。そこまで事情を知って、信頼めいたものさえ生まれていたのに、肝心の真実を話していなかったことがジェシカには許せなかったのだろう。
とりあえずは平謝りするロイと宥めるマーガレットのとりなしで、ジェシカは機嫌を直したが、…そんなわけで、コリンもシーナも、相変わらずエドワードに懐いてくっついて回っていた。近寄るなと怒られるんじゃないか、と恐れていたエドワードにしたら(ひとつところに留まれない以上、本当はあまり情が移るのもいいことではなかったが)、拍子抜けしてしまうような事実だった。
ブーケを受け取ってからコリンを見れば、にこっと笑って、彼は首を傾げた。そしておねえちゃ、と舌足らずに口にする。
「あのね、あのね、およめさんにはおはななの」
コリンを重そうに抱えながらよろめいて、シーナは一所懸命に言い募る。
「…アリガト」
色々訂正したい部分はあったが、ようやくエドワードにも飲み込めてきた。要するに、この子達は、エドワードとロイのために、結婚式を催してくれるらしい。
もしかしたら、足が治ったら旅に出るというエドワードとアルフォンスの会話を聞いていたのかもしれない。その前に、エドワードがここを去る前に、彼らは何かがしたかったのかもしれない。彼らにしか出来ない、何かを。
「うぉっほん!」
かなりわざとらしい咳払いで、はっとしてエドワードは顔を上げた。神父役(同じ年くらいの男の子もいるのだがそちらにその役が振られなかったのは、…単純に、それくらいの年代だと、男の子より女の子の方がませているからかもしれない)のジルがじっとこちらを見つめている。
エドワードはこっそりとロイを見上げた。
きっかけはどうあれ、ここに来られて、ロイの、本当にルーツとも言うべき時代に触れられてよかったと今では思う。自分の問題は、解決したような、完全な解決とはいえないような、微妙なところだが、それでもそれにはひとまず目をつぶって、やはりよかったと思うのだ。
ロイの好物がハンバーグだなんて誰が知っているだろう。ヒューズだって怪しいものだと思う。子供の頃、玉ねぎが食べられなかったロイのために、その母親が一所懸命みじん切りにしてひき肉と混ぜて食べさせたとか、そんな苦労を、一体今、エドワード以外の誰が知っているだろうか。誰も知らないはずだ。なぜならあのノートは、ひっそりとあの忘れられた小さな館に眠っていたのだから。
「シンロウシンプは前へ出てください」
舌を噛みそうになりながら、懸命に言うジルも可愛らしい。エドワードは、女の子ってほんと「お嫁さん」てのが好きだよな、とこっそり思う。かく言う自分も、実は、本当にごく幼い頃、母親の花嫁衣裳を写した写真にうっとりした記憶があるのだ。…ただ隣に写っていたのが、行きがかり上仕方がないとはいえあのろくでなしなホーエンハイムだったため、エドは、分厚い本でホーエンハイムだけ隠してトリシャの写真を飽かず見ていたものだった。
「神父様。花嫁は足を怪我していて。このままでもいいだろうか?」
ノリよく、ロイはジルに尋ねる。案外冗談の通じる男なのだ。
「トクベツにきょかします」
澄ました調子で、ジルが答える。それに怒られない程度に笑って、ロイは、エドワードを抱えたまま前へ出た。
「っと、…シンロウは、これなるシンプのことを、ツマとし、アイし、ウヤマい、イツクシムことを、ちかいますか?」
「誓います」
あまりにも落ち着いているので、思わずエドワードはロイのことを見た。
「シンプ」
「あ、はいっ…?」
「…みとれるのは、けっこんしきのあとにしてくださいね?」
ジルの呆れたような言葉に、…不意打ちだったせいで、エドワードは頬を染める。顔を動かした表紙に、頭に載っていた木犀の花が匂いごとふわりと落ちる。
「シンプは、これなるシンロウのことを、オットとし、アイし、ウヤマい、イツクシムことを、ちかいますか?」
「…!」
ロイとは違い、エドワードは思わず息を飲んでしまう。
「ちかいますか?」
ジルが繰り返すと、エドワードは耳まで真っ赤になった。
…愛し、敬い、慈しむ?
思わず困ってしまってロイを見上げれば、彼は片方の眉を器用に上げて、小さく囁いた。
「私ではやはり不満か?」
「ち、ちが! …ち、誓います!」
ロイの顔も見ていられなくなって、エドワードはぐるっと顔をそらし、半ばやけ気味に叫んだ。しかしその顔は本当に真っ赤になっていて、子供にもわかるくらい、明らかにロイが好きだと言っていた。
子供達は、真っ赤になったエドワードと穏やかに笑っているロイをわあっと取り囲み、口々におめでとうと言った。
秋晴れの高い青空に、高い声が吸い込まれていくのだった。
今頃は、とアルフォンスは洗濯物を干しながら思いを馳せる。
すっかりと懐いた近所の子供達に、エディおねえちゃんはいつケッコンシキするの、と聞かれたのはいつだったか。隠してもしょうがないので、とりあえず予定は決まっていないと言うと、じゃあ私たちがお祝いしてあげる!とあれよあれよという間に計画を立ててしまった。子供達のバイタリティには恐れ入る、と思いつつ、…でもちょっと前まではボクらもあんな風だったのかな、とも思ったりした。そうやって考えると、色々と深刻に思いつめていた事柄が何でもない事のように思えてくるから不思議だった。姉のためにやむなく始めた避難生活だったが、アルフォンスにとっても、いい気分転換になったのかもしれない。確かに、手がかりのなさに、精神的な疲労は随分と蓄積されていたのだろうから。
「…ま、本当に義兄さんて呼ぶようになるのは、もう少し先だろうけど」
アルフォンスはくすりと笑って、ぱん、と洗濯物を伸ばした。
「そういえば、大佐って今日は泊まっていくのかな?毛布干しておいてあげようかな?」
…避難生活はアルフォンスの気分転換にもなったかもしれないが、それ以前に、確実に彼の家事能力向上には役立ったようだ。それがエドワードではなくてアルフォンスという所が、まあエルリック姉弟らしさ、だろうか。